日本のプロフェッショナル 日本の司法書士|2023年9月号
田子 洋督(たご ようすけ)氏
司法書士法人田子事務所
行政書士田子洋督事務所 代表
司法書士 行政書士
1981年、東京都墨田区生まれ。2006年、立教大学経済学部経営学科卒。2010年、司法書士試験合格。同年、行政書士試験合格。東京都内と千葉市の司法書士事務所勤務を経て、2016年、司法書士田子洋督事務所を開業。2019年、法人化によって「司法書士法人田子事務所」に名称変更。2020年2月、墨田区錦糸町に錦糸町支店開設、2022年12月、千葉県船橋市に船橋支店開設。
目標はJR総武快速線の停車駅(千葉駅~錦糸町駅)に各一の拠点。
売上規模、人員規模を拡大し、大型法人をめざします。
東京都の東側に隣接する千葉県市川市。人口50万人弱、東京のベッドタウンで開業したのは、司法書士・行政書士の田子洋督氏だ。現在売上規模1億円、総勢23名の組織を「売上規模5億円、人員規模100名」にまで拡大するのが目標だと語る田子氏。その一方で「のんびりくつろげるカフェのような法律事務所」をめざして、専門用語や堅苦しい言葉を使わずに相続相談を受けている。田子氏はどのような思いから司法書士になり、拡大路線に入ったのか。田子氏が資格取得をめざした経緯からこの先の方向性についてまで、エピソードを交えながら語っていただいた。
学生時代は演劇に熱中
現在、司法書士として活躍する田子洋督氏は、大学に進学するとき、「何か変わったことをしたい」と考えていた。立教大学の新入生歓迎会では「変わったことがいい」という理由で演劇部と馬術サークルを、さらに「カッコいい」という理由で男子ラクロスを見学した。選んだのは演劇部と馬術サークルの掛け持ち。やってみた結果、大学生活のすべてをかけるほどのめり込んだのが演劇だった。
「演者をやりたい人は演じる。脚本を書きたい人は脚本を書く。他にも、カメラ、照明、音響…。それぞれやりたい人がやりたい役割を担っていく。他大学の演劇部や社会人劇団と共演したり、新宿駅前広場でゲリラ公演をしたり、浅草の花屋敷で公演したり。すごく楽しかったです。
小道具に必要だからと自宅の布団を勝手に持ち出して、公演を見に来た両親に『ちょっと、それうちの布団じゃない!』と怒られたこともありました(笑)。大学や外部の小さな劇場で公演するとき、必ず両親が見に来てくれたのはうれしかったですね」
演劇一色の学生時代だったが、まったく資格と無縁だったわけではない。田子氏の通う立教大学は受験指導校と提携して税理士試験の学内講座を開いていた。周囲の学生たちが受講する流れに乗って、田子氏もチャレンジしてみたのだ。
「経済学部に所属していたので、めざすなら税理士だと考えました。でも、財務諸表論の勉強から始めたのですが、数字を扱う試験は向かないなと感じて、すぐにやめました。演劇など他に楽しいこともたくさんあったので、結局、税理士受験はフェードアウトです」
演劇部には大学卒業後もそのまま演劇を続ける先輩がかなり多かった。彼らは何よりも演劇に熱中し、「夢は下北沢の本多劇場!」と掛け声勇ましく劇団を立ち上げる者もいた。そんな熱い思いに動かされ、田子氏も下北沢周辺の小さな劇場に出演していた。
演劇に没頭し過ぎた田子氏は、4年間では卒業できず、1年間の留年が確定。就職活動もまったくしていなかったので「この先どうしようか」と考えた。そのとき浮かんできたのが、「独立できる資格を取得して、いずれ独立したい」という思いだった。
「人の輪の中で協調していくことより、個性を活かして自分のやりたいことをやるほうが自分には合っている。また、やるなら数字を扱う資格よりも、興味のあった憲法などを扱う法律系資格のほうが向いていると思いました」
近くの受験指導校に出向き、窓口担当者に「独立できて、ひとりでも食べていける、何かいい法律系資格はありませんか」と聞くと、「司法試験か司法書士のどちらかでしょう。司法試験は受験資格を得るまでに時間がかかるので、司法書士はどうですか」と言われた。
「これだ!と思いました。だから私の運命を決めたのは、その窓口の方なんです(笑)。今でこそYouTubeで発信したり、TVCMを出したりしてネームバリューを上げている司法書士もいますが、15年前は正直に言って司法書士はそれほどメジャーな士業ではありませんでした。すすめられなかったら、自分では考えつかなかったと思います」
こうして司法書士をめざして、田子氏の挑戦がスタートした。
カフェで働く受験生
司法書士事務所でアルバイトをしながら勉強に励む受験生は多い。しかしそこは「変わったことがしたい」田子氏のこと。働きながらの受験も、普通の受験生とは少し違っていた。
「私はカフェが大好き。アルバイトをするなら、カフェしか考えられませんでした。他の受験生が事務所でアルバイトをする中、私はいろいろなカフェや喫茶店で働きながらの受験でしたね」
アルバイトだとしても司法書士の実務に携わっていれば、少なからず受験にプラスになることもあるはずだ。しかしそんなことは意に介さず、田子氏は25歳から受験を開始して4回目の試験で合格を果たした。
「3回落ちたときには親も心配して、『行政書士のほうが受かりやすいんじゃない? 行政書士をめざしてみたら?』とアドバイスしてくれました。でも模擬試験の成績も確実に上がっていたし、2回目の試験ではA判定が出ていたのでいけると思ったんです。それなのに3回目も落ちてしまった。ただ、自信だけはあって、もうダメだという感覚はまったくありませんでした。あきらめず勉強を続けた結果、4回目で合格できました」
演劇に熱中して大学は1年間留年。その後司法書士をめざすも、3回失敗。それでも両親は、文句1つ言わなかったという。
「ほとんどの学生は大学3年から4年の1月頃には就職サイトに登録して就職活動するのに、私は何もせずに演劇に没頭していました。今、私には2歳半の子どもがいますが、もし自分の子どもがそんな様子なら、きっと何か一言いいたくなるはずです。でも、私の両親は我が子を信頼していたんでしょうね。今考えると本当にすごいなと思います。私を信じてくれたこと、陰から支えて見守ってくれていたこと、すべてに感謝です」
そんな田子氏だが、司法書士に合格した年には、両親のすすめで受けた行政書士試験にも合格している。
こうして4年間の受験時代を経て29歳で司法書士試験に合格した田子氏は、東京都内の司法書士事務所で社会人としての一歩を踏み出した。
不動産登記と成年後見の2本柱でスタート
初めて勤めたのは、東京都墨田区錦糸町にある不動産登記専門の司法書士事務所だった。不動産仲介業者と提携し、中古不動産売買で発生する名義変更や不動産登記業務を扱う、司法書士の王道の仕事をする事務所だ。そこで不動産登記を一通り経験した田子氏が考えたのは、「せっかく難しい試験を通ったのに、定型業務だけをやっているのはもったいない」ということだった。若気の至りでもあるが、田子氏はその事務所を1年半で退所した。
「まったく違う業務をやりたくて、当時流行っていた過払い金専門の事務所に転職し、債務者と消費者金融との間に立って交渉する仕事を1年半ほど経験しました。それまでの不動産登記とはまったく違う業務を経験できて楽しかったですね。
考えてみれば勤務時代は、不動産決済に関わる不動産業者の方といろいろな話ができたり、仲良くなって飲みに行ったり、過払い金請求で交渉したりと、総合的にあらゆる経験ができました。このときの経験が、現在の営業の下地になっています」
そして2014年4月、田子氏は地元・千葉県市川市に司法書士田子洋督事務所を開設。独立開業に踏み切った。
田子氏には、開業したらやりたいと思っていた業務があった。それは、高齢者などの意思決定を支援し、暮らしと財産を守り、安心して日常生活を送れるように支援する成年後見だ。1999年、成年後見制度の施行に先立って、制度を担う司法書士の団体、社団法人成年後見センター・リーガルサポートが設立された。公益社団法人となった現在、全国で約8,500名超の司法書士が登録し、成年後見制度を利用し支援している。そこに田子氏も登録し、事務所は不動産登記と成年後見の2本柱で、財産管理や保全、権利の擁護に寄与してきた。
「独立当初、もっとも多かったのは不動産登記業務でした。今でもこれが一番多いのですが、成年後見もかなりの数でした。成年後見のよいところは司法書士の安定的収益になることです。不動産登記はスポット業務なので、今の仕事量が今後も続くとは限りません。しかし成年後見は一度受任すれば、基本的には契約者が亡くなるまで続くので、顧問契約のように安定的です。その意味で開業当初は成年後見が下支えになりました」
成年後見業務には、入院などの突発的事象が多い。「何かあったときにすぐ対応しなければならない」という理由で、多くても10件程度しか受けられないと話す司法書士も少なくない。ところが田子氏は現在23件の成年後見人を受任している。
「どこまでホスピタリティを追求するかによると思います。私は対応範囲として、『倒れました』『入院しました』『手術しました』と連絡があった際、そのとき必要な緊急時対応を確実に行っていくという方向に舵を切りました。具体的には『今こういう報告がありました』という関係各所への連絡から、手術後しばらく滞在するための施設入所契約の提案や最終的な施設への入所契約までを執り行います。あとは、入院中に看護師から申し送りされたパジャマなどの必要なグッズは、すべて購入して届けていますね」
確かにサポートは手厚いほど喜ばれる。しかし、あくまで「士業」に求められる仕事内容をきちんと行うスタンスを貫くのが田子氏の後見業務だ。一方で、通帳を預かり定期的に家賃や保険料を振り込む財産管理、そして施設への入所契約といった身上保護への対応はできるだけ早く対応するようにしている。
「万が一クライアントが倒れたときは、介護士雇用手続きをします。何でも自分で対応するのではなく、場合によってはプロに頼む。メリハリをつければいくらでも仕事として成り立ちますし、ある程度の件数を受任することは可能です」
どこまでを自分の守備範囲にしていくのか。それを決めるのは本人次第だと田子氏は語っている。
戦略的営業で相続を拡大
不動産登記と成年後見からスタートした田子氏の守備範囲は現在、会社設立・商業登記、離婚・財産分与の他に、相続・遺言などの相続関連まで裾野を広げている。
「今では、司法書士ができる業務はすべて網羅しています。不動産の決済がしたければ決済、相続がしたければ相続、成年後見がしたければ成年後見。なんでも経験できるので、独立したい方にはうってつけの環境です」
朝から相続の面談に出かけ、昼は成年後見申し立ての面談をして、午後は不動産の決済と、幅広い業務を経験できるのだ。
「忙しいぶん、やりがいは大きいし、独立を考える人にとっては経験値を高められるのでメリットもある。きっとおもしろいはずです」
現在、事務所のメイン業務は相続・遺言と決済が占めている。以前は不動産登記6割、相続3割、成年後見1~2割だったが、ここ2~3年で相続業務が一気に増え、相続6割、不動産登記2~3割、残りの1~2割が成年後見、会社設立、商業登記、離婚・財産分与などへと変化してきた。
相続業務が増えたのは、田子氏が尊敬する横浜の司法書士法人のトップが相続に特化していたことがきっかけだという。
「今までの相続は、亡くなってからWebサイトを見て司法書士に不動産登記を依頼するのが通例でした。すると手続きは相続発生の約半年後になります。もっと早い対応ができないかと考え、私はある方法を思いつきました。亡くなって葬儀を執り行い、最後に精算となった段階で、葬儀社からご遺族の方に『相続の手続きはありますか?』と聞いてもらうようにお願いしたのです。大半の方が多少なりとも不動産をお持ちなので、『それなら不動産の手続きについては田子事務所から連絡させましょう』と伝えてもらい、その後私たちから連絡をとってご自宅にうかがうという手筈です。
それまでは司法書士が直接ご自宅にうかがうこと自体、珍しいことでした。私たちは事務所のある市川から柏、流山、酒々井、東金などのご自宅まで出向き、相続の話をお聞きして受任につなげています。まだお骨がある四十九日よりも前のタイミングでお話しするので、お骨にきちんと手を合わせて礼儀に倣って挨拶できる。これほど迅速な動きができるのは、司法書士として画期的だと思います」
こうして葬儀社や不動産会社と連携をとり、早い段階で相続のコンタクトが取れるようになってから、相続・遺言業務は飛躍的に広がった。
「司法書士や行政書士は、事務所を大きく広げようとする先生がそれほど多くないと感じます。地元だけでいい。1人でやっていきたい。遠くまで行かなくてもいい。そのような先生が多いので、私たちはその真逆をめざしました。大人数でフォローして、地元・市川だけでなく、事務所のある都内や千葉の他にも場所を問わず、どこでもうかがいます。今では事務所近くの案件のほうが少なくなくなりました」
規模拡大で活躍するのは、田子氏と、グループの「行政書士法人ひなた」トップの坂井龍之介氏の2人。2人で営業をかけ、お客様とのつながりを作る積み重ねが8年間あって、現状に至る。田子氏個人の行政書士事務所とは別に、彼が行政書士法人のトップを務め、仕事のすみ分けをしながら連携するチーム体制が整っているのだ。
総武快速線停車駅に拠点展開
2014年、市川市南で開業した当時、田子氏のお客様はゼロだった。そこからどのようにして顧客開拓してきたのだろうか。
「まず小学生から市川に住んでいるという、地の利を活かしました。地元の知人の他に親睦団体、商工会議所、青年会議所(JC)といった同年代から40代までの方たちの交流の場に参加して、ネットワークを作っていきましたね。1年目は外部のコンサルティングも受け、担当コンサルタントと一緒に外回りをしました。不思議なもので、そうして回っているうちに自然にコネクションができて、その繰り返しの中で自然にお客様が増えてきたんです。
ですから私は開業1~2年目の苦労があまりないと感じていて、正直それほど困ったこともないんです。それなりに営業力があったのか、親睦団体の方から大型案件を受任してからは、売上がケタ違いに増えていきました。地の利と営業力と運を駆使したスタートダッシュだったと思います」
その後、2019年には法人化を果たし、司法書士法人田子事務所に名称変更。さらにその翌年、錦糸町支店をオープンし、2022年12月には船橋支店もオープンして3拠点体制となった。
「JR総武快速線の錦糸町駅から千葉駅までには駅が7つありますが、そのすべてに事務所を作ることが目標です。まだ4駅に事務所がないので、今後もいろいろと仕掛けていき、事務所を大きくしたいと考えています」
現在総勢23名、うち資格者は司法書士4名、行政書士2名。司法書士法人としてはかなりの規模の事務所だ。
求める人物像は一所懸命な人、一緒にがんばれそうな人
事務所の最初のスタッフは、前の事務所で一緒に働いていたメンバーだ。開業しても軌道に乗るかどうかわからなかったので、「雇ってもお金を払えないかもしれないから」と断ったが、それでも信じてついてきてくれた。
「彼が入ってくれたおかげで私のフットワークが軽くなり、動きやすくなった。とても助かりましたね。実務が得意なので、実務面は最初から任せていました。結果的に、一度もショートすることなく給料も支払えてよかったです」
2023年で開業10年目。成長した組織の求める人物像は、「一所懸命な人」「話をしてみて一緒にがんばれそうな人」だという。
「私が面接するとどうしても『来てくれてありがとう』という気持ちになって、ついつい採用したくなってしまう。でもそこは周囲に相談してから決めるようにしています」
業務上、不動産決済に立ち会い、本人確認をするのは司法書士の役割なので、できれば司法書士有資格者を採用したいところ。しかし現実は厳しいようだ。
「今、司法書士資格を持っている方がなかなか採用できなくて、本当に厳しい状況です。エージェントを通して採用しようとしても、司法書士試験の難易度も高いので母数が少ない。ですから今後も募集を続けていきます」
めざすは「売上規模5億円、人員規模100名」
JR市川駅南口で開業したあとは、千葉街道沿いに移転し、現在の事務所、市川本店には2年前に移転。駅から徒歩1~2分の好立地に事務所を構えている。今後は、総武快速線の錦糸町駅から千葉駅までの各駅に拠点を作ることに加え、売上規模5億円、人員規模100名の組織をめざしたいと田子氏は語る。
「現在は約1億円の売上規模なので、その5倍。人員規模も同様の拡大路線です。尊敬する司法書士の先生の事務所にコンサルティングを受けに行ったとき、その事務所が5億円、100名規模だったので、まずはそこを目標にしようと思っています。専門特化に走る事務所よりも、より多くの人とふれあい、チームプレーで成長する事務所をめざしたいですね。
法人として規模を大きくして、従業員のためにも福利厚生の手厚い組織にしていきたい。私が代表を退いても、事業承継をして長く存続できるようにしたいと思っています」
売上規模と人員規模を広げるために、今後さらなる営業努力が必要だと田子氏は話す。現在も集客のため、市川市周辺の公民館やイベント会場を中心に、こまめに事業承継、相続・遺言、家族信託などのセミナーを開いている。
「ご依頼いただいたものは基本的にすべて受けています。私ひとりががんばっても組織の成長は進みませんから、事務所内の若手にもセミナー講師を務めてもらうようにしていますね」
40代となった今、後進の育成もトップとしての田子氏のミッションになっている。
カフェのようにくつろいで相談できる
ガラス越しに陽の光が溢れ、外には緑の葉を茂らせたグリーン。ジャズの流れる明るい室内で、観葉植物を眺めながらソファーでくつろぐ…。まるでどこかのカフェのような雰囲気が漂うのが田子事務所のオフィスだ。書類だらけの司法書士事務所のイメージと大きくかけ離れている点は、「変わったことがしてみたい」田子氏らしい取り組みといえる。
「受験生時代からカフェが好きでしたが、今でもカフェでお茶を飲みながら家族や友人と話をするのが大好きです。カフェには、勉強をしている人や恋人同士で来ている人、ケンカをしている人、のんびり考えごとをしている人、実に様々な人の日常があります。ゆっくりと自分の時間を楽しみながら、気軽に相談できるカフェのような空間で、相続の話をしていただきたいと考えています」
そのために「遺留分」や「相続放棄」といった法律用語など堅苦しい言葉は使わず、できる限りわかりやすい言葉で話すように心がけている。堅苦しいイメージを持たれがちな士業の世界で、ソフトタッチでくつろげる場所を提供しているのも、田子氏ならではのサービス精神だ。
そんな田子氏は「何もなくても独立して広げていくことができるのは、士業ならでは」と司法書士の魅力を語る。
「ゼロから起業しようとしても、資金やコネクションなど、いろいろなことが必要でハードルが高い。でも資格があれば、営業力を駆使してコネクションを築き、独立することができます。何より一番の魅力は、私のように大きくしたければ大きくしていけるし、自分1人や、夫婦2人など少数精鋭の個人事務所でミニマムにやることもできる点です。半年から1年事務所で修行したのち、すぐに独立する人が多い点が司法書士の特徴ですが、最近では、独立の道ではなく大手法人に勤務し続ける人も増えてきています。多様な働き方ができるのも司法書士の魅力。自分のやりたいこと、好きなやり方を選べるのは、大きなやりがいにつながります。それは士業独特の魅力だと思います。
皆さんも、試験合格の先に目標を持って、いろいろな専門性をめざしてみてください」
かつて演劇を志した青年は、今年2023年で42歳。堅物で話しにくい法律家のイメージを払拭するために、「笑顔で相談できる親しみやすい法律家」をめざしている。
[『TACNEWS』日本の司法書士|2023年9月号]