日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2021年9月号
木村 智 氏
木村会計事務所
代表 税理士
木村 智(きむら さとし)
1964年生まれ、東京都出身。1986年、東京水産大学(現:東京海洋大学)卒業。同年、千葉県職員として3年間は千葉県銚子水産事務所に勤務し、その後3年間は千葉県庁に勤務。1992年、千葉県職員を退職し、半年間、税理士受験に専念。同年9月より会計事務所に勤務。1997年、税理士試験合格。1998年2月、税理士登録。2000年10月、医療と福祉専門の木村会計事務所を開業。
県庁職員から税理士へ転身。
医療と福祉の専門特化で、
新規開業からワンストップでサポートしています。
千葉県船橋市の木村会計事務所は、医療機関と社会福祉法人に特化した会計事務所である。特に新規開業支援ではチームコンサルティングによるワンストップサービスが大きな特徴となっている。経営の舵取りをする税理士の木村智氏は、水産大学から千葉県職員を経てこの道に進んだ、少し変わったキャリアを歩んできた会計人だ。木村氏が税理士になった経緯から、専門特化、事務所の戦略までを詳しくうかがった。
釣り好き少年、税理士をめざす
「私が東京水産大学(現:東京海洋大学。以下、水産大学)に入った頃は、200海里水域制限が決められたことで、遠くで漁をする遠洋漁業から、近くで育てる栽培漁業へと漁業の方針が大きく変わろうとしている時期でした。ですから大学では養殖や増殖などを中心に学びましたね」
笑顔でそう語り始めた木村智氏は開業21年目の税理士。今の話からわかるように学生時代は会計業界にはまったく縁がなかった。
「中学時代から魚と釣りが大好きで、渓流釣り、川釣り、海での投げ釣り、何でもやってきました。大学は水産大学を受験して、将来は水産研究所の研究者に、それがダメだったら千葉県の水産試験場に行こうと決めていました」
水産大学進学後、大学1年と2年の夏休みは、念願の水産研究所でアルバイトを経験した。ただし正式な職員になるには、水産研究所は農林水産省の管轄なので、国家公務員一種(現:総合職)という難関試験を通らなければ入れない。結果は残念ながら不合格となったが、別で受験していた千葉県職員として採用された。ところが希望していた水産試験場には配属されず、千葉県銚子水産事務所の配属になった。
「研究職ではなく、いわゆる行政側。例えば漁船の検査や測量、漁業許可申請、密猟者の取り締まりといった仕事でした。でも海に関わる現場仕事だったので、とても楽しかったですね」
3年目に辞令が出て千葉県庁勤務になると、アクアライン近辺の漁業者のための補助事業や魚礁などの土木事業といった、完全に行政の仕事に変わった。やりたかった水産の仕事とは遠ざかってしまったのである。
「実は銚子にいたとき、同僚が漁業協同組合(以下、漁協)の会計監査をするために簿記研修を受けていて。そのときは時間もあったしなんとなく興味を持ったので、私も一緒に簿記を勉強し、日商簿記検定3級、2級に合格していたのです。
そのあと県庁に異動になって、やりたい仕事に遠ざかってしまいこのままでいいのだろうか、と感じるようになってきたときに、簿記のことを思い出して、『せっかく2級まで取ったのだから』と1級をめざしました。そうして2回目の試験で1級に合格したとき、お世話になっていた受験指導校の先生から『次は税理士ですね』と言われたのです。そこで初めて税理士という職業を知りました。調べてみると、すごくカッコよくて年収も高そうだ、と。こんなにいい仕事があるなら、県庁をやめて税理士になろう。そう思ったのが税理士をめざしたきっかけです」
6年間務めた千葉県職員をやめると話すと、周囲の人はみな反対したが、木村氏にはすでに青写真ができていた。
「退職する前年、働きながら半年間の勉強で簿記論に合格できたので、3月に県庁をやめて8月まで半年間受験に専念すれば、残り4科目も順調に受かるだろうと考えていました。実際に8月の本試験で4科目受験して、3科目は受かっただろうという感触でいましたが、結果は4科目すべて不合格。このときのショックは相当でしたよ。結婚して子どももいたので、どうしようか途方に暮れるばかりで…。とにかく仕事をしないわけにはいかないので、本試験後の9月から勤めていた会計事務所でそのまま働き、後戻りもできずに受験を続けました」
あと4科目、簡単にはいかないだろう、そう考えた木村氏はそこから長期戦略を立てて受験勉強に挑んだ。
「1年で1科目だけを勉強するのは、中だるみしてしまう可能性もありますので、勉強内容のボリュームが重めのものと軽めのもの、2科目を勉強して、1年でそのうち1科目合格することを目標にしました。2科目勉強したうち、1科目は不合格でも翌年につながると思えば、気持ちも少し楽になりますから。1科目も合格できなかった年もありましたので、最終的には7年かけてようやく税理士試験に合格できました」
こうして木村氏は、仕事と受験勉強の両立を成し遂げ、1997年12月の合格発表で念願の税理士試験合格を果たした。
突然の解雇、医療特化での開業
受験時代から勤務していたのは典型的な町の会計事務所で、扱っているのは法人・個人の月次監査から決算申告といった一連の税務・会計業務が中心だった。そんな会計事務所に就職して、木村氏はとても驚いたことがあったという。
「びっくりしたのは、その仕事量の多さです。県庁時代の5〜6倍ではないかと思うくらいの忙しさでした。夜の9〜10時退社は当たり前で、確定申告期は深夜になることも。当時の会計事務所はみんなそうだったかもしれませんが、県庁時代との仕事量のギャップに衝撃を受けましたね。
それでも自由に仕事をさせてもらい、巡回先での決算の打ち合わせや調査立ち合い、営業と幅広く経験できましたので、仕事は楽しかったです。何よりクライアントから直接感謝の言葉をいただけるのがうれしかった。将来独立したいという夢もあったので、厳しければそのぶん成長できると思ってがんばりました」
厳しい環境の中で逃げ出すことなく実直に経験を積んでいた木村氏だが、こだわりをもっていたこともある。それは医療機関に特化して顧客を担当することだった。会計事務所では普通、幅広い経験をしたほうがいいと言われる。勤務していた事務所も不動産関係、建築関係をはじめ、多岐にわたる業種業態を経験することができる環境だった。にもかかわらず、なぜ木村氏はそこまで医療機関にこだわったのだろうか。
「一番の理由は、きちんと顧問料などのお金を払ってくれること。そして医療機関は最初からトップの医師と話ができるので、非常に仕事がしやすいことです。また、会計業界で手続きミスなどによる損害賠償が一番多い対象は消費税なのですが、医療機関は保険診療なので非課税であり、そうしたリスクもないし、会計もいたってシンプルです。所長には『他の業種もやったらどうだ』と言われましたが、『いいえ、私は医療機関しかやりません』と言い張っていました」
税理士試験に合格した翌1998年には税理士登録も済ませていた木村氏。ところが入所8年目、2000年の某日、木村氏は事務所の所長から一方的に解雇を言い渡された。
「突然自宅に解雇通知書が届きました。事務所内ではベテランともいえる私が税理士資格を持ったことで、これ以上顧問先との関係が長引けばいずれ事務所の顧問先を丸ごと持って独立されてしまうのではないかと危惧したのでしょう。
いつかは独立したいという思いもありましたが、事務所でそれなりの地位にいて、それなりの収入がある状態から、準備もままならない状態で飛び出してひとりでやっていくのは怖いし、相当な勇気が必要でした。結果的にはこの解雇が独立開業の後押しとなり、今でこそ、このとき独立してよかったと思うことができていますが、子どももふたりいたので、解雇されなかったら勤め続けていたかもしれません」
千葉県船橋市で独立開業
突然の解雇で充分な準備をする間もなく、2000年10月に開業する運びとなった木村氏は、当然ながらまったくのゼロスタートだった。9歳と6歳の子どもを持つ父親としての責任ものしかかり、生活の不安は大きかった。そんな状況下、木村氏はどのようにして医療特化の会計事務所を開業したのだろうか。
「幸運なことに、当時すでに携帯電話が普及していました。ですから、私をかわいがってくれた元担当顧客の医師たちが、突然私が事務所からいなくなったことを知って、びっくりして次々と携帯に電話してくれたのです。私のほうから前職のお客様にお願いしたわけではありませんが、皆さん少しずつ私のほうに移ってきてくれました。
開業資金は、勤務時代におつき合いがあった金融機関の方が『設備が整わなければ仕事ができないでしょう』と言って、すぐに500万円融資してくれましたし、財務会計システムを提供しているミロク情報サービス(MJS)に電話すると、担当の方が快く協力してくれて、すぐにパソコンとシステムを手配してくれました。さらにオフィスは友人が『家賃はいいからうちの事務所に間借りしていいよ』と言ってくれたので、ありがたく甘えることになって。いきなりの解雇、独立で、最初はどうなることかと思いましたが、周囲の方たちの協力で何とか船出ができました。本当にありがたかったですね」
こうして2000年10月、千葉県船橋市で木村会計事務所はスタートした。そして開業してすぐにスタッフとして税理士1名を採用した。
「ひとりだと営業ができないので、実務はもうひとりの税理士に任せて、私はひたすら営業です。お金もクライアントもないのに、人を雇って実務基盤を先に作りました。一見無謀に見えますが、結果的にはこの役割分担が非常にうまく作用しました。営業、顧客開拓を軌道に乗せることができたのは税理士が入ってくれたおかげなので、とても感謝しています」
慌ただしい開業ではあったが、こうして木村会計事務所は順調な滑り出しを見せた。
医療機関と社会福祉法人の2本柱
木村氏が医療機関専門の会計事務所をスタートさせた2000年は、介護保険制度がスタートした年でもあった。それにともない社会福祉法人の会計基準も大幅に変わったため、医療機関などは少しでもメリットを得ようと次々に社会福祉法人に参入して、介護施設を作り、会計事務所はこぞって大きな特別養護老人ホームや社会福祉法人に営業をかけるようになった。
こうした動きが出始めた頃、木村氏はある友人から「介護施設よりも2年後の保育園、そこをターゲットにしたほうがいい。保育園も同じ社会福祉法人の会計システムに変わるから、ライバルが増えた介護施設よりそちらをやるべきだ」とアドバイスをもらった。そこで木村氏はあえて保育園をターゲットに、2001年の確定申告で得た利益すべてを保育園へのダイレクトメール(以下、DM)に投入したのである。
「なけなしの100万円すべてを全国に3,000箇所以上ある保育園のDMに投じたところ、DMを見た保育園専門の会計ソフトメーカーが問い合わせてくれたのです。当時保育園に特化した会計事務所があるとは聞かなかったですし、保育園の会計制度が変わるタイミングだったので、これは保育園特化の会計事務所として舵を切るチャンスだと思い会計処理と移行処理に関する業務提携をしました。提携後、そのソフトメーカーと協同でセミナーを開催したり、懸命に事務所の知名度アップに努めたりしていくうちに、保育園以外の案件も含めどんどん仕事が入ってくるようになりました。そこから医療機関と社会福祉法人、この2本柱の会計事務所へと転換していったのです」
2001年からスタートした2本の柱は順調に成長し、「翌年からちゃんと食べていけるようになった」と木村氏は話す。
一方で税理士業界にも大きな変化があった。2001年の税理士法改正により2002年4月から税理士法人の設立が可能になったのである。木村氏は改正法施行前から法人化の準備を始め、千葉県で2番目の法人化を実現した。そして当時会計事務所ではめずらしかったWebサイトを作成して認知度アップを狙うと、多くの問い合わせがあり法人化は大成功となった。
ただ、法人化するには税理士2名が無限連帯責任を負う社員税理士となる必要がある。
「法人の継続には、そのリスクに対する不安がありました。結果的にもうひとりの社員税理士が独立して開業する流れになり、法人は3年で解散しました」
それでも法人化していた3年間に大きな仕事を任せてもらえたり、顧問先が増えたりと、事務所の基盤を作ることはできていた。
新規開業サポートはチームで
現在の顧問数は医療機関200件、社会福祉法人100件の合計300件。社会福祉法人のうち7割が保育園、3割が老人介護施設などだ。新規顧問先も毎年10〜15件ずつ順調に増えているという。
「医療機関と社会福祉法人の会計には、それぞれ特徴があります。
医療機関は、会計自体はシンプルですが、経理、人事サポート、融資、広報などいろいろなコンサルティングが求められます。私たちが力を入れている新規開業サポートでは、特にそのスキル、総合力が要求されますね。
一方で社会福祉法人は、納税義務はありませんが、年に1度都道府県から会計監査を受けるので、財務諸表のチェックなどを徹底して行うことが重要になってきます」
開業当初から医療機関メインでやってきた木村氏は、総合病院のような大きな医療機関ではなく、診療所をターゲットに開業サポートから入るコンサルティングを強みにしてきた。
「開業場所の選定、金融機関の融資、医療品卸業者の紹介、リース会社、調剤薬局まですべてフォローできるよう、それぞれの専門家を揃えたチームがあって、チームプレーで開業をトータルサポートできるのが強みです。私のパートは開業事業計画、融資とお金の調達、労務関係です。餅は餅屋で、それ以外の分野はそれぞれの専門部隊に任せています」
開業時からずっと続けてきたこのチームプレー。コロナ禍で今は休止中だが月1回、勉強会も開いている。
クライアントの医療機関は千葉県、東京都を中心に1都3県、そして茨城県にも広がっている。保育園は神奈川県を中心に東京都と千葉県に多い。
「首都圏にクライアントが多いのは、そもそも会計事務所に依頼できるくらいの多額の補助金を得られる保育園が、財政豊かな自治体に限られているからです。
保育園は社会福祉法人で営利団体ではないため、お金はあまりなく、地方には園長先生も置けないような財政事情の厳しいところもあるのが現状です。そこで私は保育園経営のビジネスモデルを考え、提案もしています。例えば職員の採用でも、応募は都市部の保育園に集中しやすく、地方になるとなかなか来てくれません。そこで都市部と地方両方に拠点を持つように施設を増やすのです。そうすればその中で職員を異動させることができ、地方の保育園の人材不足をカバーすることができます。これは医療機関でも介護施設でも適用できますよね。こういったこともクライアントに提案していきます」
常勤社員と在宅社員の分業制
医療機関と社会福祉法人、それぞれの特徴がある中で、専門特化型会計事務所として木村氏は人材育成に力を入れている。
「会計事務所は独立や移籍も多く、人の流動性が高い業界です。でも、うちの事務所は職員の定着率が非常に高いのです。クライアントを担当できるようになるまで大体1年はかかりますが、毎年1名ずつ採用してじっくり育てています。クライアントも担当者がコロコロ変わると信頼できないでしょうし、負担がかかりますよね。人がやめなければ、私のストレスも少ないですし。そこがうちの最大の強みだと思っています」
実は開業当初の木村氏は熱血タイプで拡大志向だった。どんどん職員を入れて、クライアントを増やす。しかし職員は採用しても採用しても次々とやめてしまい、木村氏自身、人間不信に陥った時期もあったという。
「採用した人が実は自分の思ったような人ではなかったり、クライアントからクレームが入ったりすることもしばしばでした。そのときは自分の目が行き届く範囲で、顧問先数も各50件に限定にしようかと考えたこともありました。
開業5〜6年目にこの経験をしたので、拡大志向はそこでやめました。職員が毎年ひとりずつ増えるぐらいの緩やかな上昇のほうがいい。そこから計画的に毎年1名ずつ採用するようになって、定着するようになりましたね」
そんな木村氏が求めている人物像についてもうかがった。
「採用するならコミュニケーション能力がある人、話ができる人、人の気持ちがわかる人。それが大事ですね。実務は1年もあれば誰でもできるようになると思うので、入所時点で仕事ができるかどうかよりも、クライアントのお世話係として寄り添える気持ちとコミュニケーション能力を持っているかを大切にしています」
こうして毎年1名ずつ人を増やしてきた結果、開業21年目の現在、社内に16名(税理士1名、公認会計士1名を含む)のスタッフ、パート社員2名、そして在宅で入力作業や書類作成をする在宅社員7名が在籍する事務所になった。在宅社員の採用の背景には、もちろんコロナ禍も含めた時代の変化がある。
「今は採用が売り手市場なので、大手事務所でなければ税理士有資格者、科目合格者はなかなか来てくれません。そこで2年前から在宅社員の採用を始め、今は在宅スタッフ中心の採用にしています。在宅スタッフに処理作業、月次記帳入力を任せ、常勤スタッフは外回り中心に動く、めざすは完全な分業制です。言い換えれば記帳代行や決算業務はなるべく在宅社員に任せ、常勤社員にクライアントのお世話係としてコンサルティング業務をメインに行ってもらっているのが今の体制ですね」
合格すれば受講料全額を支給
医療機関、社会福祉法人に特化した事務所として歩んできた木村会計事務所だが、少子高齢化が進む日本において今後の展望をどう考えているのだろうか。
「65歳以上の人口が3,600万人を超えた今の日本では、大勢の高齢者、つまり『患者さん候補』がたくさんいるので医業の開業は今からでもまだ大丈夫です。でも15年経てば高齢者は減ってきます。また保育園は少子化で待機児童もいなくなって、ほとんど開業ができなくなるでしょう。私の事業計画では、今のビジネスモデルでは医療法人や高齢者福祉施設はもってあと15年、保育園は5〜6年だろうと予測しています。そうしたら、また私たちも新しいクライアントを求めて事業モデルを変えていかないといけないでしょう」
常勤社員と在宅社員で分業している現在の事務所の体制も、変わってくることになるのだろうか。
「そこは探りながらやっていきたいです。今は税務中心にやっていますが、AIに取って代わられて最初になくなる仕事は税理士とよく言われますよね。ですからいろいろな相談ができて、情報提供できて、何でも相談を受けることができる信頼される税理士にならないと、ビジネスとして成り立たなくなると思います。例えば相手が医師のお客様なら、開業サポートから本人が亡くなるまでのすべてを見ていく。子どもを医学部に進学させたいと言われればどこの受験指導校がいいかアドバイスし、そのときになれば遺言書まですべてをコーディネートしてあげる。それが我々の次のビジネスモデルかと思っています。税金計算だけを行う会計事務所はきっと淘汰されていくでしょう」
そんな時代だからこそ、これからスタッフに伝えたいのは「せっかくこの業界に入ったのだから、資格を取得すべき」ということだという。
「税理士でも公認会計士でも社会保険労務士でもいい。資格を持てば自信につながります。資格があって、コミュニケーション能力があって、人の気持ちがわかれば、会計業界でこの時代を生き抜いていけます」
また、資格を取得するためだけでなく、実務をやっていくにも知識の補充は必須だ。木村氏の事務所では新人だけでなく全員に年間15時間の研修を受けることを義務化している。内容は財務会計だけでなく、あらゆる分野の研修の中で興味を持ったものに参加すればいいという。
「税理士に限らず他の資格に目を向けてもいいし、要は勉強したことが本人の武器になればいいのです。
資格取得をめざすなら、もちろん試験日は休みを取れますし、試験に合格すれば受験指導校の受講料は全額支給します。この機会に、これを読んでいる読者の中からうちの事務所に応募してくれる人がいたらうれしいですね(笑)」
キャッチフレーズは「漁業がわかる税理士」
釣り好きが高じてたどりついた千葉県庁の仕事をやめるとき大勢の人に反対された木村氏だが、自分の人生を振り返って税理士になってつくづくよかったと感じているという。
「あのまま県庁にいたら、リスクを取らずに人生安泰だったと思います。でもお金をもらえて感謝される仕事って、税理士と医師くらいじゃないでしょうか。だからあのとき税理士になる道を選んでよかったと思っています」
しかし今でも釣り好きは変わらない。時々娘を連れてカワハギ釣りや鯛釣りを楽しむという。
「何がうれしいかって、漁協の顧問になれたことです。水産大学から千葉県の銚子水産事務所に入って、そのあと『会計事務所やっています』なんていう人は他にいないから、『漁業がわかる税理士』ってキャッチフレーズがいつの間にかついて(笑)、それで千葉県漁協の顧問にもなりました。2020年からは千葉県富津漁協という潮干狩りをやっているかなり大きな漁協からも顧問を依頼されています。それがちょっとうれしくて、『千葉県の漁協を私が全部見ますよ』と言っています(笑)」
笑顔でそう話す木村氏は、これからは本当に医療と福祉と漁業の3本柱でやっていくのかもしれない。当面の目標は、自分でやれるところまでやって、今事務所にいるメンバーに事務所を引き継ぐことだと話す。
「やはり何よりも人材。個人事務所だと対応しにくいので、また折りを見て法人化したいと思っています。そうすれば採用も幅広くできると思いますしね。今後も在宅社員をメインに、フレキシブルな採用を続けていきたいです」
税理士資格を7年越しで勝ち取った人物なだけに、受験生へのアドバイスもかなり実践的だ。
「資格試験はリズムが大事なので、特に働きながらめざす方はメリハリのつけ方、時間の作り方を工夫してください。例えば通信講座ならWeb講義はどんなに忙しくても絶対この日は受講するという曜日を決めて、その日はどんなことがあっても必ず勉強する。1日でも抜けてしまうとリズムが狂ってしまうし、抜けたところが弱点になってしまいます。通学講座なら必ず設定されている受講日はスケジュール通り通うこと。私も夕方6時半から夜9時まで講義に出て、また事務所に戻って仕事をしていました。そのリズムを崩して土日にまとめてやろうとすると、これもまたリズムが崩れてしまいます。ですから受講日を決めて勉強をする。そして復習は土日にやっていくといったような、確実なリズムを大切にしてください。
また、税理士試験合格のための5科目のうち、選択科目については、『実務で使う国税3法と消費税法の中から選ぶべき』という声もありますが、そこは実務に使うかどうかにこだわらず、国税徴収法や酒税法など勉強の負担が少ない科目を選んでもいいと思います。もっと言えば時間がなければ大学院に行って、科目免除を受けるのもひとつの方法です。そうすれば気持ちが楽じゃないですか。資格は取ってからが本当のスタートなので、取得することそのものに負荷をかけないで、まずは取れる科目から取っていくことが大切です。
資格を取得すると自分の武器になるし、自信につながります。会計事務所に勤めるにしても独立するにしても、自分で資格を取って覚悟を持って仕事をするのは楽しいですよ。充実感があるし自分の好きにできますから」
[『TACNEWS』日本の会計人|2021年9月号]