日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2024年1月号

大久保 俊治(おおくぼ しゅんじ)氏
Profile

大久保 俊治(おおくぼ しゅんじ)氏

税理士法人オーケーパートナー 代表社員
株式会社オーケーサポート21 代表取締役
税理士 行政書士

1972年生まれ、埼玉県川口市出身。1995年3月、明治大学商学部卒業。同年、千葉銀行入行。1997年12月、税理士試験合格。1998年7月、千葉銀行を退職。荒川区町屋にある大久保会計事務所に入所。1999年4月、税理士登録。2010年9月、大久保会計事務所3代目就任。2017年7月オーケーパートナー代表社員に就任、現在に至る。

「最高のパートナー」であり続けるために。
創業からの理念を大切に、時代の流れにしなやかに対応していきます。

 東京都荒川区町屋にある税理士法人オーケーパートナーの創業は昭和16年(1941年)。80年以上も続く老舗会計事務所の3代目が、代表社員、税理士の大久保俊治氏だ。大久保氏はどのような思いで老舗の会計事務所を継承したのか。引き継ぐに当たってどのような事務所にしたいと考えたのか。3代目というプレッシャーはなかったのか。大久保氏の足跡を追いながら、会計事務所の事業承継、そして税理士業界のこれからについて語っていただいた。

在学中に会計2科目合格、銀行員3年目で5科目制覇

「町屋(東京都荒川区)にある税理士法人オーケーパートナーの前身である大久保会計事務所は、昭和16年(1941年)に旧計理士法により計理士業を伯父が始めて、父が2代目を継ぎました。その2人が生まれ育ったのが町屋です。父は結婚を機に町屋を出て、私が生まれたときは埼玉県川口市に住んでいました。その後、千葉県我孫子市に家を建てたので、私は長く我孫子市で暮らし、結婚後も我孫子市に住んでいます。私自身、町屋で3代目をしていますが、実は町屋には一度も住んだことがないんです」

 笑顔で話し始めた大久保氏。小さい頃からしばしば町屋に遊びに行っていたので、税理士が何をするのかはよくわかっていなかったものの、父親が税理士だとは認識していた。税理士一家の二男である大久保氏。長男も税理士資格を持っている一家で、なぜ3代目を継ぐことになったのだろうか。順にその軌跡を追っていきたい。

「町屋の事務所はもともと伯父が営業を担い、父が事務所内を固めるという体制で運営していました。ただ、私の母も税理士だったため、途中から父と母は夫婦で独立して文京区湯島で別の会計事務所を始めたのです。しかし1992年に伯父が脳梗塞で倒れたため、父が両方の事務所を見るようになり、2004年に父が2代目として町屋の事務所を継ぐことになりました」

 湯島の事務所は両親の意向で長男が継ぐように言われていたので、現在は大久保氏のお兄さんが税理士として代表を務めている。一方、二男坊の大久保氏は将来について特に何も言われず育った。中高一貫の、明治大学付属 明治高等学校・中学校を出て、そのまま明治大学商学部へ進学。エスカレーター方式で大学まで進んだので受験もなく、将来やりたいことも、当然資格取得についても考えたことはなかった。初めて資格を意識したのは大学に入ってからだった。

「大学1年からアメリカンフットボールを始めたのですが、椎間板ヘルニアを患い、治療しても復帰できなくなったんです。大学で打ち込めるものがなくなって、将来のビジョンもない状態でした。
 一方、商学部の仲間には税理士をめざしている人が多くいました。そんな仲間たちを見て、両親も税理士だし、時間もあるから自分も勉強してみようかなと思ったんです。それで日商簿記検定3級を受けてみたのが、税理士をめざしたきっかけでした。大学2年の秋から税理士試験の勉強を始め、3年で簿記論、4年で財務諸表論に合格しました」

 在学中に会計2科目合格。そのまま税理士をめざしてまっしぐらかと思えば、大久保氏は卒業後の進路として金融機関を選んだ。

「たまたまケガをして時間ができたから、そして両親が税理士だったから勉強を始めただけで、税理士になろうという強い意思があったわけではありませんでした。周囲の税理士をめざしている仲間たちは、大学院に進学したり、会計事務所に就職して働きながら受験を続けたりする人がほとんどです。でも自分には、どうしても税理士になりたいという強い思いはなかった。そのため、ひとまずは一般企業へ就職しようと考えて、大学3年の終わりから就職活動をしました」

 モラトリアムの状態で将来を考えたとき、銀行なら幅広い業種の融資先を通していろいろな商売を見ることができる。どういう業界がどういうしくみで儲かっているのか、世の中が見えてくるのではないだろうかと考えた。

「銀行の仕事がおもしろければ、そのまま銀行の仕事にのめり込めばいい。税理士の受験勉強は一応続けるけれども、仕事にのめり込んだ結果、資格が取れなくても構わないと考えていました」

 大学卒業後、大久保氏は千葉銀行に入行し融資係に配属された。当時の銀行の融資管理はバブル経済がはじけた直後で、債券回収業務がメインだった。

「融資の返済が延滞したお客様に督促をして回収する。そんな仕事が多くて、お客様から喜ばれる仕事とはほど遠かったんです。やりがいはありましたが、後ろ向きな仕事がほとんどでした」

 お客様に喜ばれる仕事がしたい。そんな思いを抱えていた銀行時代の3年目、大久保氏は勉強を続けていた税理士試験で5科目合格を果たした。

 働きながら税理士試験を制覇。これは簡単なことではない。実は大久保氏は、就職すれば税理士の勉強ができなくなると考えて、大学を卒業する前から所得税法の勉強をスタートしていたのだ。社会人1年目で所得税法に合格、2年目に国税徴収法、3年目に固定資産税に合格し、5科目合格を果たした。地道な努力と戦略によって、社会人になってから3年連続で税法3科目合格という結果は快挙と言っていい。

「就業時間が長い金融機関に勤めたら絶対に資格は取れないよ、と周囲に言われていたんです。それを聞いて『絶対ダメってことはないだろう』と意地になって奮起しました。とはいえ仕事と受験の両立はものすごく大変で、所得税法は大学時代から勉強していた貯金で何とか1年目に合格したものの、同じ学習量を働きながらこなすのはきついと思ったんです。そこで残りの2科目は比較的ボリュームの少ない科目をねらいました。5科目合格することを優先したんです」

 合格したのは結婚を決めた年でもあり、同じタイミングで父親が大きな手術を受けて事務所に出られない時期でもあった。いろいろなことが重なって、大久保氏は4年目に銀行を退職し、町屋の事務所に入所。税理士としての第一歩を踏み出した。人生最大のキャリアチェンジは、1998年、大久保氏が26歳のときだった。

銀行員時代の経験を糧に、税理士としてスタート

 銀行員も税理士も、中小企業を顧客として仕事をする。しかしその顧客との距離感がまったく違う点が、税理士になって最初に感じたことだった。

「中小企業は1995年からの10年、景気が悪い時期にかなり倒産しました。一般的に、会社が倒産したり不渡りを出したりするとき、銀行は会社側から何も教えてもらえません。もし事前に『今から倒産します』と銀行に正直に言えば、預金などをすべて差し押さえられてしまう。だから企業側は、倒産手続きに必要となる弁護士費用や裁判費用を確保するために、こういった情報を教えないんです」

 銀行員時代の大久保氏は、こうした関係性が普通だと思っていたのだ。

「ところが会計事務所に入ってお客様と関わってみると、その考えは一変しました。顧問先は、日々の領収書から取引関係まで、すべてオープンに見せてくれます。きちんと正しい税務申告をしなければいけないので、隠しごとはできません。そして会計事務所は、経営状況が悪ければそれに応じた相談にも乗ってくれます。何十年とおつき合いが続くお客様もいます。本当に親身になって相談できる第三者、一番近い存在が税理士なんだ。心の底からそう感じるようになりました」

 自分のやりたいことが見つかった。もしも学生からそのまま会計事務所に入っていたら、こうした銀行との距離感の違いも税理士という仕事のありがたさもわからなかっただろう、と大久保氏は話す。

「最初から会計事務所に入ってしまうと、大学を出てすぐ『先生』と呼ばれてしまう。それが当たり前になってしまうと、ありがたみがわからなくなってしまうんです。銀行ではいろいろなお客様からクレームが寄せられるし、トラブルになることもあります。そこで苦労したぶん、会計事務所とお客様の関係が当たり前ではないことが、身を持ってわかりました。
 何より銀行員の自分には見せてもらえなかったものを、税理士の自分になら見せてもらえるんです。洗いざらい見せもらえるからこそ、私たちには支援できることがたくさんある。そんな貴重な情報を出してもらえていることへの感謝とやりがい、責任をものすごく感じるようになりました。同時に、その情報をお客様へのサポートにしっかりと活かさなければならない。日々この使命を強く感じています」

 大久保氏は銀行での融資管理業務の経験が、現在の業務にも非常に役立っていると話す。一方、中小企業側も、大久保氏が銀行員だったからこそ、銀行側がどう対応するのか、貴重な意見を聞くことができる。Win-Winの関係が、お互いの信頼をますます深めているようだ。

既存の路線を崩さずに会計事務所の3代目に就任

 大久保氏が町屋の事務所に入った当時、事務所はすでに50年近くの歴史があった。当然、古くからおつき合いのある顧問先もたくさんある。当時の所員数13名は、荒川区では決して小さくはない規模で、長年在籍するベテランスタッフも多かった。大久保氏は入った当初、その雰囲気になかなかなじむことができなかったという。

「千葉銀行では業務上のルールがきちんと決まっていたうえ、マニュアル化も進んでいて事務処理方法も効率的でした。ところが街の会計事務所はルールが形骸化していて、きちんと守られていなかったり、仕事のやり方やスタンスがそれぞれに違っていたりで、最初は大きなギャップを感じました。入ったばかりで何もできないくせに、『なあなあはダメだ』とスタッフたちにダメ出ししていましたね」

 しかし、中には自分が生まれる前から在籍している番頭役の所員もいるので、どうしても子ども扱いされてしまう。実力がないから余計に悔しいのだが、税理士資格があっても子ども扱いされてしまうのはつらかった。日々、人間関係にあつれきを感じながら、大久保氏は事務所を働きやすい環境にしようと、自分なりに少しずつ改革に向けて動いた。
 まずは先代の父親が在職しているうちに、先代がやりたいと言っていたことも含めて経営方針を固めた。その後は事務所の経営計画を策定し、セミナーを開催して事務所から情報を発信することも始めた。その後2007年に伯父が亡くなり、2010年に父親が亡くなったあと、大久保氏は3代目として町屋の大久保会計事務所を引き継いだのである。
 3代目になったとき、大久保氏は「同じ路線を崩さずいく」という経営方針を固めた。そのときの思いを、次のように話している。

「2010年に父が亡くなったとき、これからは『大久保会計事務所』の看板を私が背負うのだという強い自覚が生まれました。その時点で私もすでに12年間、大久保会計でのキャリアを積んでいましたが、長いおつき合いのあるお客様には伯父や父のファンが大勢います。そんな方たちの期待を裏切らないように、『時間に関係なく困っているお客様に手を差し伸べる』という創業以来の理念を大切にしていくことを決めたんです。ただし時代が移り変わり、いろいろと変えていかなければならない部分も増えてきたので、そこは流れに沿って臨機応変、柔軟に変えつつ、今に至っています」

 同じ路線を崩さずに、流れに任せ臨機応変に。逆行はしない。大久保氏が3代目所長に就任してから、事務所は大きな波風が立つことなく成長を続けている。またそれだけではなく、大久保氏が入った当時は荒川区内の顧問先がほとんどだったが、この25年間で千葉県内の顧問先が多くを占めるようになったのである。

「私の代になってから、千葉銀行からの紹介で、千葉県のお客様がかなり増えました。千葉銀行は中小企業のお客様と多数取引があり、千葉県内では圧倒的に強い金融機関です。私が勤めていたキャリアもプラスに働いて、かなり手堅い紹介ルートなので非常に助かっています」

 古くからの顧問先を大切にしつつ、銀行からの紹介を取り入れていく。縁を大切にする大久保氏らしさが、事務所の収益を伸ばしている。

MAS監査を強みに新たなサービスを展開

 オーケーパートナーの特徴の1つに、業種特化や専門特化をしないことがある。以前は荒川区の製造業の顧問先が多かったが、現在はIT系企業、飲食業、診療所と業種も幅広く、業務の専門特化もしていない。

「リスクヘッジも含め、いろいろな業種を見ていく。銀行員になった理由でもありますが、どの業界がどういうしくみで儲かっているのかを見ていくことが、私は好きなんです。あえて特化しないことで、私たちの知識も広がるので、業種や業務は絞らずやっています」

 さらに大久保氏が注力している業務に、MAS監査(MAS=Management Advisory Services。財務の視点から目標達成に向けた企業経営支援を行うこと)がある。

「顧問料をいただいているからには、毎月巡回監査をするだけでなく、決算書に基づいて翌月以降何をするべきか、経営計画などでサポートすることで、お客様の望んでいる会社の姿に近づけていくことが大切です。それが顧問として毎月お会いしている意義だと思っています」

 経営計画、経営会議の進捗管理といったMAS監査は、金融機関との親和性が高く、まさに銀行員だった大久保氏の真骨頂と言っていい。MAS監査を通して、業種を問わず、会社を成長させたいという思いの強い会社や前向きな会社を積極的にサポートしている。

「事務所のビジョンは、『ゆめをつむぐ経営サポート』『あんしんをつなぐ相続サポート』。理念は『最高のパートナーであり続けます』。お客様にとって、もっともよい道を示して一緒に伴走していきたいと思っています」

 毎月の巡回監査を徹底して行うことも、TKCの会員であるオーケーパートナーの特徴の1つだ。

「毎月訪問する中で、お客様がどのようなことで困っているのか、潜在的ニーズも含めて担当者が課題を拾います。それを自分たちで解決できれば課題解決に取り組み、専門家の力を借りたほうがよいと判断すれば、幅広いネットワークで多様な専門家とタッグを組んで解決するのです。自分だけで何とかしようとして、結局パンクしてしまうようなことがあってはいけないからです。つまり担当者は決算を組むだけでなく、お客様の課題解決のためにどうするかを考える、ハブ的役割を担う位置づけですね」

 専門特化はしないが、お客様のニーズがあれば外部の不動産専門家、保険の専門家、MAS業務の専門家と連携したり、遺言書作成のために司法書士と連携したりして課題解決に取り組む。税務申告や確定申告だけでなく、事業承継を含めて、中小企業経営者の経営に関する悩みのすべてに応えていきたい。それはオーケーパートナーが、『最高のパートナーであり続けます』を理念に掲げている所以と言えるだろう。

スキルを求めず、いい人を採る

 現在総勢20名、うち税理士が4名、顧問数は個人・法人あわせて300件以上、その他確定申告が約200件。数字を見る限り、事務所はかなりの規模に成長している。しかもこれだけの件数を抱えても「一人当たりでたくさんの業務を抱えている感覚はない」と、大久保氏は話す。秘訣は、事務所改革によって効率的なしくみの土台が確立されたため、若いスタッフが定着してきていることにあるようだ。しかし、ここまで来るにはとても長い道のりがあった。大久保氏は、事務所作りにこそ一番苦労してきたからだ。

「まだ2代目がいた15年前、採用や面接はすべて私が担当していました。最初はキャリアのある人を採用していたのですが、この業界を渡り歩いている人には癖が強い人も多く、入所後、事務所の雰囲気をかき乱してしまうケースが多々ありました。そうなるとまじめにやっている他の所員のモチベーションを下げてしまいます。あるときは9時の就労時間が始まっても新聞を席で読んでいた人がいました。なぜ仕事中に新聞を読んでいるのかと聞くと、お客様のために情報を集めているんだと言われてしまって…。トラブルが重なり、私自身、事務所に行くのが嫌になってしまうぐらい参ってしまった時期があったんです。
 行き着いた先が『スキルを求めず、まずはいい人を採る。まじめにお客様に向き合おうとする人、お客様をよくしようと思っている人であれば、スキルはあとからついてくるはずだ』と、人柄重視の採用に路線を変えることにしました」

 採用で試行錯誤する大久保氏を、先代は温かい目で見守ってくれていたという。

「その段階で自分がトップだったなら、営業にも奔走しなければならなかった。何かあったときは先代が責任を取ってくれる後ろ盾があったからこそ、採用に集中できたし、いろいろなチャレンジもできたと思っています。いつも助けてくれた先代に、感謝の気持ちでいっぱいです」

 人柄重視の採用に方針転換してから、人で悩むことが減り、落ち着いた平和な日々が続いている。

法人化によってスタッフに「第三の選択肢」を用意

 2010年に3代目として事務所を引き継いで7年目。大久保氏は事務所を税理士法人オーケーパートナーとして法人化を果たし、千葉県柏市に支店を出して2拠点体制をスタートした。3代目になって一番大きな変革である。
 大久保氏が分析したところ、都内は企業数も多いが会計事務所数も多い。一方、千葉県の法人数は東京よりも少ないが会計事務所数はさらに少ない。加えて一事務所あたりの法人件数は千葉県のほうが多く、競合も比較的少なかった。

「拠点展開を始めたもっとも大きな理由は、千葉銀行から紹介された千葉県のお客様を開拓していくには、千葉に拠点がなければ立ち行かなくなるだろうと考えたことです。そこで常磐線の柏エリアに拠点を構えることにしました。
 税理士法人化したのは、拠点展開によって所員に支店長になるルートを作るためです。税理士資格を取得したあと、勤務するか独立するかの2択だけでなく、半独立の感覚で自分の責任とリスクを半分負いながら仕事ができる、第三の選択肢を作りたかったのです。すでに税理士になった所員が拠点設置を希望しているので、東京都大田区大森に新しい支店を作る計画を進行中です」

 柏支店の責任者も、支店を任されるようになってから気概と責任感が強くなった。所員の成長と意識を高めるためにも、拠点展開は大切だと大久保氏は期待している。
 プライベートの話になるが、大久保氏には息子が2人いる。今年24歳になる長男は、2022年に税理士試験に3科目合格し、大学院に進学して論文が通れば税理士合格の要件を満たせるという。とはいえ、卒業後の2024年4月からは金融機関に入社することが決まっているそうだ。

「いずれは税理士になってくれればいいなとは思います。ただ私と同じで将来なりたいものが特にないというので、『社会に出るにあたって何か武器を持っていたほうがいい。資格はいざというときに潰しが利くから』とすすめてはみました。とはいえ現時点で税理士をめざしているわけではないので、まずは別の就職先を自分で探して決めたようですね」

 先代の頃に比べて人が増えてきたので、事業承継はきちんと準備しなければならないと大久保氏は考えている。大学時代の自身と同じく、長男の将来はまだ未知数だ。

「私が事務所に入ったのは父が67歳のとき。私がその年齢に達するまで20年近くありますが、今は法人同士の合併などいろいろな事態が起こりうる時代です。私たちは税理士を増やしながら、拠点展開に力を入れていきたいと思っています」

やりたい業務が何でもできる環境

 オーケーパートナーでは、スキルアップのための新人教育に余念がない。巡回監査については加盟しているTKCの研修プログラムを用意し、組織全体の共通認識を学ぶ勉強会も毎月実施している。この事務所で働く魅力について、大久保氏は次のように話している。

「オーケーパートナーのスタンスは、お客様の困っている課題についてすべてお応えしていこうというもの。業務や業種にとらわれないので、いろいろな知識を吸収できる点が一番大きな魅力です。会計事務所自体はやれることが限られていますが、ネットワークを組めばお客様に提供できるサービスは無限大に広がります。
 とにかく幅広い相談を受けるのでわからないことも多いですが、そこはネットワークを駆使して専門家の説明を隣で聞けるチャンスでもあります。お金にまつわるいろいろな問題に対してどう対応すればいいのか、何がおすすめなのか、どれがお得なのか…。様々な問題に対応できる引き出しがどんどん増えていくでしょう。自分たちの知識も高まり、対応範囲が広がっていくのが、オーケーパートナーで働く一番のメリットだと思います」

 スタッフは、業界未経験者が多い。入ってきてから総合的に業務を行う中で、相続税申告などを学ぶ機会も出てくる。未経験者がいろいろなことに取り組めるチャンスと機会が豊富にあるだけでなく、困ったときは周囲のメンバーがフォローしてくれる文化がある。

「M&Aといった難易度の高い経営課題も、丸ごと外部専門家に依頼することもできるし、興味があれば部分的に自分が関わることもできます。いろいろな経験の中で、これを自分の強みにしたいというものがあれば、それをメインにやってもいい。これをやらなければダメという業務はないので、本人が相続業務を希望すればできますし、M&A業務を希望してももちろんできます。何でもできるイメージですね」

 そのような環境のせいか、法人内の雰囲気は和やかで明るい。お客様にとってよいことであればあと押ししてくれる代表の思いが、法人内にまんべんなく行き渡っている。
 オーケーパートナーのロゴは、「大」の字を古い造り酒屋のような文字にして横たわらせ、上下に「創業昭和十六年」と漢数字で入れてある。80年以上の歴史ある「老舗の会計事務所」であることが、ポジティブなインパクトを与えるからだ。「古くさいのではなく、古くからやっていることが信頼につながっている」と大久保氏は言う。そこには先代の思いのバトンをつなぎながら3代目を承継し、新たなMAS監査などにも取り組んでいく、大久保氏の気概が感じられる。

「生涯現役でできるのが士業の魅力ですが、今、税理士業界は80歳前後の方の割合が多くなっています。その先生方の世代の割合がこれから先の10年で急激に減少してしまったとき、顧問先の受け皿になれる事務所が不足してしまう。逆に言えば、若い人が参入するものすごいチャンスがあるんです」

 「高齢化した業界の中で、受け皿として税理士が増えなければならない。人が少ないと競争原理が働かなくなるので、税理士の質が落ちてしまう可能性もある。ぜひ税理士をめざしてがんばってほしい」──。大久保氏は、若い人に将来を託したいと願っている。


[『TACNEWS』日本の会計人|2024年1月号]

・事務所(町屋オフィス)

東京都荒川区町屋8-8-7 大久保ビル

Tel.03-3892-4426

URL:https://okpartner.co.jp/

おススメ記事

「TACNEWS」に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。