元公務員のTAC講師によるコラム
元技術系国家総合職の講師が
公務員時代のキャリアについてご紹介します!
技術系の国家総合職がどのような仕事をしているか、TAC国家総合職講座の田村講師が自身の公務員時代のキャリアについて紹介いたします。5回にわたって年代別のキャリア、これから技術系の国家総合職を目指そうと思っている方に向けたメッセージなどを連載していきます。
◎講師紹介
田村 義正(たむら よしまさ) 講師
昭和55年運輸省(現国土交通省)入省。国土交通省、科学技術庁、経済産業省で管理職として技術行政(総合政策局技術安全課長等)、人事院で技術系国家公務員採用業務(首席試験専門官)を担当。現在はTAC国家総合職講座、公務員講座で面接、官庁訪問対策を中心に講師として活躍中。
昭和55年(1980年)大学院修士課程(機械工学)を卒業した私は、運輸省に入省した。
採用活動は、運輸省(現国土交通省)、科学技術庁(現文部科学省)、通商産業省(現経済産業省)、郵政省(現総務省)を訪問したが、どこの行政も興味があった。運輸省に入省したが、その後、科学技術庁、経済産業省、人事院の4つの役所に勤務し、多様な技術行政を行う機会があった。
船舶局(現国土交通省海事局)からスタートした。運輸省で機械工学の技術系職員が活躍していたのは、船舶、航空、自動車、港湾局の4局であった。船舶、航空、自動車は、安全・環境技術政策であった。加えて、船舶部門は、造船業の産業振興・研究開発(経産省と同じ製造業振興)を行っていた。
①船舶検査官―技術行政の基礎を築く―1~4年目
近畿運輸局の現場に船舶検査官として勤務し、一般職のベテラン検査官から、設計や工事監督など実際の技術をたたきこまれた。船舶検査官は係長以上の職務であるが、上級職は採用年から任命された。自動車や航空機は、プロトタイプの開発を行い量産するのに対し、船舶は、家と同様一隻毎に設計を行い、建造することから、安全検査も船舶ごとに行う必要があり、設計レベルで審査ができる高度な技術系行政官を多数必要とする。船舶安全法という船の安全基準や検査方法を定めた法律に基づき、船体、エンジン、電気、消防・救命設備など多岐にわたる基準に基づき検査を行った。設計検査から、材料検査、溶接、試運転までの現場確認も多く、定期検査も行った。
この経験が、その後40年近く勤務する技術系行政官の基礎を作った。航空機や原子力、先端科学などの仕事でも大いに役立った。(写真:巨大な船舶の検査(鉄道・運輸機構HPより))
(海洋汚染の環境対策、北洋底引き船の安全対策)
昭和40年代の高度成長期には、工場排水、船舶からの廃油排水などが海に捨てられ、汚染は深刻化していた。図2のように膨大な汚染が東京湾、瀬戸内海で多数発生していた。海洋汚染防止法がつくられ、タンカーの2重底化、油水分離器の義務化などを行い、現在のようにきれいな海に戻ってきている。(図:海洋汚染発生状況(環境省HPより))
また、新潟運輸局に勤務し、冬のベーリング海でスケトウたら漁を行う北洋底引き漁船について、第28あけぼの丸の傾斜・沈没海難(549トン、34人中33人死亡)を受けた安全対策を行った。
(図:第28あけぼの丸(北洋トロール漁船)の設計図(国土交通省HPより))
②航空機の安全対策―国際会議で安全基準策定―5~6年目
航空機の運航面の安全を確保する航空局運航課の危険物係長になった。参考まで、上級職の場合、係員は、1年目のみで、2年目には係長に昇格する。
(写真:航空機の運航(国土交通省HPより))
1980年代、技術革新により、多数の乗客を搭載できるワイドボディー化が進んだ。ボーイング747など胴体径がそれまでの直径3mから6.5mと2倍にもなった。乗客数が倍増したばかりでなく、床下貨物室も倍増し、手荷物・郵便しか積んでいなかったのが、大量の航空貨物が搭載できることから、航空貨物輸送量が急増・多様化し、引火性、毒性などの危険物貨物が問題となった。
私の業務は、カナダのモントリオールICAO本部で開催されるパネルの出席し、ICAO条約の国際基準を審議、策定するとともに、国内法に取り入れることであった。また、基準にない個別ケースについて、承認することであった。航空業界ばかりでなく、貨物などに関係する化学、製薬などの多数の業界から意見を聞き、技術的な妥当性の判断する多忙な職務であったが、自分が輸送と航空機の安全を支えているという自負心を持てた。
心臓移植の患者のアメリカへの輸送やオリンピックなどの聖火の輸送も担当した。
(日航機123便墜落事故現場に派遣)
昭和60年8月12日、JAL123便が御巣鷹山に墜落した。520人が亡くなる世界最大の航空機事故である。私の運航課は、航空機事故を取り扱う部署であり、多くの事故情報と対応を行ったが、123便には羽田空港で医療用放射性物質が搭載されていた。
言救助活動等を行う自衛隊員や機動隊員に危険性、発見時の扱いを指示するとともに、回収を行うため、翌朝から専門家と事故現場に派遣された。
御巣鷹山で、現地責任者として、4日間、数キロ四方にわたる航空機事故現場を歩きまわり、現場指示と医療用放射性物質の回収、サーベイの対策を行ったことは、忘れられない思い出である。
(写真:JAL123便の墜落現場(御巣鷹山)(国土交通省HPより))