日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2022年10月号
渕 香織氏
渕香織タックスアンドコンサルティング
代表 税理士
渕 香織(ふち かおり)
大阪府堺市出身。関西外国語大学外国語学部英米文学科卒。同志社大学大学院法学研究科私法学専攻修了。大学卒業後8年間航空業界に勤務したのち、税理士をめざして退職。個人会計事務所を経て、2006年、新日本アーンストアンドヤング税理士法人(当時)入所。2007年、税理士登録。4年間の勤務を経て、2010年12月、渕香織タックスアンドコンサルティングを設立。2022年4月、マレーシアに移住。
税理士業界全体の底上げのためにも、
若い税理士に英語スキルを磨いてほしいです。
渕香織氏は、大手税理士法人での国際税務コンサルティングの経験をきっかけに活躍の場を世界に広げた税理士だ。独立後、国際税務を打ち出すと、英語でわかりやすく税務・会計のアドバイスができる税理士は驚くほど少なく、「英語力×税理士」のシナジー効果が「自分にしかできない専門分野」を生み出すトリガーとなったという。現在、国際税務と外資系会計業務を専門に、マレーシアに移住して活躍する渕氏に、税理士になった経緯から国際税務に関わったきっかけ、マレーシアに移住した経緯などをうかがった。
「自分にしかできない仕事」を求めて
コロナ禍は人々の生活、そして人々の働き方にも大きな影響を与えた。在宅勤務などが当たり前になり、「場所を選ばない働き方」を日常のものにした。
2010年12月に「渕香織タックスアンドコンサルティング」を立ち上げた税理士・渕香織氏は、2022年4月にマレーシアに移住しながらも、日本の税理士業務を遂行するという、時代の流れに乗った働き方で活躍する税理士のひとりだ。
「移住の際、海外に行っても日本の税理士資格を登録したまま仕事ができるのかが、一番心配でした。でも、大手外資系税理士法人には日本の税理士登録を維持しながら海外で働く駐在員が多いので、何らかの方法があるはずだと思い、税理士会に相談しながらマレーシア移住を進めました」
独立開業して12年、マレーシアに移住して半年。海外在住の税理士、渕香織氏のキャリアを追ってみた。
「外国人と話してみたい」「いつか外国へ行ってみたい」「世界とつながりたい」。高校時代から日本の外の世界に憧れていた渕氏は、関西外国語大学外国語学部に進学。大学4年の夏から1年間、アメリカのワシントン州立大学へ留学した。留学にあたって受けたTOEFL®は決して高得点ではなかったが、やる気に満ちた渕氏を、ゼミの教授が推してくれたというエピソードもある。留学先では国籍を問わずグローバルに友人ができて、帰国後もインドネシアの友人宅に招待されるなど、インターナショナルな環境を楽しんだ。そんな学生時代からの海外への憧れが、現在のマレーシア移住にもつながっている。
大学卒業後は得意の英語力を活かした仕事を求めて、開港したばかりの関西国際空港の機内食会社に入社し、営業部カスタマーサービス部に配属される。国際空港の空気感が好きで、仕事は楽しかったが、次第に「どうしても航空会社に入りたい」という思いが強くなって、2年後に外資系航空会社に転職。機内食部に配属され、フライトコーディネーターやディスパッチオフィサーとして成田国際空港で働くことになった。
憧れて入った航空会社には、座席に空きがあれば無料で搭乗できる社員優待制度があった。渕氏は時間を見つけては世界各国を巡ったという。
「とてもうれしい福利厚生もありましたし、仕事も楽しかったですね。ただ次第に、このまま一生続けていく仕事ではないなと思うようになってきました。もっと手に職をつけて、自分にしかできない専門的な仕事がしたい。そう思ったときに浮かんだのが税理士でした。いろいろな職業の本を見た中で興味を引かれましたし、イベントで複数の有資格者の方とお話ししたときに『税理士っておもしろそうだな』と思ったのです」
関西国際空港に2年、成田国際空港に6年勤務した渕氏は、税理士をめざすために思い切って退職。同志社大学大学院法学研究科に入学して、会社法を専攻した。同時にTACの税理士講座にも通い、受験勉強をスタートする。
「当時はまだ大学院の法律学専攻による税法3科目免除の制度がありました。私はTACで学んで簿記論・財務諸表論を取得して、大学院を修了して、税理士資格を取得したのです」
こうして渕氏は税理士としての第一歩を踏み出した。
外資系税理士法人で「英語力×税理士」にめざめる
税理士業界のことをよく知らず「税理士の働く場所は、個人の会計事務所しかない」と思い込んでいた渕氏。最初に勤めたのは、都内にある個人事務所だった。
「街の会計事務所に入ってみると、びっくりすることがたくさんありました。ずっと外資系企業に勤めていたので、有給休暇をすべて消化するのは当たり前だと思っていたのですが、当然のように会計事務所に入ってからも有給休暇をすべて使おうとしたら、ものすごく怒られて(笑)。また外資系企業では自分の仕事が終わったら定時に退社するのが当たり前ですが、そこも空気を読まなければなりませんでした。一事が万事そんな調子で、いくつかの個人事務所を経験しましたが、なかなか私に合う事務所は見つけられませんでした」
どこかに自分に合う事務所はないか。そう考えていたとき、たまたま新日本アーンストアンドヤング税理士法人(現:EY税理士法人。以下、EY)が派遣社員を募集していた。
「入ってみたら、ものすごく居心地が良くて、このままここでずっと働きたいと思いました。そこで上司に『私、ここの正社員になりたいです』とお願いして正社員にしてもらったのです。すでに35歳だったので、正規のルートでBig4の採用選考を受けても入れなかったかもしれない。そう考えると、本当に運が良かったと思います」
個人事務所では顧客の月次監査、決算書作成、確定申告業務がメインだったので、EY入所当初は法人税申告書作成業務、税務監査業務を任されることになった。だが周囲を見渡すと、外資系法人のEYには、国際税務でグローバルに活躍している税理士が大勢いた。
「自分も英語のスキルを活かして、国際税務で活躍したいな」
渕氏は、自ら挙手して異動願いを出した。
「グローバル企業や海外進出する上場会社の国際税務は、今まで経験したことがないくらい難易度が高い仕事が多かったので、最初はとまどいました。でもそこで初めて大好きな英語と税理士の仕事を結びつけることができて、『英語ができると、こんなにメリットがあるんだ!』と実感しました」
「英語力×税理士」。「自分のやりたいこと」が見つかった瞬間だった。渕氏が国際税務コンサルティングにのめり込んでいくのは、ここからだ。
国際税務コンサルティング部はハイパーエリート揃い。チームにはTOEIC®のスコアが900点以上の日本人や外国人メンバーが大勢いた。いくら英語ができるといっても、今のレベルのままでは脱落してしまう。焦った渕氏は、スキルアップのために必死に英語の勉強をした。
「ミーティングもメールもすべて英語。税理士になってから初めて経験する英語の環境に、すごくグローバルな空気を感じました。同時に自分も英語で活躍できている、切磋琢磨している雰囲気が好きでした」
国際税務コンサルティング部では、国際税務コンサルティングのほか、経済産業省に出向し、国際税務税制改正要望をまとめる仕事にも関わるなど、多彩な活躍をした。あまりの居心地の良さに、あっという間に4年。気がつくと、意外にも長い時が経っていた。それでも「いつかは自分で起業したい」という思いがあった渕氏は、独立するタイミングをうかがっていた。
一般的に外資系企業は、経営が悪化すればすぐ「早期退職プログラム」を実施し、人手不足になれば大量採用する傾向がある。渕氏が在籍していたEYも、あるとき「早期退職プログラム」を発表した。「退職金が2~3倍もらえるし、やめるのならこのタイミングだな」。渕氏は、プログラムに応募してEYを退職。独立開業に踏み切った。
国際税務メインに独立開業
2010年12月、渕氏はEYを飛び出して、クライアントゼロの状態で税理士としての第一歩を踏み出した。EY在籍時から、「開業したら、お客様は街のお店や中小企業で、昔勤めていた個人事務所のような仕事をするんだろう。国際税務には、Big4のような大手税理士法人に再就職しない限り、もう携わることはないだろうな」と思っていた。開業する際も、国際税務を打ち出さない方が親しみを持ってもらいやすいだろうと考え、事務所ホームページには、あえて国際税務を打ち出さなかった。するとある友人から「国際税務ができる税理士なんて、大手以外にそうそういない。絶対ウリとして打ち出すべきだよ」とアドバイスをもらった。
「個人の税理士に来る国際税務の仕事なんて、本当にあるのかな」
自信がないまま事務所ホームページへ全面的に国際税務を打ち出すと、想像を遥かに超える問い合わせが来た。「国際税務の専門家は本当に少ないんだ」と、渕氏はこのとき痛感したという。
軸足を国際税務に据えたとはいえ、何しろクライアントゼロの状態からのスタートだ。1年目は問い合わせこそあれ、きちんとした売上にはつなげられなかった。
「本当にこれでちゃんと食べていけるのか不安でした。どうやればお客様を増やせるのか。いろいろな本を読んだり、セミナーに行ったり、最初の2~3年は特にWebマーケティングを中心によく勉強していました」
努力が実を結び、1年経つと徐々に仕事が増えて、2年目には売上が一気に伸びてEY時代の給料を超えた。渕香織タックスアンドコンサルティングは「身近な国際税務のスペシャリスト」という一本の軸で、軌道に乗ることができたのである。中小企業の海外進出は増加傾向が続き、開業から10年経った現在も、事務所が受注する国際税務案件は増え続けている。
売上というハードルは想定よりも容易にクリアできた。同業者からも順調に成功への道を歩んでいるように思われていた開業5年目、事務所はひとつの壁にぶち当たる。スタッフを採用する度に「うまくいかないこと」が起きてきたのである。
「私には税理士としての知識や経験はあっても、マネジメントする力がなかったのです。スタッフに対して『こんなこともできないの?』と、いらだってしまうこともありました。この時期はかなり人の入れ替わりが激しく、中には私に対して傷つく言葉をたくさん言ってからやめたスタッフもいました。お客様からは担当者の苦情を言われて、みんなのパフォーマンスもまったく上がらず、すべてが悪循環でしたね。悩んで悩んで、うつ病になる一歩手前までいきました。人を雇うことでこんなにつらい思いをするのなら、いっそひとりでやろうかなと思ったぐらいです」
すがるような思いで外部のマネジメント研修を受けに行くと、自分がいかに経営者として未熟だったかを思い知らされた。悪いのはスタッフじゃない、自分なんだ。うわべだけでスタッフに感謝しても伝わらない。心の底からスタッフに感謝して、言葉にして伝えなければ。
「事務所の空気が変わり、スタッフが定着し始めたのはそこからです。今いるメンバーは、その頃からいるスタッフたちなんですよ」
つらい経験を乗り越えた渕氏は、経営者としてひと回り成長した。現在事務所は税理士資格者2名を含む5名、外注スタッフ1名。日々、程良いリズムで、仕事が回っている。
「全員バイリンガル」の会計事務所
渕香織タックスアンドコンサルティングには、他の会計事務所にはない大きな強みがある。それは、スタッフ全員、英語が話せるバイリンガルであることだ。外資系企業の国際税務と会計業務を専門に取り扱い、英語でわかりやすく税務・会計のアドバイスを行えることが最大の特長になっている。
「クライアントは、法人の場合、外資系企業が9割以上、国内企業でも日本在住の外国人が経営者のところがほとんどです。個人の場合は、非居住者で日本投資している外国人投資家と外国人の富裕層の方が大半を占めています。売上規模で見ると法人と個人が半々ですね。
クライアントの多くは、私たちの英語力や国際税務の案件での実力を魅力に感じて依頼してくださっているのだと思います。英語というプラスアルファのスキルがあるので、一般的な税理士事務所よりフィーを高めに設定できていると思います」
大手税理士法人には頼めない中小企業を対象に、大手ではできない細かいところまで配慮した柔軟な対応で相談に乗る。こうした国際税務に特化した個人の会計事務所はなかなか見つからない。そんなニッチでレアな事務所であることが、渕香織タックスアンドコンサルティングを特別な存在にしている。サービスを必要としているクライアントは多く、この5年間Web広告なども含め一切の営業活動をしていないにもかかわらず、毎年クライアント数を増やし続けてきた。渕氏は、好調の要因を「ブルーオーシャンだから」と分析する。
「決してひとり勝ちを狙っているわけではありません。税理士業界全体がさらに盛り上がって、業界全体でしっかりとフィーを取れるようにしたいと、心から願っています。なぜなら、税理士を『子どもが将来なりたいと言ってくれる職業』にしたいからです」
確かにテレビを観ても、税理士の活躍が華々しく取り上げられるようなドラマや番組はほとんど見当たらない。渕氏は、もっと税理士にスポットライトが当たるよう、業界を盛り上げたいと考えているのだ。
「今は事務所も順調で、自分と自分の家族が生活するには充分な収入もあります。だからこそ、今度は税理士業界が少しでも良くなるように恩返ししたい。若くてお金もないとき、わからなくて途方に暮れて泣きたいとき、先輩たちにたくさん助けていただいたから、今の私があります。先輩や上司から受けた恩を次の世代に返したい。今、若くて優秀な税理士がたくさん育ってきているので、私が先輩たちから受けた恩を彼らに送りたいのです」
「税理士を子どもたちが憧れる職業にしたい」。そこには、母親だからこそ感じる思いも込められている。
コロナ禍で広がったグローバルな税務相談
2010年に開業してから12年。2022年4月、渕氏は夫と双子の子どもたちとともにマレーシアに移住した。
「1年がかりで準備しました。おそらくコロナ禍がなかったら、海外移住の発想は出なかったと思います。コロナ禍でスタッフ全員がリモートで仕事をするようになって、『どこにいても仕事ができるんじゃないか』と思ったのが海外移住を考えたきっかけでした。実はコロナ禍でクライアントと対面で会うことが難しくなって、税務相談を100%オンラインで行うようになった結果、遠方から相談するハードルが下がったのか世界中から税務相談が来るようになりました。今ではヨーロッパやオーストラリアの他にも、いろいろな国から依頼が来ています。コロナ禍で行動が制約される一方で、仕事はグローバルに広がった。おもしろい現象ですよね」
移住先をマレーシアに決めたのは、子どもたちが今後育っていく環境を考えてのことだった。いろいろな民族がいて、いろいろな言語がある。多様性を大事にしているマレーシアなら、子どもたちがのびのびと過ごせるのではないだろうか。そう考えて、子どもたちが小学1年生になるタイミングで、マレーシアへの移住を決めた。
とはいえ移住に際しては、クライアントやスタッフに迷惑や負担をかけないようなしくみ作りが必要だ。クライアントは外資系が多いため、「マレーシアか。いいね。行っておいで」と快諾してくれる方がほとんどだったが、心配するクライアントには、税理士資格のあるスタッフをメイン担当につけてフォロー体制を万全にした。
気を使ったのは一緒に仕事をするスタッフだ。不安にさせないために何ができるかを徹底的に洗い出し、最初に考えたのが「スタッフと同じ時間に仕事をすること」だった。移住先をマレーシアに決めたのも、時差がほとんどないというのが大きな理由のひとつだった。
毎朝オンライン上で全員集まって朝礼を行い、朝礼後は画面こそ消すものの音声はオンラインでつなげたままの状態にして、仕事を終えるときは「今日は終わります」と言ってから抜けてもらうようにした。さらに週に1回、必ず顔を見ながらミーティングを実施。Skype電話のマレーシアへのかけ放題プランにも入り、スタッフがいつでも遠慮なく連絡できるようにした。
「メールやチャットだけでなく、常につながっている安心感を持ってもらうために、できる範囲で工夫しています」と渕氏は話す。マレーシアに移住してから2ヵ月半ぶりに帰国してスタッフに話を聞くと、みんなから「最初はとても不安だったけど、いつでも連絡が取れるのがわかったし、いつでもチャットで対応してくれるので、日本にいるのと全然変わらない」と言ってもらえた。
時差と治安を考えマレーシアに移住
「スタッフの話を聞いて、思い切って移住して本当に良かったと思いました。子どもの教育環境のみを考えればアメリカやヨーロッパという選択もありましたが、時差があり過ぎます。ビジネスアワーでいうと、スタッフとほとんど時間が合わなくなってしまいますから、思うように連絡が取れずストレスを感じさせてしまいます。やはりほとんど時差のないアジア圏、中でも衛生的に安心な国を消去法で考えた結果、マレーシアとシンガポールが候補に残りました。ただシンガポールは物価が非常に高く、家賃は東京の相場の倍ほど。一方マレーシアは、食費などはあまり日本と変わりませんが、とにかく家賃が安い。広めのコンドミニアムで東京ではとても手が出ない物件でも、住むことができるのです」
マレーシアで渕氏はセキュリティーがしっかりとしている地域に住んでいる。24時間365日ガードマンが常駐し、常に見回っているのでセキュリティも安心。街は綺麗で学校を含めて治安が大変良く住むには快適という。
そして渕氏が「何より、子どもにとって良かった」と語るのが教育環境だ。マレーシアのインターナショナルスクールでは、日本の教育とまったく違って、みんな同じことをするのではなく、それぞれが興味を持つものの勉強をしていいという、多様性を認める教育方針を採っている。
「当然ながら、子どもによって勉強の得意不得意や習熟度は異なります。にもかかわらず日本のようにみんなで同じ授業を受けるとなると、できる子は退屈だし、できない子はおいてけぼりになってしまいます。マレーシアのインターナショナルスクールは1クラス最大25名。そこに先生が2名つくので、みんながそれぞれ違うことをしていても対応してくれます。日本には日本の素晴らしいところがたくさんありますが、マレーシアは子どもたちが自由でいられるのです。私の子どもたちには、マレーシアの教育環境は合っていると思っています」
一方、渕氏とともにマレーシアに移住した夫は、元外資系企業の会社員で、現在は渕氏の事務所で仕事をしている。
「結婚して双子が産まれて、仕事との両立がなかなか難しくなった頃、私はすでに開業して仕事が軌道に乗っていました。そこで夫が会社を退職し、中小企業診断士資格を取得して私の事務所に入ってくれたのです。彼は英語が堪能なので、戦力としてバリバリ活躍していくれています」
家族のサポートがあってこそ、マレーシア移住は実現したのである。
英語のスキルアップに必要なのは「度胸」
渕氏は、「私が国際税務の仕事をできるのは、決して他の税理士より自分が優秀だからではない」と断言する。世界中から引きも切らずに相談が来るのは、「Big4以外で国際税務をやっている税理士が少ないから」「英語で対応できる税理士が少ないから」と2つの理由を挙げる。
「他の人がやっていないニッチな分野を手がけているので、そこを必要としてくれる方たちが駆け込んでくる。そんな困っている方たちのために私たちがサポートする。そんなスタンスで取り組んでいます。充分な収益を得られていると思っているので、今は単に売上を伸ばそうとは考えていません。ただ、他に頼める事務所が見つけられず困ったクライアントがうちにたどり着くので、年々クライアントが増えているという状況です」
事務所の今後の方向性については、現状を維持したいという。
「既存のクライアントを大切にしたいという思いがあるのと、今ちょうどいいボリュームの仕事量なので、正直なところこれ以上の拡大志向はありません。業務量が増えればスタッフに負荷がかかってしまいますので、今はとにかく私たちを必要としてくれる目の前のお客様を大切にサポートしていきたい。そんな思いでいっぱいです」
そんな思いで日々の業務に取り組んでいる渕氏が、声を大にして若い税理士に必要性を訴えたいのは、英語スキルを磨くことだ。
「優秀な方なら、国際税務は2~3年経験すればできるようになります。ただ英語については苦手意識を持っていると、何年かかっても話せるようになりません。
マレーシアで高等教育を受けている人は、みんな英語が話せます。大卒で英語が話せない人はほぼいません。日本の場合、大学を出ても英語が話せない人がほとんどなので、『みんな非常に優秀な大学を出ているのに、なぜですか』とよく聞かれます。
今後もグローバル化は進みます。英語を話せると世界が広がるし、自分の市場価値が高くなります。税理士業界全体の底上げのためにも、皆さんもっと英語を話せるようになってほしいと思います。
英語のスキルアップに必要なのはやはり『度胸』。今の若い税理士には、TOEIC®の高スコアを持っている方も多い。話せるようになるには、あとは度胸だけです。恥ずかしいという気持ちは一旦横に置いて、まずは度胸を持って一歩前に踏み出しましょう。今ならオンライン英会話サービスなどリーズナブルにアウトプットする機会もたくさんあります。
英語対応ができる税理士が増えて、国際税務に興味を持つ人が増えれば、業界自体もレベルアップします。簿記論、財務諸表論、税法科目合格という“近い夢”だけでなく『グローバルに活躍する税理士になりたい』という“遠い夢”、その両方の夢を持ちながら進んでください。心から応援しています」
2023年施行の税理士法改正では、使用人の適正な監督さえできれば、税理士と使用人は事務所だけでなく自宅やそれ以外の場所でも業務を行うことができる通達が出された。テレワークやWeb会議が可能になった今、子育てや家事を大切にしたい女性にとって、自分のワーク・ライフ・バランスに合わせて1科目ずつ取得でき、開業してからも働く場所や時間をある程度自由に選べる税理士は、ますます魅力的な職業になったと言えるだろう。海外に移住し、日本の資格で活躍するという選択肢は、遠い先ではなく、もう目の前にある。
[『TACNEWS』日本の会計人|2022年10月号]