日本のプロフェッショナル 日本の社会保険労務士|2022年11月号

Profile

長友 秀樹氏

社会保険労務士法人NAGATOMO 
代表社員 社会保険労務士

長友 秀樹(ながとも ひでき)氏
1975年10月14日、大阪市生まれ。父の転勤にともない福岡市へ。中学・高校は広島市で過ごす。1998年、筑波大学第一学群社会学類(法学専攻)卒業。新卒で雪印乳業株式会社(当時)に入社。6年半の勤務のあと、製薬会社のヤンセンファーマ株式会社に転職。在職中に社会保険労務士試験に挑戦し、2007年に合格。2008年より藤間公認会計士税理士事務所 (現:TOMAコンサルタンツグループ株式会社)に転職。2009年に株式会社プロジェスト/青山財産ネットワークスグループに転職。2012年8月、長友社会保険労務士事務所として独立開業。2018年10月に法人化し、社会保険労務士法人NAGATOMOに改組、代表社員に就任。

透明性の高い経営と提案内容を自ら実践することで、メインの医療機関、そして一般企業の人事労務の課題解決に貢献していきます。

リモートワークの浸透や時差通勤の推奨など、コロナ禍は人々の働き方に大きな影響を与えた。そんな時代に注目を集めているのが人事・労務のスペシャリストである社会保険労務士だ。さいたま市で医療機関の人事労務相談に強みを持つ社会保険労務士法人NAGATOMOの代表 長友秀樹氏も、コロナ禍による変化に困惑する企業へアドバイスを与えてきた社会保険労務士のひとりだ。そんな長友氏はなぜ社会保険労務士をめざし、医療機関をメインターゲットとする展開を図ったのだろうか。その歩みを追ってみたい。

コロナ禍で注目される社会保険労務士

2019年4月に働き方改革関連法が一部施行され、「働き方改革」という言葉が世に浸透し始めた。働く人々が、個々の事情に応じた多様で柔軟な働き方を、自分で「選択」できるようにする――。「働き方改革」は、大企業に限らず中小企業・小規模事業者も対象であり、対応に苦慮する経営者は少なくない。

 そんな中、政府が求める「働き方改革」通りではないものの、人々の勤務形態、就業意識を一変させたのは、新型コロナウイルスの感染拡大だった。緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が複数回発出され、その対応のため企業ではリモートワークの推進や時差出勤など、働き方を大きく改革せざるを得なくなった。

 そんな時世に注目を集めている資格のひとつが、社会保険労務士(以下、社労士)である。社労士の長友秀樹氏が代表を務め、医療機関の人事労務相談をメイン事業として行う、さいたま市の社会保険労務士法人NAGATOMOにも、コロナ禍にあえぐ企業から数々の相談が寄せられている。

「私たち社労士はコロナ禍でかなり多忙になりました。コロナ禍での従業員への対応などに悩んだ企業から、相談が寄せられるようになったためです」

 社員がPCR検査で陽性になった、家族が陽性になった、あるいは濃厚接触者になった。いつまで休ませるのか、その間の給与はどうするのか、雇用調整助成金の申請対象になるのか、労災にあたるのか。隔離期間は有給休暇か、それとも特別休暇を与えなければならないのか。会社として、事業所として、営業を継続していいのか、それらに対する法的な見解はどうか、法的見解はわかったが、現場に合わせた対応はできないのか――。コロナ禍も3年目となった2022年現在では、企業の対応ノウハウも蓄積されてきたものの、当初はこの前例のない事態に企業から様々な相談が寄せられた。

「私たちは医療機関をメインに人事・労務相談を行っていますが、このときは様々な企業から相談が寄せられましたね。企業にとっても前例のない事態でしたが、それは私たちも同様でした。今までに蓄積してきた情報やノウハウ、知見で足りないところは、労働基準監督署やハローワーク、年金事務所などに問い合わせて、確認を取りながら相談に乗るようにしました。もちろんコロナ禍に関連したものだけでなく、本来の働き方改革に関する相談も多く寄せられています」

 長友氏が率いる社会保険労務士法人NAGATOMOは2012年8月1日に社労士事務所としてスタートし、2018年10月1日に法人化を果たしている。現在、社労士6名、スタッフ2名の8名体制だ。では、長友氏はどのような経緯で社労士となり、医療機関をメインターゲットに展開しているのだろうか。その歩みを追ってみたい。

弁護士への憧れから法律を学ぶ

長友氏は1975年に大阪市で生まれた。父が転勤をともなう仕事に就いていたため、大阪市のあとは福岡市に、そして中学・高校は広島市で過ごした。

「思い返せば転々としていますね。そのおかげで友だちづくりが得意になって、人間関係の構築に苦手意識がなくなりました」  広島市に住む中学時代、長友氏はバスケットボール部に所属していた。高校でもバスケットボール部に入ろうとしたのだが、教師からストップがかかった。

「高校は、公立高校の押さえ校として受験した私立高校に進学しました。決して経済的に豊かな家庭ではありませんでしたが、一般的に学費が高いとされる私立高校に進学できたのは、学費免除になる特待生として合格できたからです」

 偏差値の高い進学校ではなかったが、家族のことを考え、長友氏はこの私立高校に進学した。学校側が特待生入学の長友氏に期待していたのは、進学実績を上げること。そのため部活動への入部は叶わず、ひたすら勉強をする高校時代を過ごすことになった。大学進学に際しても学費のことを考え、国立大学進学の道しか考えなかったという。

「大学入試センター試験(当時)で良い結果が出ず、志望していた国立大学の合格は絶望的になりましたが、得意科目が活かせるのではと、高校の担任教師に筑波大学の2次試験を勧められて受験したところ、無事合格できました。

 勉強漬けの高校時代でしたが、国立大学への進学も叶いましたし、実際には友人にも恵まれて程良く遊ぶこともできたので、結果的にはこの学校にして良かったと思えました」

 中学時代に観た『都会の森』という弁護士が主役のTVドラマの影響で弁護士に憧れていた長友氏は、大学で法学を専攻した。

「法学専攻ではありましたが、私は歴史も好きでしたので、歴史の勉強もしたいと思っていました。筑波大学では他の専攻の授業も履修しやすく、単位として認められます。法律だけでなく歴史の授業を履修できる環境があることも、筑波大学への進学を決めた理由のひとつです。もちろん国立大学ですから学費が安いこと、大学の立地が地方なのでひとり暮らしの生活費が安価に抑えられることも大切でした」

 弁護士への憧れから法学部に進み法律の勉強に励んだ長友氏だが、弁護士をめざすことはなかったのだろうか。

「司法試験には結局チャレンジしませんでした。大学に行かせてもらえるだけでありがたいという経済状況でしたから、もし司法試験をめざすなら在学中合格しかありえません。しかし先輩の話を聞けば、何年も浪人しないと合格できないと言います。私の場合、実家の援助を受けてまで浪人するつもりはありませんでした。それに当時も司法試験をめざすならダブルスクールは当たり前でしたが、その費用も捻出できませんし、そもそも地方都市なので受験指導校も近くになく、環境的にも整っていません。ですから大学を卒業したら就職しようと気持ちを切り換えました」

 こうして長友氏は大学を卒業後、子どもの頃に転校を繰り返したことで得た人間関係構築スキルから、人と接する仕事が向いていると思い、1998年4月、営業職として雪印乳業(当時。以下、雪印)に入社した。

 ただ、この決断を長友氏は少し悔いているという。

「本当に弁護士になりたいのなら、めざすべきだったのではないか、単に困難なことから逃げただけだったのではないか、と思うこともあります」

法律への未練から社労士試験に挑戦

「当時から、雪印の主力事業は牛乳とチーズやバターなどの乳製品でした。ところが、私が担当したのは雪印の中では非主流部門の育児用粉ミルク部門の営業で、病院や産院を対象に自社商品の育児用粉ミルクの普及促進を行う仕事でした。産院で使用した粉ミルクを退院後にも使い続ける母親が多いと言われていたため、どうにか自社の粉ミルクを使ってもらえるように、院長などにPRしていました」

 長友氏は雪印に約6年半在籍しているが、退職を考えたきっかけは何だったのだろうか。

「育児用粉ミルクの営業はかなり泥くさいもので、病院や産院に通い詰め、院長や看護師長などにべったり張り付くようなスタイルです。院内に長くいるので、製薬会社の営業(MR)の方と知り合う機会もありました。同期の中には、そのツテで製薬会社に転職する人もいたので、気になって話を聞いてみると、今の営業スタイルより学術的な面が求められるとのことです。私は勉強することが好きなので、同じように病院に訪問する営業の仕事なら製薬会社のほうが向いているのではと思い、転職を決断しました」

 2004年に長友氏は製薬会社であるヤンセンファーマ株式会社に転職。MR職として主に200床以上の病院を担当した。学術的な面の勉強も進め、まずまず充実したMR生活を送っていた。ではそこからなぜ社労士というキャリアへと舵を切ることになったのだろうか。

「いくつかの理由が重なったためです。当時はすでに結婚しており、東北地方のある県に夫婦で赴任していました。転勤があることは承知しての入社ですから構わないのですが、赴任した地域に夫婦ともにうまくなじめず…。東京本社への異動願は出していたのですが、次の異動もまた地方になりそうでした。このまま営業の仕事を続けていいのだろうかと、不安が募ってきたというのもキャリアチェンジを考えた理由のひとつです。向いていると思って営業職に就き、前職と合わせて10年近くが経とうとしていましたが、ずば抜けた成績が残せたわけではありません。その一方で周囲には、医師に気に入られ抜群の成績を上げるような、営業が天職なのだろうという人もいました。

 また、MRは医師に面会するために診察や手術の終了を何時間も待つことが当たり前の仕事でしたが、夜遅くまで他社の50代と思われる方と一緒に病院の廊下で待っていたとき、その姿を見て『自分もこの年齢までこうしてずっと医師を待ち続ける仕事をするのだろうか』と迷いが生じてきてしまったのです」

 自らの進路に迷った長友氏に去来したのは、大学時代法学専攻でありながら、法律と関係性の薄い職業を選んでしまったことから生じた法律への未練の思いだった。「何か法律関係の資格取得をめざそう」、そう考えた長友氏は社労士試験への挑戦を決意した。

「社労士、行政書士、税理士、中小企業診断士といった法律系の知識を学べる資格の中で、自分が興味を持てそうで、かつ取得できそうな難易度の資格という観点で検討しました。社労士の学習内容には社会保険がありますが、社会人になってからずっと携わってきた医療の分野にも関係があり、身近に感じましたので、社労士は自分に合っていると考えました」

 MRの営業は車移動が多いため、長友氏は通信講座で勉強を開始した。移動中は講義のカセットテープを倍速で流して、インプットに努めた。試験の直前期となる5月の連休明けからはアウトプットとして過去の試験問題をとにかく解いた。

「社労士の合格発表は11月ですが、8月の本試験後の自己採点で合格を確信しました。製薬会社には年内での退社を申し出るとともに、社労士としての就職活動を始めました。2007年11月には無事合格通知を受け取りました」

会計事務所、コンサルティング会社、そして独立開業

社労士試験に合格した長友氏は2008年2月より、藤間公認会計士税理士事務所 (当時)に就職し、社労士としての一歩を踏み出した。当時の藤間事務所の社労士部門はアウトソース部門とコンサルティング部門に分かれており、コンサルティング部門は未経験可の募集をしていたため就職できたという。長友氏はこの事務所で一般企業の人事制度の構築、就業規則作成、労務相談を経験している。

「社労士の独占業務である書類作成や手続代行といったいわゆる1号・2号業務はアウトソース部門が担当するため、私は一切行わず、労務相続などのいわゆる3号業務のみ行っていました」

 約1年半の勤務のあと、長友氏は株式会社プロジェスト/青山財産ネットワークスグループに転職をした。

「より組織的なコンサルティングの経験を積みたいと考えての転職でした。こちらでは人事系だけでなく組織系コンサルティングにも参画し、M&Aに関する人事・労務コンサルティングや労務デューデリジェンスも多数経験させてもらいました」

 こうして約5年の社労士経験を積んだ長友氏は独立開業へと心が動いていった。

「もともと独立開業は頭の片隅にありました。もうすぐ5年という節目を実感したとき、独立開業するときが来たのかなと思いました。当時の上司に思いを打ち明けたところ、快く送り出してくれました」

 ただ、会社として長友氏の退職が織り込まれていなかったためか、独立開業後も業務委託という形で、担当クライアントはしばらくの間、引き続き長友氏が担当することになった。

「業務委託がなければまったくのゼロスタートでしたから、振り返ってみれば恵まれた独立開業だったかもしれませんね」

 こうして2012年8月、長友氏は長友社会保険労務士事務所をスタートさせた。

「独立開業に際して、営業方針をどうすべきかは悩みました。いろいろな先輩や知人に相談すると、何かひとつ強みを掲げたほうが営業しやすいとのアドバイスを受けました。ただ、強みを掲げることには逆に不安もありました。『医療専門』と掲げたら、医療以外の一般企業のお客様は全然話を聞いてくれないのではないか。一方で『どんな業種にも対応します』と打ち出しても、大勢の先輩社労士がいる中での集客は難易度が高いですよね」

 悩んだ結果、長友氏は「医療分野の人事労務専門」という強みを掲げることにした。

「営業職時代から、医療機関が人事労務の問題を抱えていることは実感していました。医師と話していると人事労務に関する困りごとがよく話題に出てくるためです。また、Webサイトを調べたら医療機関専門を打ち出している社労士事務所はあまりなかったので、ブルーオーシャンであることを信じて、この領域に飛び込むことにしました」

事務所の特徴は医療機関特化と3号業務

クライアントの開拓のため、Webサイトでの情報発信、クリニック向けの人事労務をテーマにしたブログ執筆、人事労務情報を発信するグループの組成、病院・クリニック向けのセミナー開催などに長友氏は取り組んだ。

「前職からの業務委託をきちんと行うことに加えて、徐々に自身のクライアントを増やしていきました。前職の業務委託として請け負っていたクライアントは、私の後任の担当者が決まる毎に手離して、2年間で自身のクライアントだけになりました。その頃には、開業当初の業務委託の案件のみだった段階と同等の収入が得られるだけのクライアントを確保していました」

 前職からの業務委託のクライアントをすべて手離したところから、事務所の本格的なスタートとなる。ではそのあとは、クライアントをどのように増やしてきたのだろうか。

「Webサイトでの情報発信も行ってきましたが、実際のクライアントは基本的に紹介で増えてきました。前職でお世話になった税理士や業務で連携する士業の仲間、医療機関を対象としているコンサルタントや営業担当、MRなどからの紹介が多いですね。紹介してもらえるのなら、医療機関に限らずきちんと対応することを伝えていますので、紹介いただく先は医療機関だけでなく一般企業もあります。現在では月次顧問に限ると約80件ですが、うち医療機関が6割、一般企業が4割となっています」

 事務所の業務としては、月次顧問に加えて、就業規則の作成や人事制度の構築、単発の労務相談などのスポット業務もある。社会保険手続など手続業務が単発で依頼されることはほとんどないようだ。

「うちの特徴は社労士の1号・2号業務だけでなく、3号業務にも長けていることにあると考えています。特に労務デューデリジェンスや人事制度の構築は、純粋な労務相談業務ができる社労士事務所でもまだまだ対応できるところは少ないと思います。社員社労士の宮林克明は前職からコンサルティング業務の経験がありますし、私以外にも3号業務に長けた人材がそろっています。組織としてコンサルティング業務に対応できる点が一般企業に対してのアピールになっているのではないでしょうか」

 開業以来、着実にクライアントは増加。2018年には社労士法人化も果たし、2022年8月で開業10年を迎えた。

「クライアントは毎年10件程度ずつ増えてきています。スタッフは、開業2年を過ぎた頃にパートタイマーを1名採用したのが最初でした。そこから少しずつ増えて現在は社労士6名、スタッフ2名の8名体制になりました」

 長友氏はこの着実なペースで今後も事務所を成長させていこうと考えている。

クライアントの主担当は社労士

総勢8名のうち社労士が6名と、社労士比率が高いのは何か意図があるのだろうか。

「必ずしも社労士資格者に限った募集や採用はしていません。資格の有無に関わらず募集している中で、たまたま社労士が増えたというのが正しいかもしれませんね」

 そう語る長友氏だが、クライアントの主担当は必ず社労士にすると決めているという。

「開業から数年間は、すべてのクライアントに主担当として私が関わっていました。ただ、クライアントが増えるに従い、私だけではスピーディーなレスポンスなどの対応を行うのが難しくなったので、社労士を採用しました。一般的に、会計事務所では補助者が主担当を務めることが多々ありますし、資格がなくても優秀な方がいることも経験上知っています。ただ、クライアントとしては、やはり有資格者に担当してほしいという願望があることを、会計事務所勤務時代にも肌で感じることがありました。ですから、独立して自分の事務所を持つときには、主担当を社労士に限定しようと決めていました。

 メインのクライアントである病院やクリニック自体が医師を筆頭に有資格者の集まりですから、特に有資格者を主担当に望むところはあると思います」

リモートワークと時差出勤を恒久化

さて、冒頭でコロナ禍に際し社労士への相談が増えていることをお伝えしたが、長友氏自身の事務所でのコロナ禍対応はどのように行われたのだろうか。

「最初の緊急事態宣言が発出された2020年のゴールデンウィーク明けからリモートワークと時差出勤の両方を取り入れました。毎日1名は事務所に出勤して、電話対応や郵便物などの処理を行います。それ以外のメンバーはリモートワークです。ですから3週間に2回程度出社の日がある計算ですね。

 現在は1日2名の出社にしていますが、リモートワークと時差出勤の制度は続けています。出社時間は朝7時から11時までの間、30分単位で選べるようにしています」

 リモートワークと時差出勤を組み合わせての勤務形態は、当初、コロナ禍の非常措置と考えていたが、スタッフ全員の希望で制度として恒久化したという。

「スタッフと話し合い、リモートワークで十分に成果を出せること、すでにスタッフ全員の生活に定着しているということで、制度として恒久化しました」

 中には、2021年の1年間で、年に1回しかリアルで顔を合わせることがなかったスタッフもいるそうだが、毎週月曜日の朝はオンラインで全体ミーティングを行うことでコミュニケーションの場を確保しているという。

「実はコロナ禍に新入社員が1名入社しています。そのスタッフは実務経験が少なかったため、リモートワークにせず約1年間は毎日出社してもらいました。毎日違う人が出社してくる中で、顔と名前を覚えたり、業務のアドバイスを受けたりとコミュニケーションを取ってもらいました。一方、既存のスタッフは勤務歴も職務歴もそれなりの経験値がありましたので、すぐにリモートワークに転換できました。リモートワークは基本的にひとりで業務を行いますので、ある程度の経験値は必要だと思います。初めからリモートワークでは、わからないことがあっても誰に何をどう聞けばいいのかさえわかりませんし、進捗管理もうまくできないと思います。約1年間の出社期間によって、そのあたりの勘どころを身につけてもらうとともに、既存スタッフとのコミュニケーションも円滑に取れるようになりました。そうして今はそのスタッフも、他のスタッフ同様にリモートワークを行っています」

 リモートワークと新人の育成という課題は、どこの会社、事務所でもあり得ることだ。それを独自のやり方で長友氏は乗り切った。

「今後もスタッフは増やしていこうと考えています。そのときも経験値を踏まえ、必要に応じて出社期間を1年、または十分な経験がある方なら3~6ヵ月程度に短縮しながら、同様のスタイルで実務とスタッフ間のコミュニケーションを身につけてもらう予定でいます」

 新しい働き方について自らの事務所が実践することで、企業の指針となるだけでなく、そこで発生した課題を解決するノウハウもまたクライアントに還元できるのである。

透明性を高めた経営をしていきたい

事務所のWebサイトは、サービスの料金体系から採用ページまで、詳細を明瞭に記載しているのが特徴的だ。

「意図的に明瞭に書くようにしています。それはお客様にも、求職者にも、もちろん在籍しているスタッフにも、なるべく透明性を高めた経営をしていきたいと考えているからです。誠実に、というとちょっと大げさですが、相手にも事前に情報を知ってもらっていたほうが、私たちにとっても仕事がしやすいと考えています。変に情報を伏せて、その都度ケースバイケースで対応するよりも、お互いに共通認識のルールの上でやっていたほうがトラブルも少ないと思います」

 求職者にとっても、入社前に入社後の条件や環境がわかっていたほうが良いという考えだ。実際、入社後のギャップが少ないのでトラブルも減るという。

「透明性という意味では、法人化する2018年10月に向けて人事制度を作りました。私たちはクライアントの人事制度を作る立場にいるので『人事制度は大切です』と言っていますが、自分たちが実践していなければ、説得力がないですよね。ですから、人事制度を作り、賃金制度も決めて、この制度に基づいて働いてもらいますと、職員に公開しています。事務所内においても透明性はとても大事だと思います」

 実は社労士などの士業の個人事業所は一般の会社とは違い、従業員が5名以上になっても社会保険の適用除外制度という特例があり、加入が義務づけられていなかった。しかし長友氏は最初のスタッフを雇用したときから、任意加入で社会保険に加入している。なおこの特例は2022年10月に撤廃されるため、従業員数5名以上の士業事務所の社会保険は強制加入となる。

「スタッフを雇用した当初から社会保険に任意加入したのは、自分が勤務していたときに、士業事務所もそうあるべきだと考えていたからです。経営者になって、考えが変わった部分もありますが、自分が勤務していたときに抱いていた望みは、できる限り実現したいと思っています。

 業務の担当の仕方にも、勤務時代の思いが反映されています。うちではアウトソーシング部門とコンサルティング部門を分けていません。これは私が勤務時代、社労士であるにもかかわらず従来型の1・2号業務を経験せずに過ごし、独立後に苦戦したという思いがあるからです。ですから、1号・2号も3号業務も幅広く仕事をしたいという好奇心旺盛な方は、うちの事務所に向いていると思います」

 最後に社労士をはじめ資格取得をめざしている読者にメッセージをいただいた。

「継続は力なり、ですね。私の私見ですが、なぜ社労士になりたいのか、なぜ資格を取得するのかという気持ちが強くないとなかなか勉強は続けられないと思います。社労士試験はマークシート式なので司法試験や公認会計士試験に比べれば挑戦しやすい面はあると思います。しかし大小含めて10科目があり、すべてに合格しなければなりませんし、各科目の合格基準点をクリアする必要もあります。そう考えると楽な試験ではありません。

 まずはモチベーションを保つ必要があり、そのためにはなぜめざすのかという理由をしっかりと持つことが大切です。そして継続して勉強するには、何かを犠牲にする覚悟も必要です。受験前の生活スタイルをまったく崩さないままでは合格は難しいと思います。私は1年で合格したかったので、本試験が終わるまでテレビや映画は観ませんでしたし、もちろん旅行にも行きませんでした。それぐらいの覚悟は必要だと思います。

 ただ、社労士の仕事には、その覚悟をして努力するだけの価値があります。インターネット上にはマイナスイメージの情報もたくさんありますが、今社労士として仕事をしている私は、そんなことは絶対ないと断言できます。だから皆さん、がんばってください。働き方改革、コンプライアンス遵守、人事労務の知識が求められる場面は増えていますし、活躍の場はまだまだ広がっていきます」


[『TACNEWS』日本の社会保険労務士|2022年11月号]

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