特集 生きるためのお金の話~FPの世界~

川部 紀子
Profile

川部 紀子(かわべ のりこ)氏

FP・社労士事務所 川部商店 代表
ファイナンシャル・プランナー(CFP®認定者 1級FP技能士)
社会保険労務士

1973年、北海道占冠村生まれ。1995年、藤女子短期大学国文科卒業。新卒で一般事務職に就くも3ヵ月で退社し、日本生命保険相互会社に入社して8年間保険営業を行う。2004年、CFP®取得、独立系ファイナンシャル・プランナーとして、FP事務所 川部商店を起業。2005年、1級FP技能士取得。2006年、社会保険労務士試験合格。2007年、社会保険労務士登録をし、現在、FP・社労士事務所 川部商店代表。
近書:『まだ間に合う 老後資金4000万円をつくる!お金の貯め方・増やし方』(明日香出版社)

生きるためのお金のプロになる。
その使命感があったからこそ、
ブレることなくFPとして続けてくることができました。

 30歳でCFP®として独立開業し、16年目に入った。個人相談や講演受講者は3万人を超える。講演・セミナー講師をメインに、執筆、コンサルティングだけでなく毎週のラジオ番組、テレビ出演もするのが札幌在住のファイナンシャル・プランナー、社会保険労務士の川部紀子氏だ。20代で父親をガンで亡くし、自身も23歳でガンの疑いで入院。結局ガンではなく治療の必要もないことが判明したのちは、27歳でマンションを購入し、障がいのある田舎の母親を呼び寄せて同居を開始——。「命」と「お金」について考えさせられる20代を経て、「生きるためのお金のプロになろう」とFPをめざした川部氏の歩みとともに、CFP®資格の意義、ファイナンシャル・プランナー(以下、FP)としての展開などをうかがった。

8年間続けた保険営業の仕事

──川部さんのプロフィールを教えてください。

川部 短期大学を卒業後は一般事務職に就いたのですが、ある日「この仕事は誰がやっても求められる結果が同じ。作業スピードに早い遅いの違いはあっても、結果に差が出てはダメな仕事なんだ」と、ふと思ったのです。そこから急にやる気がなくなって、「こういう仕事がいいと思う人もいるかもしれないけど、私は人と違う結果を出せる仕事をしよう」と、わずか3ヵ月で退社して、保険会社の営業職に就きました。
 新卒の営業部隊に入りましたが、当初60~70人いた新卒営業部隊は、3年目にはたった3人になりました。その中でも私は一番長く、8年間残りました。私には、人と違う結果が出る営業という仕事が合っていたんだと思います。

──なぜ保険営業の世界で8年間残れたのだと思いますか。

川部 私が本当に辞めたいと思ったのは、実は辞める日だったと思うぐらい、すごく気持ちよく仕事をしていました。ただ、ものすごく工夫しましたね。
 普通はお客様の会社へセールスに行くと、まず迷惑がられます。今はオフィスに入れないところがほとんどですが、当時は昼休み、社員の方がデスクでお弁当を食べているところに、のぞき込むようにして「アンケートお願いします」と言って名前や生年月日を集めたりしていました。あとは飴配りも。そういうやり方をしても結局みんなに嫌がられるのを知っていたので、私はそれを全部やめようと思いました。
 代わりにB5サイズくらいの「週刊川部」という手書きのペーパーを作り、営業先で配りました。今で言うブログみたいな内容で、私の人柄が伝わるような個人的な話や日々のいろいろなエピソードを盛り込んで、最後にちょっとだけ保険の話でオチを付けました。例えば「うちの母が、肺に影があると言われて再検査になりました。そこから、母が昔アスベスト工場の近くに住んでいたことが発覚したのです」とか。
 そうしたら意外にもそれを読んでくれている人がたくさんいて、「これおもしろいね。うちの奥さんも毎週読んでるよ。親戚にも毎週ファックスしてるよ」と、すごく読者が増えたんです。毎週金曜日の夕方に配っていたのですが、「もらうまで帰れないから早く持ってきて」と言われたりもしました。
 そのうち、保険は勧めない、セールスは後回しのスタンスにも関わらず、「この保険どうかなあ」と聞いてくださる方がいたり、「保険を考えるならこいつに聞いてみようかな」と思っていただけるようになったんです。まずは「ちょっと変わったセールスレディがいるぞ」、そして「保険には詳しいぞ」と思ってもらえたのはよかったような気がします。

インドで開眼、「そうだ、FPになろう」

──CFP®の資格を取ろうと思ったのはなぜですか。

川部 CFP®は、保険会社に8年間いるうちの後半に取りました。当時の保険会社は日本FP協会と提携していたのでAFPは取りやすい環境にありました。AFPは、「保険会社に勤めているんだし、会社も推奨してるし、あったほうがいいよね」という程度の気持ちから取りました。
 ただその8年の間に、父が障がい者の母を残してガンのために他界、私自身も23歳でガンの疑いで入院するといった事件が起きました。私は結局ガンではなく治療不要となった一方で友人が3人も亡くなってしまったり、精神的に本当にしんどくて真剣に生死とは何なのかを考えるようになりました。27歳で足の不自由な母と暮らすために新築マンションを購入して、母が介護認定を受けたり、とにかく生死とお金に翻弄された20代だったんです。
 そんな中で「自分だけが死ななかった」という思いが募って、自分探しのため2度インドへ旅に出かけました。ガンジス川で、自分はガンではないと言われたにも関わらず、ずっと引きずって、「なんで私だけ死なないんだろう」と考えて……。でもふと見ると、インドには家もないし、病院にも通えない人たちがたくさんいて、私を見るとにっこり笑って「ワンルピー(当時3円)」とお金を無心してくる。すぐ目の前に死んでいきそうな人がいたり、貧富の差などいろいろとすごい光景を目の当たりにしたとき、自分はなんて間抜けだったんだろうかと痛感しました。「私は結局病気ではないと言われたのに、何を悩んでいるんだろう。私はどうやら生かされたらしい。これは何か使命があるに違いない」と思ったんです。そう考えたとき、私の20代は命とお金を考える機会が多かったので、「生きるためのお金のプロ、FPになろう」と思いました。
 当時すでにAFPは持っていたのですが、プロとしてFPと名乗るなら、CFP®を取ってからにしようと心に決めました。そこで、保険会社時代の後半はすごくたくさん勉強してCFP®を取りました。

──CFP®を勉強したことで、保険セールスへの影響はありましたか。

川部 ありましたね。保険会社が売るのは生命保険です。でも、長い人生を生きていくという視点でお金のことを考えるとなると、「税金はどうなの?相続はどうするの?資産運用は?」と、いろいろな角度から生命保険を見なければなりません。保険会社にいると、保険から入って保険で終わるような感じがするのですが、全体的にお金を勉強してみると本当に違う。むしろ勉強すればするほど保険だけを見ていてはいけないなと痛感するようになりましたね。
 30歳でCFP®に合格すると、会社を辞めて「FP事務所 川部商店」を起業しました。振り返ると、保険会社にいた8年間で約1,000人の方のご相談とライフプランニングに携わっていました。

FPは私の「使命」

──FPとして独立開業されて、開業時に苦労したのはどのような点でしたか。

川部 開業当初から、保険や投資商品は販売しないと決めていましたので、収入面ではとても大変でした。それに開業した当時はまだFPという資格の認知度もそれほど高くありませんでした。保険会社ではかなり成績がよかったので、まわりからは何度も「保険売れば?」と声をかけられました。でも保険を売るなら保険会社にいても同じです。だったら辞めなくてもよかったということになるので、「そんなことするぐらいならアルバイトする」と言ってアルバイトをしていました。
 昼間はイタリアンレストラン、夜はフグ料理屋やコールセンターで、1日14時間労働。かけもちで朝から深夜まで働いて、仕事が入ったときだけ「FPです」と言う毎日。それでも、職業は「私、FPです」と堂々としたものでしたね(笑)。

──アルバイトでつなぎながら、どのように仕事を増やしていかれたのでしょう。

川部 私は保険会社時代に約1,000人の方と契約しました。その方々とはかなりの信頼関係があったので、「私がもしお金に困って助けてくれって言ったら、おそらくその1,000人は1人1万円ずつはくれるだろうな」と思いました。ということは、1万円×1,000人で1,000万円になります。「それだけあれば3年は食べられる」と、会社を辞めるときに思ったんです。だったら3年間はアルバイトでつなぎながらでも何とかなるんじゃないか。そんな応援団がいるつもりだったし、気持ち的にはFPだし、ガンジス川で目覚めましたが拾ったような命ですし(笑)、あまり怖さはありませんでしたね。
 ただ、実際にFPの仕事が入りだした理由は、やはり私がFPだと言い続けたからだと思います。同じ時期に同世代で「FPになりたい」と始めた人は、改めて就職したり、辞めてしまったりする人も多くて、アルバイトしながらでもFPを続けようという人はいなかった気がします。

──川部さんのその精神力とFPとしての信念の強さはどこから来ているのですか。

川部 私は、FPは自分の「使命」だと思っています。「生きるためのお金の話を伝えるために自分は生かされている。だからそれをやらないと生きている意味なんてない」くらいの気持ちなんです。ですから絶対に辞めないし、アルバイトで食いつないでいても、そこはまったくブレませんでした。それが今につながったのだと思います。よく「継続は力なり」と言いますが、私が今FPをやっていられる理由は「継続」という真面目で勤勉な言葉は似合わないように思います。単純に「やめなかった」、ただそれだけなのです。

FPとしての武器を増やすために社労士資格を取得

──セミナー講師をするきっかけとなった出来事はありますか。

川部 アルバイトでつないでいた頃に、ハローワークの教育訓練のひとつであるFP取得講座で講師を依頼されたのが最初です。そのとき、ものすごく印象的な出来事がありました。ハローワークに来る方は年代も幅広いのですが、受講生の中に50代の強面の男性がいました。一番後ろの席でふんぞり返って受講していたのですが、講義が終わると、「先生喋り慣れてんなあ。わかりやすくてよかったよ」と声をかけてくれたのです。私のデビュー戦だったので、「これはアドバンテージがありそうだ。セミナー講師の仕事はものすごく力を入れたほうがいい」と思って、いろいろな人に「セミナー講師をやりたいです」と言って回りました。そこから広がっていきましたね。

──アルバイトをやめて本業のFP一本になったのは何年目ですか。

川部 FPだけでは食べていけないかもしれないと思ったので、何か武器になる得意分野が必要だと考えました。そのとき考えたのは税理士と社会保険労務士、この2つのどちらかでした。私はそれまで個人向けの保険を扱ってきたので、名前に「保険」とつく社会保険労務士(以下、社労士)のほうが身近なんじゃないかと勝手に解釈して社労士を選びました。社労士は元々の得意分野である保険と相関性があるような気がしたので、FPとしての武器を増やすために社労士資格の取得を考えたのです。
 こうして社労士試験に合格したのが2006年です。合格発表のあった年の年末ぐらいまでアルバイトをしていて、2007年に社労士登録をしました。その頃から相談業務や講師の仕事、先輩FPの紹介でラジオ出演などもするようになって、アルバイトなしでもやっていけるようになりました。

──「FP・社労士事務所 川部商店」という名前はとてもユニークですね。

川部 実は保険会社時代から「川部商店」と名乗っていたんです。保険の営業職員というのは個人事業主なので、お客様に配る名刺や飴、カレンダーなどはすべて自費で購入しています。ところがお客様は、同じ保険会社から来ているのだから誰からもらっても大丈夫だろうと思っていらして、「カレンダーをほしい」と気軽に言われることが間々あります。そこで、お客様に正直に本当のことを伝えようと思い、「私から手続きをしてくださった方、つまり、川部商店から保険を買った方に差し上げたいんです」ということを言って回ったり、手書きのペーパー「週刊川部」に書いたりしていました。そこから「川部商店」という名前が定着していって、ついには「おい、商店」とまで呼ばれるようになったので、「このまま川部商店でいいかな」と今に至っています。
 名刺には、川部商店の名前と共に、金魚のキャラクターをずっと載せています。お金の専門家としてどんなモチーフがいいかと考えたとき、「お金の『金』の文字は、金魚の『金』と同じ。それに金魚は赤くて見た目もかわいいし、和風の川部商店にぴったりだ」と思ったんです。というわけで、川部商店の名前と金魚のキャラクターのセットを起業当時からずっと使っています。

FPとして、講演、セミナー、メディアで活躍

──FPとしての現在のメイン業務は何ですか。

川部 メイン業務と決めているわけではないですが、セミナーや講演などで話す仕事が多いです。連載など執筆業務も増えていますし、本も出しました。また、個人相談の業務をするほか、テレビ・ラジオにも出演しています。
 ラジオ出演のきっかけは、あるイベントでパネルディスカッションのパネラーとして呼ばれたことでした。イベントMCだったラジオ局の方から声がかかりレギュラー出演が決まりました。ラジオは毎週レギュラーで出演していて6年目になりました。お金の時事ネタなどを楽しくわかりやすくゼロから説明するようなコーナーで、固定のリスナーもできました。また、別のルートでテレビの情報番組のお金のコーナーにも出演しています。テレビの仕事は不定期ですが、コメンテーターではなく「お金の学校」というコーナーでボードを使って解説しています。その他、全国各地から執筆の仕事や取材の依頼もきます。多方面から声がかかり本当にありがたいですね。

──社労士業務に関してはいかがですか。

川部 各種手続代行などをしていますが、法律的判断以外はほぼアシスタントに任せられるようになったので、私はFPの仕事で動くことが多いです。当初はFPという一本の刀をより強くするために社労士の資格を取ったのですが、結果的には個人向けにFP業務、企業向けに社労士業務と、二刀流になりました。
 アシスタントは高校時代の同級生で、優秀で真面目な人です。その人柄をよく知っている上でアシスタントをお願いしました。彼女は子育て中でパート勤務ですが、出退勤時刻も自由ですし、家でできることは家でやってもOKとしています。彼女がいないと事務所が回らないので、働きやすい環境を作らなければと思っています。

「わかりやすい」「役に立つ」、そして「おもしろい」

──FPとして相談を受けるときや講師をするときに心がけているのはどのようなことですか。

川部 「任せるから全部やって」「商品を選んで」と一方通行にならないように、一緒に勉強してもらえるように心がけています。
 また、「わかりやすい」「役に立つ」だけでなく、必ず「おもしろかった」とセットになるように意識しています。「興味深い話だったな」という気分でお帰りにいただけるように心がけているのです。
 講師の仕事に関しては、今までFPや社労士に限らずいろいろな講師の方の話を聴いてきて、「とにかく場数を踏む」「準備が9割」「時間配分が大事」は全てウソだと思いました。これらは講師の自己満足であることが大半で、受講者の満足や理解とは必ずしもリンクしていないのです。自分が生まれ持ったキャラクターも思っている以上に大事ですし、人前で話すには工夫が必要だと早い段階から思っていました。「伝える」と「伝わる」は全然違います。参加者の様子を見て準備していた内容や順番をガラッと変えることもありますし、声の強弱やスピードの変化などはメリハリを意識しています。「ここは少し難しいので集中しないとわからなくなってしまうところです」と注意を引くなど、あの手この手です。そして、本やレジュメを読めば済むような内容とは違うライブ感も大事にしています。動画でもテレビ会議でもない目の前にいる生身の人間に話しているわけですから。「時は金なり」なので、受講されている方の時間も無駄にしたくないですね。

──個人相談に来られるのはどのような方が多いのですか。

川部 堅実な会社員や公務員の方が多いですね。タイミング的には、家を購入されるときが圧倒的に多くて、家を買いたいけど資金計画は大丈夫か確認したいという相談です。中流家庭以上で年収も平均よりちょっと高いけど富裕層ではない方たち、つまりすでに家を買えそうな方が多くて、しかも有料で相談に来られるような意識の高い方ですね。
 個人的には、「お金を払って相談するのは抵抗あるけど、相談料5,000円ぐらいなら夫婦で払えるかな」くらいの伸びしろを感じる普通の方にも来てほしいです。

──FP業務がメインということですが、今後の社労士業務についてはどのようにお考えですか。

川部 これまでと同じように、企業と契約をして、従業員の入退社、助成金申請などの手続代行、就業規則作成などの業務も行いますが、個人向けの業務にも興味があります。FPとして個人の家計のアドバイスをしているので、その延長として何かできないだろうか、と考えています。例えば、働く環境のことで悩んでいる方に法律的なアドバイスをするとか、老後の年金はもちろん、障害年金や遺族年金、離婚による年金分割手続きのお手伝いもいいかもしれませんね。また、セミナーや講演の内容も、FPとしての話だけでなく社労士分野も増やしていけたらと思っています。

ブレないで、とにかく継続が大切

──セミナーや講演などは道外でも行われるのですか。

川部 呼ばれれば全国各地に飛んでいます。地域密着というやり方もあると思いますが、私は地域にそれほどこだわっていません。今はメールやインターネットがあるので、場所に関係なく全国で仕事ができるようになったと思います。地方の人でもやりやすくなっていますね。

──道外で仕事をするようになったきっかけはあったのですか。

川部 東京で2011年に開催された、TSUTAYAビジネスカレッジ主催の「講師オーディション」という大会に出場したことですね。予選を通過して本選の十数人に残り、全国3位に入賞しました。自信になりましたし、本の執筆などにもつながっていきました。その後は今まで以上に、東京など道外での仕事を受けることを大げさに捉えなくなりましたね。時には少し遠くで仕事をしたり交流したりするのは刺激にもなりますし、地方の人にはおすすめできます。

──今日の川部さんがあるのは、諦めずに続けたことが要因ですね。

川部 本当にその通りです。「継続は力なり」の意味が40歳を過ぎてわかりました。先ほどもお話ししましたが、継続と言えばカッコいいですけれど、ただやめていないだけです。私には使命感という一本の柱があるから、ここまでやってこられました。それがなければ、今でもアルバイトをしていたかもしれません(笑)。

──資格取得をめざしている方々にメッセージをお願いします。

川部 私の場合は、「生きるためのお金の応援をする」という使命感がありました。使命だから、儲からなくてもできる。そこからお金に関するキャリアは16年になって、個人レクチャーや講演受講者は3万人を超えました。
 資格は裏切らないし、消えません。だから絶対にブレないでほしい。とにかく継続です。やめない、撤退しないでい続けることです。
 私がCFP®をめざしていたときも、「資格が取れたら、食べていけるかなあ。そうしたら保険営業をやめようかな」という女性がいましたが、そういう問題ではありません。資格取得はただエントリーが完了しただけで、そこからが大事です。資格を取るなら、まずは目的を持っていただき、それを果たすためにがんばっていただきたいと思います。

[TACNEWS 2019年9月号|特集]

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