日本のプロフェッショナル 日本の弁理士

原田 貴史(はらだ たかし)氏
原田国際特許商標事務所 所長
弁理士
1979年、福岡県北九州市生まれ。会津大学大学院コンピュータ理工学研究科情報システム学修了。2005年、車載音響機器メーカーに入社。2011年、弁理士試験合格。2012年、弁理士登録。同年、特許業務法人筒井国際特許事務所に転職。2016年、原田国際特許商標事務所を開設。
弁理士を軸に複数サービスをワンストップで提供。
かけ算や組み合わせで、中小企業に貢献できる領域を広げます。
さいたま市の原田国際特許商標事務所は、特許取得率95.4%を超えるビジネス特許に強い事務所だ。商標申請数では、2017年から3年連続で埼玉県1位、2019年には全国2位を獲得。中小企業に貢献する幅広いサービスを展開している。総勢26名を擁する事務所の所長弁理士・原田貴史氏に、弁理士をめざした経緯から事務所の現在と今後の展開についてうかがった。
崖っぷちで大手メーカーに就職
北九州市で生まれた弁理士の原田貴史氏は、小学校2年生から中学校までの8年間、父親の転勤で中国で過ごした。途中、天安門事件により小学校4年生で一時帰国したが、中国情勢が安定した小学校6年生のときに再び上海に渡り、中学校卒業までを過ごしている。
「中学まで中国で過ごした経験は、多少なりとも考え方に影響していると思います」
高校時代は茨城県で過ごし、会津大学コンピュータ理工学部に進学、会津大学大学院コンピュータ理工学研究科を修了した。大学時代はパチスロにハマっていて、普通の学生がアルバイトで稼げないほどのお金を持っていたが、そのぶん金遣いも荒く、大学での成績も悪かった。就職氷河期が重なり、就職活動では約200社を受けたがすべて不採用。
「結局、1年留年しました。翌年も就職活動の時期が終わるギリギリまで決まりません。もう1年留年したら年齢も上がり、ますます決まらない。普通に就職して、働いて、結婚して、子どもができて……そんな当たり前の生活を、自分は送れない。もう人生詰んだな、と。そのときパチスロで遊んでいたことを、ものすごく後悔しました」
つらかった経験から、「これまでの人生を変えたい」思いが強くなった。崖っぷちの状況で、原田氏は大学院の学校推薦枠に救われ、何とか車載音響機器メーカーに滑り込んだ。
弁理士取得で人生一発逆転
原田氏が最初に配属されたのは、品質管理部だった。
「当時の上司が、毎日1時間は部下の前で怒鳴るパワハラ上司で、従業員はみんな怖がって、何も言えませんでした。ある日、私はその上司に『あなた自身はすごい成果をあげて出世もしてきた。でも、あなたが怒鳴ることで、全体の生産性を落としています。それとあなたひとりであげた成果と、どちらが大きいと思いますか』と、みんなの前で言い放ったんです」
そして、原田氏は研究開発部に異動。入社1ヵ月後の出来事だった。
『難関資格は働きながら取りなさい』(かんき出版)という本に、原田氏は入社直前に出会っていた。書店で吸い寄せられるようにその本を手に取ってみると、著者の佐藤孝幸氏は働きながら司法試験に合格した弁護士。その本に載っている弁理士資格は「働きながら受験する人がほとんど。がんばれば働きながら取得できる」と書いてある。しかも「理系大学院出身者は選択科目免除」というアドバンテージがあった。気になって見た受験指導校のパンフレットには「弁理士になれば将来独立開業、年収2,000万円」と書いてあった。
「異動になった研究開発部は特許を出願する部署で、何か縁を感じたんです。不合格続きだった就職活動では、世の中は自分のことを守ってくれないと骨身に染みていました。だからこそ、どのような状況でも食べていける資格を取得して、自分の身を守ろうと思ったんです。これまで人生で一度もがんばったことがなかったので、人生一発逆転と弁理士受験を決めました」

難関資格は働きながら取る
働きながら弁理士をめざした原田氏は、独学で勉強をスタートしたが、1年目の短答式筆記試験はたった14点。惨憺たる結果だった。
「勉強開始当初は、1問解くのに1時間半。なんとか60問を3時間半の試験時間内で解けるようになりましたが、4ヵ月勉強してもまったくできるようにならなくて、とんでもない世界だと思いました」
独学の限界を感じて、受験指導校を利用することにした。
「働きながら勉強するには、いかにすきま時間を使うか。通勤中は毎日講義の音声を聞いていました。とにかく受験優先にして、受験勉強を始めてからは一切残業をしないで定時退社を徹底。平日は5時半起きで勉強、土日は8時間勉強。それを1年間続けたら、翌年、短答式筆記試験に合格できたんです」
こうして働きながら5年目に弁理士試験に合格した。
中小企業向けサービスを提供したい
「大企業だったので、特許申請の内容がどのように会社の利益に結びついているのかを実感することはできませんでした」
弁理士試験に合格しても原田氏のモチベーションが下がる一方。弁理士に合格したから特許出願書類を書く仕事がしたいと希望を出したが、それも却下された。
「自分は苦労して弁理士を取得したので、弁理士としてのスキルを磨きたいと考えました。それができないなら、転職するしかありません」
こうして2012年、都内の特許事務所に転職。特許出願書類が書けるので、最初の1年半は楽しかった。ただ、特許事務所は大企業の出願を受ける側だ。「やはり近い距離でよろこんでもらえる中小企業の仕事がしたい」と、原田氏は考えるようになった。
日本企業の99.7%は中小企業、わずか0.3%の大企業の特許申請が全体の約88%を占めている。中小企業の仕事がしたくとも、中小企業向けの特許申請はビジネスとして成り立たないだろうと、原田氏は考えた。
それでも「どうしても中小企業向けサービスを提供したい」という思いから、原田氏は展示会を回り、中小企業経営者に「今、どのようなことで悩んでいるか」を調査した。
同時に独立開業スクールのWeb集客講座にも通い、「どこから、どのように中小企業のクライアントを取れるのか」を猛勉強した。4ヵ月通ったスクールの同期は23名。彼らは、原田氏に親しみを持って、仕事を紹介してくれた。
「仲間からの紹介で開業前にも関わらず、商標登録申請5件と特許申請も受注できました。売上は100万円にもなる。そこですぐに独立開業することにしました」
こうして2016年、原田氏は新宿にある独立開業スクールのシェアオフィスに月1万円で事務所を開設し、独立開業を果たした。
開業前から仲間に後押しされた原田氏は、「集客はWebだけではない。人と接するネットワークも大事だ」と考えた。世界最大級のビジネス・リファーラル組織BNIに入り、交流会を5つ掛け持ちした。
Webからのお問い合わせで特許申請の受注も増え、初年度売上は1,000万円と勤務時代の1.5倍超。その伸びは止まらず2年目の売上は3,000万円に到達した。
商標、特許、補助金の3本柱
順調なスタートを切った原田氏は開業2年目、2017年4月にオフィスを埼玉県北与野市に移転。パート社員を1名採用した。
「新宿のシェアオフィスから埼玉県への移転の目的のひとつは、人を雇うこと。もうひとつは、埼玉県に移転すれば商標申請数が埼玉県1位になれるはずだ、という見込みによる戦略でした。ほとんどの特許事務所が東京に集中し、埼玉県には特許事務所があまりないからです。士業はブランディングが大事。この2つをかけ合わせて埼玉県で商標申請数1位をめざしました」
1年目の商標申請数は50件だったが、2年目から埼玉県1位を打ち出すと倍に。3年目は6倍の300件に増えた。さらに原田氏は商標申請のお客様と打ち合わせをする中で、特許申請のニーズを探っていった。そしてもうひとつ、事務所の柱として原田氏がねらいをつけたのが補助金である。
「中小企業経営者がもっとも困っているのが資金繰りだと聞いて、補助金だとピンときました。特にものづくり補助金は資金調達と相性がいい。ですので、1年目からこの補助金申請をたくさんやっています。
特許申請したいお客様はものづくり補助金を開発に充てたい方が多いので、特許申請したお客様にものづくり補助金を提案し、補助金を申請したお客様に特許申請を提案。そして、商標申請のお客様に特許申請を提案するといったループで、お客様を開拓していきました」
特許事務所が補助金申請を受けるのはめずらしい。しかも原田氏は商標と同じように補助金をまったく経験したことがなかった。仲間に補助金申請書の添削をしてくれる人を紹介してもらうと、初回に申請した補助金は2件とも通った。
「人間必死になってやれば何とかなるんです」と、原田氏は笑顔を見せる。
どんなことにも壁を作らず、自由な発想でビジネス領域を広げていく。原田氏の事務所は開業4年目、年商1億円に達した。
商標申請全国2位を獲得
商標で先手必勝、広げて特許申請、フックに中小企業経営者によろこばれる補助金。原田氏は、さらに特許申請を増やす目的で、商標全国1位というブランディングをねらいにいった。
「事務所ごとの申請ランキングを調べたところ、中国企業の申請がとても多いことがわかりました。それも小さめの特許事務所が4位に入っています。このパイに食い込んでいけばいける。そう考えたのです」
当時、東京オリンピック開催に向けて日本で商標を取得するため、特に中国深圳市が積極的に補助金を出していた。原田氏は中国の代理店を開拓すべく、深圳市の特許事務所にメールを送り、ネイティブの中国人を採用して、中国語で直接対応できる体制を整えた。
「案件単価は低めでしたが、とにかくブランディングのために増やしました。すると開業3年目の全国17位から4年目で全国2位になったんです。1回でも2位という実績があれば、『商標全国2位』のブランディングで特許申請も増やせます。結果的にコロナ禍が一番売上が伸びました」
コロナ禍ではマスクと除菌剤、リモート関係の商標申請が追い風になり、原田氏の事務所は2020年から2024年、毎年驚異の200%前後の成長を見せたのである。

弁理士を軸にワンストップサービスを提供
開業2年目から商標申請数埼玉県1位、4年目に全国2位。延べ申請数は1万件を超えた。開業して9年目の現在は、生成AIをメインに関連特許申請は年間約120件、商標申請は約1,300件に上る。
特筆すべきなのは、原田氏の事務所が弁理士業務に留まらない点だ。弁理士業務の枠を超えて補助金サービスでシナジー効果をねらう。さらに社会保険労務士法人を事務所内に立ち上げ、労務管理、採用支援にも領域を広げている。
「社会保険労務士は顧問なので、企業の人の悩みにアプローチしやすい。今後は採用支援や定着支援、組織コンサルといった企業の人の悩みに力を入れていきます」
原田氏自身も現在、社会保険労務士試験を勉強中だという。
「知財を含めて、中小企業の課題解決が一番。まずは、私が自分で実証してきた士業事務所の経営をベースに、士業事務所の経営講座とコンサルティングから始めています」
このような経緯で出版されたのが、著書『士業事務所で年収3000万円を目指すノウハウ』(ぱる出版)である。
もうひとつ、原田氏の戦略がある。弁理士は行政書士登録ができるので、ビザ申請から採用支援まで幅広く提案。弁理士を軸に、複数のサービスをワンストップで提供できる事務所をめざしている。
「かけ算や組み合わせで、どのように組織作りをしていくか。中小企業の利益に貢献し、悩みを解消するのがやるべきことです。そのひとつの手段として、特許申請や商標申請があります。さらに、補助金申請、労務管理、人事コンサルがフックになる。貢献できるなら何でもいい。そこにこだわりすぎないことが大事です。特許申請、商標申請をしている事務所ではなく、中小企業に価値提供する事務所なのです」
勤務時代が反面教師、従業員育成に励む
人の面では、開業1年目にパート社員1名を採用。徐々にパート社員を3名まで増やし、3年目秋には正社員を1名採用した。現在はパート社員含め総勢26名、弁理士は原田氏含め3名になった。
「今はだいぶ落ち着いていますが、一時期は採用も教育も追いつきませんでした」と原田氏は振り返る。
採用では、相手が置かれている状況を尊重でき、コミュニケーションがきちんと取れて、人の話をきちんと聞ける人を求めている。仕事を通じて何を習得できるか、働いていった先にどのようなキャリアプランが待っているのか。トップとしてマイルストーンを置くことを大切にしたいと、原田氏は力を込める。
こうした事務所の展開には、メーカー勤務時代の経験が活きている。
「あのときの上司がいたからこそ、自分は絶対にそうならないと決めています。残業ばかりで生産性が上がらない光景もたくさん見てきました。そのような中で自分は残業はしないで、毎日定時退社していた。だから、うちは残業なしです」
弁理士を取得してよかったと思うのは、何といっても「よろこんでもらえたとき」だという。
「特許取得が自社の製品の評価につながり、大企業と対等に話せるようになった。そういう声がダイレクトに返ってくるのは、大きなやりがいです」と、うれしそうに話す。
今後は、さらにコンサル領域に力を入れたいと、抱負を語る。
パチスロに没頭し、むなしい日々を送っていた頃の姿はもうそこにはない。
「人のために役に立ちたい」。そこには、大義に燃えるひとりのプロフェッショナルの姿があった。
[『TACNEWS』日本のプロフェッショナル|2025年8月 ]