日本のプロフェッショナル 日本の社会保険労務士|2024年2月号
濱田 京子(はまだ きょうこ)氏
エキップ社会保険労務士法人
代表社員 特定社会保険労務士
兵庫県神戸市生まれ。1991年、聖心女子大学文学部心理学科卒業。同年、三井不動産株式会社に入社し、人事部に在籍。1998年、アウトソーシング会社に転職。7年間、人事、給与計算などの導入コンサルティングと運用マネジメントに携わる。2005年、人事考課システムを扱うIT企業に転職。2008年、社会保険労務士試験合格。2009年、濱田京子社労士事務所を設立。2010年、特定社会保険労務士試験に合格。2016年、法人化によりエキップ社会保険労務士法人を設立。2018年、ゴルフダイジェスト・オンライン(東証プライム)社外監査役就任。同年、厚生労働省東京労働局あっせん委員就任。
「人の活躍」こそエキップの強み。
スタッフ全員が社会保険労務士のプロ集団です。
「自分の強みをわかりやすく伝えるには、肩書きが必要だ」。30代半ばで社会保険労務士試験にチャレンジした濱田京子氏。現在、業種を問わず幅広く相談対応するエキップ社会保険労務士法人のトップを務める。特筆すべきは、スタッフ全員が社会保険労務士であることだ。濱田氏はどのような経緯で社会保険労務士をめざしたのか。独立までのプロセスや業務の特徴、なぜスタッフ全員社会保険労務士なのかについてうかがった。
社会的に認められるには資格が必要だ
兵庫県神戸市で生まれた濱田京子氏は中学2年まで神戸で育ち、父親の転勤で東京に転居した。大学までずっと女子校育ちの濱田氏が、就職に際して考えたのは「女子だけのコミュニティではない会社に就職したい」だった。
濱田氏が就職活動をした当時は、まだまだ「女子は一般職(事務職)、男子は総合職」という風潮が根強かった。濱田氏のように「女子校育ち、女子大出身」だと特に「就職しても結婚までの腰かけ」に見られた時代だったのだ。そのため面接では「きちんと働きたい」という思いを伝えながらメーカー総合職を中心に就職活動をした。しかし、同様の見方をする面接官は多かったという。そんな中、濱田氏のこれまで育った環境や個人のキャラクターを認めてもらえるのではないかと感じたのが、三井不動産の面接官だった。
「三井不動産には一般職(事務職)で応募しました。大手デベロッパーなので筆記試験もあり、その試験会場には多くの学生がいたにも関わらず、採用人数は7名と求人票に示されていたことにとても驚いたのを覚えています。そのあとの面接で、話の内容や面接官の対応などから会社の雰囲気がとてもよいと感じて、ここに入社したいと思いました」
三井不動産初の「四大卒女子・事務職」として社会人の道へ踏み出した濱田氏。四大卒女子の事務職は経理・人事・広報などの管理部門に配属されることが多く、濱田氏も人事部の配属になった。人事部で担当したのは健康保険事務、出向者管理、共済会管理、制服管理など。社会保険から福利厚生まで幅広い経験ができた。社会保険労務士(以下、社労士)を知ったのもこの頃だ。
その後三井不動産を退職。再度仕事を探すタイミングでは「人事部で働いていた経験を少しでも活かした仕事がいいのではないか」と考え、その結果、人事給与のアウトソーシング会社に転職することになった。
当時は人事のアウトソーシングが世の中に出始めた頃で、急激に仕事が増えていた時代だ。濱田氏は多くの企業の新規導入プロジェクトリーダーとして、主に人事と給与計算のビジネスプロセス構築コンサルティングから運用マネジメントまで幅広く活躍した。7年間在籍したあと、今度は数多くの大手企業にワークフロー、目標管理、人事考課システムを導入するIT企業に転職。SEとともに業務を設計する業務デザインに従事した。
「SEの方は、システムについては詳しくても人事系の業務内容についてはよくわからないので、要件定義ができません。そこで私のような業務を理解している人間が、設計・デザインに携わるんです。SEと一緒にシステム設計を決めて、その後のテストも一緒に実施するなど、導入全般の仕事をしていました」
業務デザイナーとしてのやりがいと楽しさを感じていたという濱田氏。しかし、大阪、名古屋、新潟など各地への出張も多く「この先ずっと、このハードワークができるのかな」と不安を感じるようになったという。
「仕事はすごく好きでしたし、環境もよかったのですが、その点が不安でした。しかし、35歳以上はもう転職できないと言われていた時代です。『私はどうすればいいんだろう』と悩みました」
そんなときに出会ったのが、ベストセラー小説『夢をかなえるゾウ』(水野敬也 著)だった。
「チャレンジできるのは今しかない。人事のキャリアで社会的に認められるには資格が必要だ。そう考えて、人事に関係する資格の社労士をめざそうと思いました」
社労士は働きながら受験する人が多い資格だ。年齢的なタイミングはもちろんだが、できれば1回で合格したい。このまま仕事をしていたら合格できないかもしれない…。そう考えた濱田氏は、試験間際に退職して受験に専念。人事労務の実務キャリアが長かったので、まったくの知識ゼロスタートというわけではなく、取り組みやすい勉強ではあったが、最後は自分を追いつめなければ1回で合格することはできないと考えたのだ。
そうして通信講座を受講し、模擬試験も複数回受けた。しかし、1回も合格ラインに届かなかった。その結果を受け「このままではダメだ」と奮起した濱田氏。最後の1ヵ月間は、10年分の過去問題集を毎日1年分ずつ解くという特訓に励んだ。毎日時間を図りながら解いていくうちに、問題を解く科目の順番やそれらの時間配分など、自分に最適な方法がわかってきて、問題を解くスピードもどんどん上がっていった。
そうした努力が実り、2008年、濱田氏は学習期間8ヵ月で社会保険労務士試験に合格した。
企業規模を問わない戦略で独立開業
試験が終わり合格を手にした翌年、濱田氏は独立に踏み切った。
「もともと独立するプランがあったわけではなかったのですが、なんとかなるような気がしていたんです。今から思うと、なぜ自信があったのかちょっと不思議ですが、多分独立しても失うものがなかったからかもしれませんね。事前に事務所のWebサイトを準備しておいて、開業と同時に公開しました。あとは前職の上司、先輩、同僚に『社労士として独立しました。こんな仕事できます。どなたか紹介してほしいです』と挨拶して回りました」
開業2ヵ月後、最初の案件が決まった。前職の同僚が転職先で社長に就任していて、給与計算と手続き業務を依頼してくれたのである。100名規模の会社だったので、これはかなり大きな仕事になった。
「開業間もなくで、給与計算などの業務システムは購入していなかったのですが、会社のシステムを使い現場でオペレーションしてほしいと言われたので、最初の仕事として取り組みやすかったです。お客様の会社にうかがって、給与計算、確認、納品、その場でいろいろな相談対応などもさせてもらって、とても勉強になりましたね。
2社目に受注した顧問契約は給与計算が2名ぶんという小規模な会社だったので、まだ業務システムを購入せず自力で手間をかけた方法で乗り切りました。お金はなかったのですが、時間はあったんですよね。
次に受注した顧問先は10名規模だったので、いよいよ業務ソフトを購入しました」
開業当初、元上司に挨拶に行ったときに、なんとその上司が紹介者リストを作ってくれた。そのリストの会社に片っ端から会いに行ったという濱田氏。もちろん、まったく相手にされない会社も多かったが、「○○さんの紹介じゃあ仕方ないな」と相談顧問の契約に至った会社もあった。まだ経験が少ない社労士にも関わらず、1,000名規模の大企業の相談顧問業務に携わることができたのは、この元上司の紹介があってのことだった。このような経緯で契約に至った顧問先との契約は今も変わらず継続しているという。
このようなチャンスをきっかけに、多くのインプットとアウトプットの機会を得て、社労士としての成長スピードは速まった。そして濱田氏は、開業後早い段階から顧問先の企業規模を問わず、むしろ大企業も受託できるような事務所にしたいと考えるようになった。
「社労士のお客様といえば、中小企業のイメージがあると思います。大きな会社を敬遠する社労士もいるようですが、私は上場企業含め大企業でも怖がらずに受けますし、『できます』と言い続けてきました。最初から顧問先に大手企業も多いのはそれも一因です」
これまでのキャリアで大手企業を多く顧客にしてきたことがプラスに働いている側面もある。
また、オーナー社長の会社との顧問契約も多いが、規模が大きく人事部門が組織化している会社との契約も多い。
「手続きと給与計算をお引き受けする顧問先のボリュームゾーンは50~150名くらいの規模。200名を超えると給与計算は専門のアウトソーシング会社に依頼したほうがコストを抑えられるので、そちらをおすすめしています。結果、給与計算は200名弱までが多くなりました。手続き業務の顧問先は2,000名規模までの実績があり、相談顧問の顧問先は従業員規模を問いませんが、8,000名規模くらいまであります。このように、私たちの強みを活かしていただき、価値を感じていただけるお客様はどのようなタイプの企業なのか、ということはよく考えていますね」
規模に合わせて臨機応変に柔軟なサービスの提供を考えていく。これが濱田氏の戦略だ。
転機は2011年の東日本大震災
事務所の節目となったのは、2011年3月の東日本大震災。まだ自宅を兼ねた事務所だったが、その頃に問い合わせのあった営業案件は震災によってすべて中断された。
まだ開業3年目。それほど仕事があったわけでもなく、時間はたっぷりあった。何か策を考えなければと考えていたそんなとき、濱田氏は厚生労働省が発表する計画停電にともなう休業の扱いなどの情報に着目した。暇に任せてわかりやすく情報をまとめたオリジナルFAQを作り、営業案件の顧客に送り続けたのだ。
すると震災が落ち着き始めた6月頃に、FAQを送り続けていた企業から「顧問をお願いしたい」という連絡が相次いだ。「FAQを送ってくれた社労士はあなただけだった」と言って契約を希望する会社が多かったのだ。2011年はその後、多くの顧問先を受注することになり、結果として震災が大きな転機となった。
顧客先や役所を回り、どこに行っていても宅配便の時間までに戻って、発送物を準備してその日の宅配便に乗せる。それを日々、ひとりでこなした。
「一気に忙しくなって、朝から晩まで働きました。当時は電子申請がなかったので、役所に行く手伝いをしてもらい始めたのが、現在パートナーを務める社労士の藤代です」
最初は必要最低限の時間だけ働いてくれていた藤代氏。その後は、様々な顧問先の手続き業務、給与計算業務、相談業務だけでなく、現場マネジメントから業務管理まで担ってくれている。
自宅事務所というわけにはいかなくなり、2012年に恵比寿に事務所を構えた。1つ目の事務所は10坪程度。最初は机が3つで、小さな打ち合わせブースを作るのがやっとだった。その後、マイナンバー制度が本格的にスタートした2016年、セキュリティ確保のため独立した会議室のあるオフィスへ移転。その場所でのスタートは4名体制だった。その後のコロナ禍で事務所を縮小する会社が増える中、スタッフの増員と職場環境改善のために事務所拡大を決め、2021年に現在の3つ目の事務所に移転した。現在は8名体制で稼働している。
現在の顧問先は約100社、グループ会社を含めるとさらにプラス10社程度。顧問先に大手企業が多いのが特徴だが、業種に偏りはなく、業務内容もスタンダードなラインナップだという。ただし手続き業務が減っていく傾向があるので、よりきめ細やかなサービスも提供している。
「きめ細やかなサービスとは、単に手続き業務だけでなく、例えばハラスメントなどの社員の相談窓口サービスなど、付随するサービスを考えて業務の幅を広げることです」
徐々に細やかな周辺サービスを増やしながら、事務所は現在に至っている。
「スタッフ全員が社労士」という強み
2016年、濱田京子社労士事務所は法人化しエキップ社会保険労務士法人となった。事務所の特徴を説明する言葉として、「エキップの4つの強み」を明言している。
「1つ目は『スタッフ全員が社労士』です。顧問先の業務を担当するのはすべて社労士で、派遣社員やアルバイトなどは雇用していません。事務のスペシャリストとして働くスタッフが1名いますが、彼女は他の社労士スタッフたちをしっかり支えてくれています。
2つ目は私自身がアウトソーシング会社にいたので、アウトソーシングのノウハウを熟知している点です。スケジュール管理、品質管理、仕様管理まで徹底してロジカルに整理しています。
3つ目は顧問先に大手企業が多いので、セキュリティをかなり手厚くしているという点です。Pマーク(プライバシーマーク)も取得していますし、すべての従業員が守秘義務誓約書を提出し、入社時に加え入社後も年1回は個人情報取扱研修を実施しています。
4つ目は労務相談対応に強く、トラブルを未然に防ぐための就業規則の構築など、実務対応力がある点です」
「全員社労士」。かなりインパクトのある強みだ。これは、人を採用しようと決めた段階からめざしてきた組織の姿だという。
「開業した当初は、人を雇って大きくしようというプランは特に考えていませんでした。でも、ひとりでは仕事の限界があるとわかったときに、人を採用する際どのような戦略でいくのかを深く考えてみたんです。1つは私のアシスタントを雇う。もう1つはプロ(社労士)を雇う。この二択しかないと思いました。
そのとき思い出したのが、前職時代、『社労士事務所に頼んでいるのに、うちに来るのは社労士じゃない担当者なんだよ』という声を何度か耳にしていたことです。お客様は、いくら知識が豊富でも、社労士でない人が担当者になることに不安があります。そこから『うちのスタッフは社労士です』と言うことで、お客様に安心していただけるのではないかと考えたんです。またお客様の安心だけではなく、サービスの品質を保持するためにも、社労士を採用してプロの集団にしようと決めました」
企業目線と労働者目線のバランス
こうして2012年には有資格者(「1年以内に絶対合格する」と言える人含む)以外採用しないという方針を決めた。とはいえ全員が社労士の社労士事務所はほとんど見かけない。それだけ有資格者の確保は難題なのである。
「採用は苦労していますが、それでもきちんと勉強してきた人を採用したいと思っています。大手事務所に比べ、エキップの規模感なら分業制ではなく、担当者として最初から最後までトータルにお客様と向き合えます。所長の私との距離感も近い。それを楽しめる方なら、エキップは理想的な環境だと思います」
採用する際、どのような人物が理想なのか。そこにも濱田氏独自の線引きがある。
「いろいろな意味で、前向きな人がいいですね。社労士の資格に将来性を感じて興味を持って資格の勉強をした方や、長時間労働やハラスメントの問題なども労働者目線だけで世の中を捉えていない人を採用したいと思っています。
うちの事務所は企業労務をやっているので、労働者目線だけでは仕事になりません。企業側の目線と労働者目線のバランスが必要です。私たちのお客様は企業であって、企業がうまくいくためにはどうすべきかのソリューション提供をしている事務所なので、あまりに偏った労働者目線の方だとミスマッチになってしまうのです」
誰がお客様なのかをしっかりと認識して、業務にあたってほしいというわけである。
「社会貢献という側面からの使命感を持つ社労士の方もいらっしゃいます。ただ社労士事務所として事業をやっている以上、ボランティアでは困ります。お客様に価値あるサービスをどのように提供するのか。そこをしっかりと考えられる感度が高い人と一緒に仕事がしたいと思っています」
手厳しい意見だが、現実的でうなずける話である。
新しい出会いからサービスレベルをアップ
エキップでは、手続き業務や給与計算などの実務だけではなく、就業規則や人事評価制度などの制度構築も多く手掛けている。もちろん、労務相談業務はすべての顧問先に提供しているサービスだが、他にも管理職研修や社員相談窓口、産前産後・育児休業制度の個別相談など、顧問先のニーズに合わせたサービスを提供している。コロナ禍以降、研修や相談などもオンラインで行うことが多くなり、タイムリーなサービス提供ができるようになってきている。
こうして毎年、顧問数も売上も順調に増えているエキップ。最終的にはどのような形をめざしているのだろうか。
「割と計画的にやっているようなふりをして、実はあまり大きな野望とかはないんですよね(笑)。ただ、新しいお客様と出会うことで、新しく学べることがあったり、新しいことのインプットができたりする。やはり私たちは経験がサービスに転嫁されるので、新たなお客様を取り続けることがサービスレベルの向上につながると思っています」
エキップの事業規模が変わってきたことで、依頼者の質も変わった。
「ターゲットは大きな会社と言い続けてきましたが、事務所の規模が大きくなったことで大手からの問い合わせを受けやすい環境がそろったことは、成長の追い風だと思っています」
2011年の東日本大震災ではピンチをチャンスに変えることができた。2020年に突発したコロナ禍はどう乗り越えたのだろうか。
「2020年には何件か解約がありましたが、自然淘汰されて解約の痛手はあまりなかったですね。むしろ2020年4月から追い風が吹き始めました。コロナ禍になる前から超大型案件が動いていて、その案件が決まったことで仕事も売上も劇的に増えたのです。大きな会社で単価も高く、仕事量も多いので、スタッフたちが鍛えられました。コロナ禍で沈むのではなく、むしろその会社との関係性によって、さらに仕事が増えています」
コロナ禍で社労士が活躍した助成金分野には、一味違った角度で挑んだという。
「コロナ禍では助成金で稼ぐ社労士が多かったのですが、私は助成金の仕事はやりたくなかった。もしお客様の希望があった場合には、オンラインで助成金支給申請の仕方を伝えることにしました。『ここに何を書くのか』『どのような添付書類が必要なのか』といった質問に答えて、お客様が自身で書類を作れるようにしたんです。結局、うちは助成金代行を1件もやりませんでしたね。
またコロナ禍に実施したオンライン労務セミナーはお客様からの評判がとてもよくて、今でも定期的に年3~4回は顧問先限定で開催しています。旬な話題を取り上げていますが、毎年秋には翌年の法改正をまとめて解説するのが恒例です。『今年の法改正セミナーはいつですか?』と確認が入るほどになったのは、とてもありがたいことだと思っています」
仕事のように遊び、遊びのように仕事をする
社労士は知識の幅が広いので、試験勉強に出る問題だけ覚えていれば仕事ができるわけではない。ましてや労働基準法だけ知っていても、お客様の質問に答えられるわけではない。濱田氏自身、開業1年目は質問されても、どう答えてよいのかわからないことがかなりあったと振り返る。
「いまだに覚えているのが『36協定ってあるけれど、本当の残業の上限は何時間なの?』と聞かれたことです。当時はまだ法令上、上限規制がない告示の時代だったので、告示違反ではあっても法違反ではない状況でした。どのように答えればわかってもらえるのか、と悩みました。
そのとき、知識として時間外労働時間の上限は月45時間、年360時間と覚えていても、どうすれば解決するのか、どう説明すれば相手がわかるのか、という観点でインプットしていなかった自分を猛省しました。調べればわかることを一生懸命覚えるだけでは、仕事としては使えません。物事の捉え方としてその視点が抜けていたなと思い直しました。それからは『知識があってもお客様の役に立たなければ意味がない。正しい知識を活かせるように、世の中をウォッチできるようにしていこう』と考えるようになりましたね。
例えばニュースを見ているときも、『この考えの根拠は何なのか、いったい何が起こっているのか』という視点で考えれば、お客様に役立つ情報として整理できるようになります」
他業界と同様、社労士も積極的に新しいことにチャレンジし、成長していかなければならないと濱田氏は言う。成長に向けたエキップでの取り組みについても教えていただいた。
「エキップで仕事をすれば、役立つ考え方や知識を得ることも、幅広い経験を積むこともできるという事務所になりたい。そして一人ひとりの成長スピードも事務所としての成長スピードも上げていきたいと思っています。そのために数年前からうちのスタッフたちは、個々に専門分野を選択し、研究してもらうようにしました。例えば派遣法、年金問題といった、普段はあまり質問されないけれど、たまに聞かれるような話題があります。そうした話題のすべてを全員が同じレベルで勉強するのは大変なので、年金が得意な人には年金、派遣法に興味ある人には派遣法などと専門分野を分担して決めて、月1回勉強した内容をシェアする機会を設けたんです。担当が決まっていれば、情報のキャッチアップがしやすくなりますよね。このような取り組みが、積極的にいろいろなことを学ぼうと考えるきっかけになって、社労士としての成長につながればと思っています」
現在、相談業務のみの顧問先が100社中35社ほどある。相談顧問の業務の多くは濱田氏が担当しているので、「四六時中、相談対応をしている」そうだ。働き方の多様化とコロナ禍もあって、2022年から2023年にかけて制度の見直しやルールの改正など、いろいろな相談が目白押しだった。
「お客様のやりたいことをどう実現すればいいのか、どのようなルールがいいのか、制度としてはどのようにすればいいのか、バリエーションをどう展開するのか。そこは知恵の見せどころだと思っています。
私は仕事が大好きだから、仕事しているみたいに遊んでいるし、遊んでいるみたいに仕事をしています(笑)。境目は特にないので、休みの日にメールも見るし、用事があれば平日でもあっさり早く帰ります」
これから社労士をめざそうとしている人に向けても、濱田氏らしい直球のメッセージを送ってくれた。
「YouTubeやWebサイト、ブログなどを見ていると『社労士、すごくもうかります』と言っている人がいたり、逆に『ダメ』と言われていたり。どれが本当かわからなくなってしまいますよね。この仕事がもうかるかもうからないかはわかりませんが、私は事業としてきちんとやろうと考えている人なら、ある程度仕事として成り立つと思っています。
なぜなら『人が働く』というテーマは、永遠に存在し続けるからです。手続き業務をシステムやAIが担うようになっても、人が働かなくてよくなることはないでしょう。かつ、日本人が全員業務委託になることもおそらくないはず。つまり、労働という企業と働く人の関係性はなくならないということです。何に価値があるのかという点を考えていれば、仕事は絶対にあります。そこから先は、社労士となったあなたのやり方次第です」
[『TACNEWS』日本の社会保険労務士|2024年2月号]