元公務員のTAC講師によるコラム
元技術系国家総合職の講師が
公務員時代のキャリアについてご紹介します!
技術系の国家総合職がどのような仕事をしているか、TAC国家総合職講座の田村講師が自身の公務員時代のキャリアについて紹介いたします。5回にわたって年代別のキャリア、第3回目の40代編。これから技術系の国家総合職を目指そうと思っている方に向けたメッセージなどを連載していきます。
◎講師紹介
田村 義正(たむら よしまさ) 講師
昭和55年運輸省(現国土交通省)入省。国土交通省、科学技術庁、経済産業省で管理職として技術行政(総合政策局技術安全課長等)、人事院で技術系国家公務員採用業務(首席試験専門官)を担当。現在はTAC国家総合職講座、公務員講座で面接、官庁訪問対策を中心に講師として活躍中。
昭和55年(1980年)大学院修士課程(機械工学)を卒業した私は、運輸省に入省した。
採用活動は、運輸省(現国土交通省)、科学技術庁(現文部科学省)、通商産業省(現経済産業省)、郵政省(現総務省)を訪問したが、どこの行政も興味があった。運輸省に入省したが、その後、科学技術庁、経済産業省、人事院の4つの役所に勤務し、多様な技術行政を行う機会があった。
船舶局(現国土交通省海事局)からスタートした。運輸省で機械工学の技術系職員が活躍していたのは、船舶、航空、自動車、港湾局の4局であった。船舶、航空、自動車は、安全・環境技術政策であった。加えて、船舶部門は、造船業の産業振興・研究開発(経産省と同じ製造業振興)を行っていた。
① 科学技術庁原子力安全局核燃料輸送対策室長(経済産業省原子力安全保安院)-18~20年目
交通安全の観点から、危険物、特に、核燃料の輸送は極めて高度な分野であり、さらに、核物質の盗取・破壊行為の対象となりやすい分野であることから、運輸省と原子力の安全を図る科学技術庁が協力して規制を行っていた。科学技術庁は、政府全体の調整を行い、原子力規制の中心として原子力安全局が置かれていたが、核燃料輸送対策室長として勤務した。また、核物質のセキュリティー確保のため核物質防護対策室長も兼務した。
(写真:核燃料の陸上輸送(文部科学省HPより))
私自身は、20代に日本原子力研究所で電力会社の技術者などとともに3か月原子力研修を受けた経験があり、その知識を使う場であった。ちなみに、科学技術庁は、戦後できた若い役所であったため、運輸省や通産省など多くの職員が集まってできた経緯があり、交流も多い。
国際間の輸送も行われるため、IAEA(国際原子力機関)で放射性物質輸送規則を策定し、それに、基づき、輸送規制を行う。放射性物質といっても、医療用の微弱なものから、原子力発電所からでる使用済核燃料や再処理分離した高レベル廃棄物という放射能が極めて高いもの(人間が直接接すれば一瞬で致死に至る)、数㎏で原子爆弾が造れ、数㎎の吸引で致死量といわれるプルトニウムまで多様な輸送物について、大学や研究機関の専門家や審査官を動員して安全審査を行った。
核燃料輸送容器は、万一、交通事故に遭っても、漏洩しないような安全基準が設けられ、高速での衝突を想定した衝撃試験、火災試験、深海への沈没を想定した水圧試験などを行っても、容器外面での放射線レベルが安全で、漏洩などが起こらないという極めて高度な安全基準が課せられている。
(写真:高レベル廃棄物運搬船(文部科学省HPより))
着任3月後、国内原子力発電所から、青森県の核燃料再処理工場に初の使用済核燃料を搬入したが、直後、新聞社が核燃料輸送容器の遮へい材のデータが改ざんされていたという資料を持ってきた。メーカー、遮へい材施工業者、材料メーカーを立ち入り調査したところ、多くの輸送容器のデータが改ざんされていることが判明した。
原因究明委員会、マスコミ、国会など多くの関係者の対応に追われた。新聞社・テレビの記者会見も多く、お元気のようすテレビにて拝見しましたという年賀状も受け取りました。全輸送容器の承認を取り消し、1年余りかけて再審査を行った。
2年目には、欧州から再処理したMOX燃料(酸化プルトニウム焼成燃料)の持ち帰り輸送があった。万が一にも海外のテロ集団に狙われると一大事であることから、警察、海上保安庁、通産省、外務省などと調整した。欧州から日本まで、無寄港で航路・警護体制すべて極秘での輸送であった。
(写真:地球深部探査船「ちきゅう」(文部科学省HPより))
日本の発電所にMOX初搬入の日に、東海村のJCO核燃料工場で我が国初の臨界事故があり、原子力安全局あげての対策に取り組んだ。臨界事故で反応した核燃料の処理工場までの輸送なども審査委員の先生とともに審査するとともに、周辺住民への安全性説明会を行った。
②海洋研究開発機構地球深部探査センター技術開発室長―23~25年目
海洋研究開発機構は、しんかい6500などの深海潜水船を持つなど日本の海洋研究の中核機関で、ここで、海溝型地震の滑り込帯、マントルなど地球の内部構造の研究を行う地球深部探査船「ちきゅう」の建造の責任者として、技術開発室長として勤務した。地球深部探査センターとは、ちきゅうを運用して、地球科学の研究を行うセンターであり、地学学会会長の平朝彦先生をセンター長として、研究運用、掘削運用、技術開発の部門で建設、運用を行った。
(図:南海トラフ科学掘削(水深6000m)(海洋研究開発機構HPより))
全長210m、5.6万トン、高さ130mの巨大な船で、海面に浮いたまま6個のアジマスプロペラ(360度旋回できるプロペラ)で数mの誤差で位置保持し、1万mの深さの掘削を行える科学調査船である。
深海ドリリングとは、21世紀の科学技術を用いても1万mの長さのドリルパイプでの掘削を行うのが限界であることから、地表からの距離が短い深海底から、掘削を行う科学研究であり、米国、欧州などの世界最高水準の地球科学研究者を乗せて、研究を行うものであった。
建造は、世界最高技術水準の三菱重工長崎造船所で行った。三井造船の船体位置保持技術、石川島播磨重工、川崎重工など日本の最高技術に加えて、米国の石油掘削技術者、ノルウェーの海洋掘削会社を統合して、600億円の建造費をかけて、完成した。
完成後には、天皇陛下(現上皇陛下)のご視察をうけるとともに、深海潜水船「しんかい6500」などともに、映画「日本沈没」に登場し、注目を集めた。
就航後、南海トラフのほか、東北大震災の地震発生源の土壌サンプルが取得され、科学・防災研究に大きく役立ったと聞いている。
(写真:しんかい6500(海洋研究開発機構HPより)