特集 YouTuber会計士が語る「資格」の可能性

小山 晃弘氏
Profile

小山 晃弘(こやま あきひろ)氏

税理士法人小山・ミカタパートナーズ 代表社員 CEO
公認会計士・税理士

1987年、大阪府生まれ。2010年3月、同志社大学経済学部卒。2010年11月、公認会計士試験合格。2010年12月、有限責任監査法人トーマツ入所。2014年7月、株式会社Peace Project設立、代表取締役就任。2015年1月、公認会計士登録。2015年1月、税理士登録。2015年4月、税理士法人小山・ミカタパートナーズ設立、代表社員就任。2017年11月、株式会社広告王設立、代表取締役就任。2020年の1年間、TAC梅田校公認会計士講座特任講師として監査論、経営学を担当。著書に 『YouTuber会計士がゆる~く教える会計「超」入門 ぶっちゃけ会計のことがまったくわかりません…』(飛鳥新社)他。
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「公認会計士/小山あきひろ」としてYouTubeチャンネルを開設する小山晃弘氏。登録者数5.2万人の人気YouTuberだ。他にもTwitter、Instagram、LINE@といった各種SNSや、書籍、テレビのメディア出演、セミナーでも幅広く活躍している。2021年には1年間、TAC梅田校公認会計士講座特任講師として監査論と経営学を担当し、後進の育成にも励んでいる。既存の公認会計士像に捉われず幅広い活動を続ける小山氏に、どのような思いで公認会計士になったのか、YouTubeやSNSでの情報発信戦略、そして今後についてうかがった。

「タダでは終わりたくない」

──現在、多方面でご活躍中の小山さんですが、公認会計士(以下、会計士)をめざした理由を教えてください。

小山 子どもの頃から、何でも「プロをめざす、てっぺんを取る」という気持ちを持っていたことが大きいです。プロになって自分の力で何かをやり遂げたいと思っていたんですね。
 小学校に入学した頃はJリーグ設立直後の空前のサッカーブームの最中だったので、私も7歳からサッカーを始め、小学校時代は絶対にプロサッカー選手になると思って取り組んでいました。サッカーは高校までは部活で、大学ではサークル、監査法人時代はフットサル部、そして今も休日にサッカーをしています。「プロ」というものに憧れを抱いた最初のきっかけがサッカーでしたね。
 父が転勤族だったので、大阪で生まれて幼稚園と小学校は神奈川県、中学と高校は奈良県と、引越しを繰り返すうちに、ゼロから信頼関係を築く力が磨かれたと思います。そして「どの世界のプロをめざすのか」という目標も少しずつ変わっていきましたね。高校時代は、カリスマ美容師ブームが起きた影響で、美容師になりたいと考えました。当時住んでいた奈良県は学力が全国でもトップクラスで、私の母校は県No.3の進学校だったので、同級生たちはみんな大学受験に全力で取り組むという雰囲気に満ちていましたが、そんな中で私だけが美容師をめざしていたのです。

──サッカー選手の次の目標が美容師とは、ちょっと意外ですね。

小山 そうですね(笑)。とはいえ、儲かるか儲からないか、実際どこまでやれるのか、そして学力もあるのにそれを捨てるのはもったいないんじゃないかと、考えは巡らせていました。そして当時流行っていた『オレンジデイズ』という大学生たちの恋愛模様を描いたテレビドラマを見て、キャンパスライフをエンジョイするのもいいなと、高校3年の夏に大学受験をすることを決めました。何でも「てっぺん取る主義」の私は関西私立大学のトップと言われる同志社大学をめざすことにしましたが、具体的にやりたいことがあったわけではなかったので、汎用性の高い知識を学べそうな経済学部を選択しました。

── サッカーブーム、カリスマ美容師ブームに続いて、ドラマをきっかけに次の目標を定めたのですね。

小山 そうですね。そして大学に入ると、今度はITブームの到来です。風雲児のように現れたホリエモン(堀江貴文氏)やサイバーエージェントの藤田晋社長のような20〜30代の若い起業家に憧れるようになりました。自分の将来像をぼんやりと描きつつ、大学1年の頃はサークルとアルバイトでキャンパスライフを謳歌しながら、学業についても必要な単位は効率を考えながら着実に取っていましたね。履修科目も効率重視で、単位も資格も取れて就職にも役立つ、簿記の授業を選びました。

──それが会計の世界との出会いになったのですね。

小山 はい。そしてそのときの講師が会計士の女性だったのです。ちょうど起業家の夢と就職活動との狭間で悶々としていた時期に、その人はセンスあふれるスーツ姿で現れて「私は会計士という資格を持っていて、大手監査法人で働いています。旅行が好きで、4半期に1回は海外旅行に行っています」と事もなげに言ったのです。すごいな、と思いましたね。会計士といえば文系ではトップクラスの資格。プロとして、自分のスキルで仕事ができます。「人生、タダでは終わりたくない」と思っていた私は、これをきっかけに会計士をめざして大学2年の秋から TACで勉強を始めました。

アルバイトで学費を捻出しながらの受験期間

──大学とTACのダブルスクールが始まって、生活は変わりましたか。

小山 そうですね。私は大学の学費は自分で払うべきという考えから奨学金を借りていましたし、ひとり暮らしの生活費も自分でやりくりしていました。TACで会計士の勉強をするのも自分の都合なので、親から学費を出してもらうのではなく、国の教育ローンを組んで、親からは一切出してもらいませんでした。頼めば出してもらえるけど頼みたくない。そんな自立心でしたね。

──奨学金に加えて教育ローンもとなると、不安はありませんでしたか。

小山 そもそも大学の奨学金も教育ローンも、私はただの借金とは捉えていないんです。大学で学んだり、会計士資格を取得したりするためには必要なもの。自己成長のための「投資」だと考えていました。

──そうして始めた会計士試験の勉強はいかがでしたか。

小山 就職活動はせず、大学4年で一発合格するつもりで、大学2年から2年で合格をめざすコースに通いました。日商簿記検定3級は満点合格だったのでそれなりに自信はあったのですが、いざ勉強を始めてみると予想以上に大変でしたね。入門期が終わってひと息つけると思いきや、今度は上級者向けの分厚いテキストが送られてきて、「いつまで勉強が続くんだろう」という底なし沼感がずっとありましたね。とにかくついていくのに必死でした。
 大学4年で受けた本試験は、短答式試験は8割得点して合格したので、8月の論文式試験も勢いに乗って臨みました。ただ、試験中にクーラーが止まって受験会場が灼熱地獄だったという不運もあり、結局この年は突破することができず、同志社大学を卒業した2010年の8月に、2回目の受験で合格しました。

──学費を自分でまかないながらの受験生活は、どのように過ごしていたのでしょうか。

小山 会計士の受験期間は入門期、上級期、直前期に分けられますが、入門期は、TACの講座運営アルバイトで食費を稼いで、日中のパチンコ店でのアルバイトと夜のゴルフバーでのアルバイトで家賃とTACの受講料を補填していました。大学で必要な単位はすでに取っていたので、月25日間、朝から夜まで働いて、しっかり稼いでいましたね。
 とはいえとにかく受験を成功させることを最優先に、アルバイトは入門期に集中させて、上級期に入ってからはTACでのアルバイトで食費を稼ぐだけで十分なようにしました。そのぶん奨学金を増額するなど、とにかく100%勉強に打ち込めるように、バランスを考えながら頼れるものは頼っていましたね。

──受験勉強のプロセスに合わせてアルバイト量を調整したわけですね。

小山 最終目標をしっかりと見据えて、アルバイトと受験勉強を両立できる期間と、受験に専念すべき期間を見極めていました。1回目の論文式試験で合格できなかったのは想定外でしたので、その後は友人とルームシェアをして家賃を折半するなど、あの手この手を駆使しましたね。

──1回目の論文式試験が想定外の結果に終わったときは、どのようなお気持ちでしたか。

小山 答練(答案練習)の成績も悪くなかったので、不合格になることはまったく考えていませんでした。結果を見たときの気持ちとしては、お金の面は心配でしたが、もう1年勉強すれば間違いなく合格できる自信がありましたし、試験後の8月から合格発表のある11月まではパチンコ店のアルバイトを再開して貯金していたので、そのお金をTACの受講料に充てて、すぐに再スタートしました。

──奨学金や教育ローンを使ったり、アルバイトに集中する時期を調整したりと工夫されていますが、アルバイト先にパチンコ店を選んだのも理由があったのですか。

小山 そのとおりです。アルバイトの収入は単価×時間で決まりますから、収入を上げるには単価を上げるか、時間を増やすしかありません。受験生である以上、勉強時間の確保は必須なので、そうなると単価勝負になります。単価の高い仕事といえば水商売や肉体労働系ですが、夜の仕事はお酒の量も増えて健康に影響がありますし、肉体労働も体力を消耗して勉強に集中できなくなります。また塾講師も時給は高いですが、そもそも1日数時間しか働ける枠がありません。総合的に判断すると、パチンコ店が最も効率がいい。どんな工夫をすれば最短最速で合格できるのかを考えることは、大事なことだと思っています。

目標に向かって進み続ける

──想定外に受験期間が1年延びたとのことですが、モチベーション維持のために何か工夫はしていましたか。

小山 実は私は、サッカー、高校受験、大学受験、会計士受験、就職氷河期の監査法人入所という節目節目で、モチベーションという概念が一切ありませんでした。モチベーションって、「波」じゃないですか。でも私は自分のやろうとしていることに対して「一直線」なのです。確かに一発合格できなかったときは気持ちが落ちましたが、それは波ではなくて感情のブレなので、合格発表の翌日にはもうTACに申し込みに行っていましたね。

──自分のやろうとしていることに一直線、素晴らしいですね。

小山 ただ受験時代は本当に貧乏で、井戸水を飲んだりカップ麺しか食べられなかったりする生活でした。でも、そんな経験は一生のうち二度とないので、それが原動力になったとも言えます。早く会計士になってお腹いっぱいごはんを食べたい、値段を見ないで洋服を買いたい、と思っていましたね。
 朝7時から夜10時まではTACで勉強し、早朝と深夜の1〜2時間はファストフード店で勉強していたのですが、店に入ると大体隣の席にはカップルがいるんです。彼らを横目で見ながら、「自分もいずれああいう世界に行くんだ。今、みんなが遊んでいる間に自分は投資をしているんだ」と、自分を奮い立たせていました。そうやって日々メンタルをチューニングしていましたね。

──つらさから受験をやめようと思ったことはありませんでしたか。

小山 やめようと思ったことはありません。ただ、答練の点数が目標に届かず挫折感や劣等感を味わうことは日常茶飯事でした。会計士試験は相対評価なので、同期たちより悪い結果だと、「これが自分の才能なのか…」と。また、特に大学卒業後、受験に専念していた頃は、「もし今日の帰り道、交通事故で死んでしまったら『本日、“無職”の男性が…』なんて報道されるんだろうな」と、生々しく考えていましたね(笑)。

──そうした時期を乗り越え、合格後には有限責任監査法人トーマツ大阪事務所に入所されましたが、トーマツを選んだ理由をお聞かせください。

小山 世界No.1というブランドイメージと、序列がはっきりしていて実力次第で上に上がれるプロの世界だったことが決め手です。
 トーマツ大阪事務所では、国内企業の法定監査にどっぷり浸かっていました。ただ、いつか起業したいという思いがあったので、大手ではなく中堅の多種多様な法人を見ようと、メーカー、商社、財団法人、学校法人など、年間数十社を監査していました。

──その後、東京で独立開業した理由を教えてください。

小山 トーマツ大阪事務所には4年弱いて、会計士修了考査に合格したあと退所しました。起業するなら経済規模も人材の幅も大きい場所でチャレンジしたいと思っていたので、退所のタイミングで上京しました。関西でできた人脈や仲間に頼らずゼロからやりたいという気持ちもありましたね。
 上京後はセミナーを開催したり経営者の会に参加したりと積極的に動きました。税理士法人の形態で独立することを考えていたのですが、まだ税理士登録が完了していなかったので、まずは株式会社を設立して、税務顧問につながりそうな方々にセミナーなどでアプローチしました。コンサルティングで顧客を抱えておいて、税理士法人化したタイミングですぐに税務も受けられるしくみを作ったのです。
 開業当時は、こうも起業は楽しいものかという思いでいっぱいで、苦労なんてまったく感じませんでしたね。

──開業にあたって、個人の会計事務所ではなく税理士法人という形態を選んだのはなぜですか。

小山 一番は、「自分の人生を生きたい」という思いがあったからです。経済的自由、時間的自由、人間的自由、地理的自由、自分はそういう「自由な人生」を送りたい。そのためには働き方を何とかしなくてはいけない。考えた結果、「パートナーとともに税理士法人を作る」というのがベストな方法だと思ったのです。
 監査法人に勤務していた頃は、稼ごうと思ったら残業しなくてはいけませんでした。有給休暇を取れば自由な時間はできますが、その場合は残業代がつかないので、基本的には時間を取るか、お金を取るかの二択しかありません。では個人で会計事務所や税理士事務所を開くとしたらどうか。個人事業主になれば所得は一気に増えますが、経費も自分で負担しなくてはなりませんし、実務にかなりの時間を使うことになるので、自由とは言えません。
 対してパートナーとともに税理士法人を作る場合は、役割分担できるというメリットがあります。税務が好きな相手と組めば、実務の分野はそのパートナーに任せることができるので、私は経営や新しいサービス、商品開発、ブランディングを考えるといった分野で「自由な人生」「自由な働き方」が実現できるはず。そう思い至ったのです。
 ですから上京後最初の重要な仕事はパートナー探しでした。ご縁もあって現在のパートナーの岡本信吾(公認会計士・税理士)に出会い、彼が実務を担ってくれることになったので、税理士法人小山・ミカタパートナーズを設立しました。今でも税理士実務はすべて彼に任せています。

開業初年度にクライアント100件を獲得

──税理士法人開業後はどのような業務をしてきたのですか。

小山 1年目は営業が中心で、2年目は新サービスの開発や外部企業のパートナー開拓など、経営の仕事にシフトしました。1年目には税務顧問のクライアント100社を獲得しています。これは一般的に5〜6年はかかる数だと思いますが、営業に特化したことで短期間で実現できました。

──どのような工夫をしたのですか。

小山 とにかく無料セミナーをたくさん開催しました。税理士法人のお客様になってくれる層に向けて喋らないと次につながらないので、経営者の会に顔を出しては「セミナーをやりますのでぜひ来てください」と営業したのです。月平均で参加者100人のうち平均3〜5社、年間60社はお客様になってくれます。顧問先のお客様の中には、新たなお客様を紹介してくださるロイヤルカスタマーの方々も一定数いらっしゃいますので、その方々をしっかりグリップすることが大切です。また、1年目の最後にはWebマーケティングも活用しました。確定申告期にWeb広告を出して、新規のクライアントを数十社獲得しましたね。
 こうして1年目に税務顧問100社という結果を出すことができましたが、2年目以降も同じように税務顧問のクライアントを増やしていこうという発想はまったくありませんでした。一度しかない人生です。同じことを安定的に繰り返すのではなく、自由と成長をめざして働きたい。また、シビアな言い方をすれば、税務顧問のような労働集約型の人に依存する仕事は、もう今の時代に向いてないなとも感じていたので、2年目は別の業務をスタートしました。

──具体的にはどのようなことをされたのですか。

小山 日本政策金融公庫や民間銀行からの企業の資金調達のサポートをしました。いわゆる成功報酬型で、調達した金額の何%かが報酬として入ってくるというスキームを作って、2年目だけで年間100社以上やらせてもらいました。

──3年目以降はいかがでしょうか。

小山 LINE@で、「コジサポLINE@」という個人事業主特化の税務相談や節税サービスを始めました。個人がフリマサイトや仮想通貨で稼ぐ時代になってきて、税務相談のニーズは確実に増えました。でもその人たちは月5万円の税務顧問契約なんてしませんので、月額2,980円でLINEだけの税務相談サービスを始めたわけです。このサービスは全国でうちが初めて作ったのですが、今ではこれを真似たのではと思われるサービスがあちこちで提供されていますね(笑)。
 そして4〜6年目も引き続きメディア展開です。メディア展開1年目は自費出版を計画したり、新聞、商業出版があったり、YouTube配信を始めたりしました。翌年にはテレビに出演し、地上波出演のステージまで来ました。独立3年目から始めたYouTubeチャンネルも、現在では登録者数が5万人以上になりました。

──税理士法人での仕事は、そうしたメディア活動のベースになっているのですね。

小山 そうですね。根っこには会計士資格があり税理士法人があって、社会に価値を提供したり、雇用を創出したりしています。それがベースとなって、私のメディア活動が存在すると思っています。

「エンタメ×経営」を軸にYouTubeで情報発信

──YouTubeチャンネルでの配信にも戦略があったのですか。

小山 はい。YouTubeは最初からしっかりと作り込みましたね。チャンネル登録者がいない時期から、撮影スタジオを構えて、カメラマンを雇って、機材もプロ仕様のものを揃えました。ところが、いざ始めてみると半年経っても登録者数が伸びないのです。改めて自分の動画を見直してみたときに、「ユーザーはソファーに寝転がってのんびりYouTubeを見ようと思ってるのに、お堅い会計講座が始まったらイヤだよね」と気づいたんです。
 そこで「エンタメ×経営」だなとひらめいて、お笑い芸人やグラビアアイドルを呼んだ企画を考えたり、ゆったりくつろげるBGMを流してみたりしました。すると受験生が見てくれるようになって、「なぜこんな高価な機材を買えるのか?それは本業でしっかり稼げているからだよ」といったメッセージも伝えられるようになりました。スタジオも機材もきっちりしているから、ゲストも呼びやすいし、本気でやっている姿勢を見せられたのです。YouTubeは本数もかなり出していますし、戦略的にうまくやれていますね。

──YouTube以外に、SNSや書籍の出版でも情報発信されていますね。

小山 Twitter、Facebook、Instagram、LINE@、著書を中心に情報発信しています。すべてのSNSで登録者1万人を超えている士業の方はほとんどいないと思うので、私はYouTube、Instagram、Twitterの登録者それぞれでフォロワー1万人超えを狙おうと思っています。YouTubeはすでに5万人を超えていて、Twitterのフォロワーは9,700人、Instagramのフォロワーは7,900人なので、2021年中には達成できたらと思っています(取材時点。2021年12月現在、Twitterのフォロワー数は1万人超を達成)。
 また、書籍は4冊目の著書となる『YouTuber会計士がゆる〜く教える会計「超」入門 ぶっちゃけ会計のことがまったくわかりません…』(飛鳥新社)が2021年8月に出ました。仕事で会計知識が必要になったという方から日商簿記検定や会計士試験の受験生の方まで、たくさんの方に読んでいただき、Twitterなどで感想を発信していただいたりもして、うれしく思っています。

──来年、2022年はどのような計画を立てていますか。

小山 税理士法人設立7年目を迎え、次は海外展開を考えています。「個の時代」という、一人ひとりが今まで以上に「どう生きるか」について考え、自分なりの方向性を見出していく時代になり、経営も、雇用拡大という「数」で勝負する時代ではなくなりました。私は海外で事業を作り、自分自身も海外にいながらちゃんと日本の事業を回し、どこにいても自由にキャッシュフローが回るようにしていきたいと考えています。
 グローバルに働けるスキルを身につければ、国際クロスボーダーM&Aもあり、移住支援もありです。「会計×経営」でビザの取得、法人税申告、国際税制サポートで支援していきたいと考えています。あとはオンラインでの発信や執筆活動も継続したいですね。SNSでは、私の世界観やライフスタイルや生き方を発信しているので、自分が実践していることを見せることそのものがビジネスになります。大きな発言力を持って世の中の価値観を変えられるぐらいになって、日本を良くしていきたい。そんな思いでやっています。
 近い将来、安定的な雇用はなくなり、正社員という枠はどうしても必要な業種にだけ限られてくるのではないか。雇用されずに、残業やボーナスという概念がない世の中がいずれやってくるのではないか。今、日本に差し迫っている問題として、そんなことを考えているので、SNSを見てくれている方々には、しっかり勉強して、スキルを活かしてきちんと働いて、経験を積んで自分の頭で考えて生きるためのノウハウを提供したいと考えています。開設したオンラインサロン「PeaceProject」もその一部で、自分の人生を楽しんだり、他人に貢献したりしながら幸せに生きるための情報発信をしています。

TACの講師として伝えたかったメッセージ

──2021年度、TACの講師を務められた感想を聞かせてください。

小山 2021年からグローバル展開を予定していたのですが、新型コロナウイルスの影響で海外に行けなくなったタイミングでTACからオファーをもらい、梅田校公認会計士講座特任講師として上級コースの監査論と経営学を担当しました。講師の側に立ってみて、受験指導校の講師たちは皆、受験生たちの力になりたいという思いを持って本当に一生懸命講義に臨んでいるということがよくわかりました。私も、やるからには新人講師とは思えないぐらいのパフォーマンスを発揮したいと意気込んでやっていて、リアルで会えた100人の受講生とは、一人ひとりと1対1で話しましたね。東京と大阪は往復約6時間ですから、効率重視の私としては通常選ばない仕事ですが、TACへの恩返し、そして受験生に直接メッセージを伝えられる貴重な機会だと思って引き受けました。

──どのようなメッセージを届けたかったのですか。

小山 夢を持って、受験を乗り越えてほしい、ということです。僕も10年前は教室に座っていた受験生の中のひとりに過ぎなかった。でも今は、プロとしてお金をもらう側にいます。これってロマンだと思いませんか。今はつらいかもしれないけど、みんなスタートは同じ。10年後、輝いている未来の自分を思い描いて、がんばってほしいというメッセージを伝えたかったんです。

点と点がつながって線になる

──会計士資格は小山さんにとって、どのような存在ですか。

小山 世の中に数ある「スキル」の中のひとつだと捉えています。私が受験生だった当時から、ビジネスに必要なスキルは「英語」「IT」「会計」と言われていました。この3つはすべて「言語」です。英語はどの国でも通用するし、プログラミング言語もどの国でも同じように使えます。会計の世界も、B/S(貸借対照表)、P/L(損益計算書)、C/S(キャッシュフロー計算書)などは世界共通です。会計士は「会計のプロフェッショナル」と言われますが、私は「職業」というとらえ方ではなく「会計言語を話すスキルがあることの証明」だととらえています。会計士の独占業務である「監査」は、あくまで「独占で行える権利のある業務」であって「義務として行わなければいけない業務」ではありません。ですから、会計士が監査をせずに、例えば飲食店経営をしてもいいわけです。
 こうした観点を持っているので、「会計士とは何か」という問いに、私自身、確かな答えはまだ出せていません。少なくとも私にとっては「監査をする人」ではないし、可能性は無限大だと思っています。テニスプレイヤーの大坂なおみ選手が、テニス選手としての活躍だけにとどまらず、多方面で活動しているというのに近いかもしれませんね。「会計士は監査しかできない」と思っている人も、ぜひアグレッシブでハングリーな思いを持って、世界を広げていってほしいと思っています。

──最後に、スキルアップをめざしている方々にメッセージをお願いします。

小山 どのようなことでもいいので、まずは一歩、目標に向かって踏み出してみてください。それが直接的に一生の生業につながるかどうかは別として、そこからまたさらに次のステップが始まるからです。私の場合、サッカーがあったからプロやてっぺんをめざすという意識が生まれたし、その意識があったから大学受験をがんばろうと思えたし、同志社大学に進んだから会計に出会えたし、TACで会計士受験をがんばったからトーマツに入れたし、監査法人での経験があったから今がある。点と点がつながって線になるときが必ず来ます。それを信じて、ぜひがんばってください。

[『TACNEWS』 2022年1月号|特集] 

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