特集 税理士事務所の事業承継

大貫 智之氏
Profile

大貫 智之(おおぬき ともゆき)氏

WING税理士法人 代表社員
税理士
宅地建物取引士

1983年東京都出身。専修大学商学部会計学科卒業後、都内会計事務所に勤務。2011年、税理士試験5科目めに合格し税理士資格を取得。2018年兼田会計事務所に勤務、宅地建物取引士資格を取得する。同年12月、兼田良久税理士と共にWING税理士法人を設立、代表税理士に就任し税理士法人を承継。趣味はテニス。東京税理士会テニス大会で2連覇(2018年春夏)。私生活では妻と2人の子どもがいる。

 日本の中小企業経営者年齢のピークは70歳近くとなり、団塊世代の経営者が引退時期にさしかかっている。このため、事業を次の世代に引き継ぐ「事業承継」はどの企業においても重要な課題である。しかし、後継者不足に悩む企業は多く、適切な後継者が見つけられず廃業する企業も増えている。また、承継後もお客様と信頼関係をうまく構築できるかなどの問題もある。この状況は、税理士事務所においても同様だ。
 今回は、事業承継により事務所を引き継ぎ、WING税理士法人を立ち上げた大貫智之氏に、税理士をめざしたきっかけから事業承継をするにいたるまでの過程、事業承継する際の難しさと大切なことなどについてうかがった。

資格を意識したきっかけは勉強する父の後ろ姿

──大貫さんは、大学では商学部に入学し、卒業後は会計事務所で勤務しながら税理士の受験。まっすぐに税理士をめざしてキャリアを積まれていますね。

大貫 高校で進路を考える時期に、税理士になろうと決意しました。このため大学は商学部を受験しましたが、希望の大学には合格できませんでした。浪人しようかとも考えましたが、それよりも合格した大学で税理士試験の勉強を進めるほうがいいと考え、入学しました。とにかく「税理士になる」ということばかりを考えていましたね。

──資格に興味を持ったきっかけは何ですか。

大貫 父の影響です。確か電気設備とかボイラー技士関係の資格だったと思うのですが、父は仕事で必要な資格の勉強をよくしていました。仕事から帰ってきて、夜の9時頃から深夜1時、2時頃まで勉強して、朝6時半には起きて仕事に行くというサイクルでした。よくそんなに夜中まで勉強できるなと、子どもながらに尊敬していましたね。そんな父の姿を見て、漠然とではありますが、自分もいつかは資格を取って地に足をつけた仕事をしたいと思っていました。父は今から6年ほど前に他界してしまいましたが、勉強熱心な父の後ろ姿を見て育ったおかげで、今こうして資格を取って仕事ができているのだと思います。

税理士にめざめた先輩の言葉

──数ある資格の中から、なぜ税理士をめざしたのですか。

大貫 高校のテニス部OBの先輩に相談をしたのがきっかけです。当時私は高校3年生で、進路をどうしようか真剣に考えていました。以前から資格を取ろうと思っていたので、いろいろな資格に関する本を読んでいましたが、その中で知った「税理士」という職業について、部活帰りに先輩に相談したのです。

「税理士って、なれたらすごいですか?」
「そりゃあすごいよ、知り合いに税理士がいるだけでも自慢だよ」
「じゃあ俺、税理士になりますわ」

 高校生の会話だから、なんとも短絡的なやり取りだったかもしれませんが、そのときから目がさめたように「俺は税理士になる」と、強く誓いました。それ以後は一度たりとも他の職業をめざせばよかったとか、なんで税理士をめざしてしまったのだろうとか思ったことはありません。

──まさに天啓のようなひと言でしたね。

大貫 そうですね。税理士をめざすことにしたきっかけは先輩との会話からでしたが、実際に税理士になれたのは、高校のテニス部顧問の野間先生との出会いのおかげだったかもしれません。

 私は中学の頃から硬式テニスを始めて、いい成績を残しました。高校に進学したあともテニス部へ入りましたが、テニスがうまかったこともあって、周りから見るとかなり生意気な部員だったと思います。3年生のときはキャプテンをしていましたが、一匹狼というか、テニスが強ければ他のことはいいやという、癖が強めなタイプの人間だったと思います。先生や部員ともぶつかったり、部活をやめようかと思ったりすることもしょっちゅうでした。

 そんな当時の未熟な自分を、テニスだけでなく精神面などのことも根気よく教えてくれたのが顧問の野間先生です。先生は人望が厚く、大勢のOB・OGがことあるごとに高校の練習に顔を出していました。高校3年間での私の成長はわずかなものだったかもしれませんが、この時期に鍛えた精神面の強さは税理士試験の勉強を続けられたベースになったと思いますし、その後の人との関わり方のベースにもなったと思っています。部活時代の仲間や先輩とは今でも飲みに行ったり、仕事を紹介してもらったりと交流があります。こうしていろいろな人と出会えたのも、野間先生なしには経験できなかったことだと本当に感謝しています。

実務と並行しながら挑み続けた税理士試験

──税理士試験の勉強は大学に入ってすぐ始めたのですか。

大貫 入学して数ヵ月後からTACに通い始めて、3年生のときから税理士試験を受けていました。その後大学を卒業して1年半くらいはアルバイトをしながら受験に専念していた時期があります。でも、実務を経験しながら受験するほうがいいと思うようになり、会計事務所へ就職しました。

──会計事務所ではどのようなお仕事をされていたのですか。

大貫 私の入所した会計事務所では、代表の先生が公認会計士・税理士だったこともあり、中小企業の税務をはじめ、上場企業の申告業務や監査業務を取り扱っていました。このため私も大企業から中小企業まで幅広く会計業務を経験することができました。先生には会計業界の「いろは」を教えていただき、とても感謝しています。当時、事務所ではいくつかあるグループのうち3グループほどが上場会社に関する仕事をしていたのですが、私はその中の1グループで会計事務所側の責任者として窓口対応をしていました。普通の税理士事務所は中小企業のお客様が大半で、なかなか上場企業の税務を行う機会はありませんから、とてもよい経験をさせていただいたと思っています。

──正社員として働きながらの受験勉強は大変でしたか。

大貫 そうですね。でも、繁忙期の4~6月こそ忙しかったのですが、それ以外の時期はそれほど残業も多くなく、定時に帰ることができたので勉強に集中しました。仕事で疲れててしまう日もありましたが、TACへ通うということだけは気合いでがんばりましたね。毎日のようにTACに通う生活でした。

──実務と受験勉強に没頭する日々ですね。

大貫 通勤時間はいつも、暗記用の条文集である『理論マスター』を読んでいました。音声で条文を聞いて暗記する人もいますが、私はひたすら読んで暗記するスタイルでした。昼休みも『理論マスター』を読み、定時の5時半となるとすぐ退社し、TACへ行って夜9時頃まで自習室で勉強していました。

──勉強仲間はいましたか。

大貫 最初の頃はあまり友だちも作らず、TACへ行ってもひたすらひとりで勉強して帰るという生活パターンでした。勉強に集中したいから友だちはいらないと考えていたのです。でもなかなか試験に受からなくて、そうすると落ち込むし、孤独との戦いになりましたね。受験時代を思い返すと、最初の頃はいいスタートが切れなくて大変でした。

──やはり勉強仲間はいたほうがいいのでしょうか。

大貫 一緒にがんばる仲間の存在は大きいと思います。私の場合は、大学の同級生が税理士試験の勉強を始めて、彼が仲良くしている人の輪に私も入るようになり、徐々に友だちが増えていきました。彼らに勉強中の悩みなどを相談できるようになってから、楽しくというか前向きな気持ちで勉強できるようになったので、なぜこれまで意地を張って友だちを作らなかったのだろうと後悔しましたね。友だちができたあとは長い受験期間も明るく過ごせたし、今でも仕事の相談をしたり仕事を回してくれたりとつき合いが続いています。あの頃の交友が今も生きているので、友だちを作って本当によかったと思います。

──税理士試験ではどの科目を受験したのですか。

大貫 簿記論、財務諸表論、消費税法、法人税法、事業税の5科目です。最初はなかなか合格できなくて苦しかったのですが、3科目に合格したあたりから勉強の方法がわかってきた気がします。
 私が税理士試験に最終合格したのは2011年の12月、東日本大震災のあった年です。4科目に合格して最後の科目の事業税法を勉強していた3月11日に震災が起きました。電車が止まってしまい帰宅できなかったので、夜まで勉強していれば電車も動くだろうと思い職場を出て真っ先にTACへ向かったのですが、その日TACは臨時休校で閉まっていて、「こんなときに勉強をしている場合ではないのでは」とハッとしたのを覚えています。その後、原子力発電所の事故など日本に暗いニュースが流れ、ボランティア活動をする人達のニュースなどを聞く中で、自分は何をのんきに資格の勉強をしているのだろうという気持ちになりましたね。そんなとき、かつて野間先生が私に言った「お前は試合が終わる前から負けたときの言い訳を考えている」という言葉を思い出したのです。「今年は震災がありこんな状況なのだから勉強が進まなくても仕方がない」と勝手に思い込んでしまっていたことや、最初から逃げ道を作ってしまったことを反省しました。「今の自分にやれることは、勉強して試験に合格し、税理士になることしかない」と再びスイッチを入れて、猛勉強して何とか最後の1科目に合格することができました。

──目標だった税理士になって、今、どのように感じていますか。

大貫 私は現在36歳で、社会人としてはまだ前半戦ですが、資格を持ち税理士として経験を積んだキャリアがあるので、年上の経営者とも対等に話をしたり、アドバイスしたりすることができます。そういう点にやりがいを感じますね。私の年齢のサラリーマンなどでは、なかなか経験できないことだと思います。

思わぬ事務所承継の打診

──大貫さんはなぜ先輩税理士の事務所を継ぐことになったのですか。

大貫 突然のことでしたね。私は税理士登録をした2012年に、東京税理士会新宿支部のテニス部に所属しました。そのときのテニス部の部長の方が、「試合に出るならうまい人がいるから、一緒にダブルスを組んで出てみたら」と言ってくださって、税理士会の春の大会にダブルスで出場したのが、先輩税理士の兼田良久先生との出会いです。当時私は29歳で兼田先生が53歳、実に24歳差がありながらも、兼田先生は圧倒的に私よりも運動量は上、テニスの技術も上。すごく若々しくて、これで事務所の所長をやっているのかとカリスマ性を感じたのを覚えています。

 その後、兼田先生はケガをされて何年も試合に出ず、私のほうは別の方とペアを組んだりして試合に出ていたのですが、2017年の秋に行われた税理士会の団体戦に、ケガから復帰した兼田先生が出場されました。試合の合間にたまたま仕事の話になったとき、兼田先生が「事務所を引き継いでくれる後継者候補の税理士がやめそうなんだよね」という話をされて。私は何気なく聞いていたのですが、数日後、急に兼田先生から電話がかかってきて、「例の後継者候補の税理士がやめることになったのだが、もしよかったらうちの事務所を継がないか」という話があったのです。

──突然の誘いだったのですね。

大貫 かなり驚きましたが、あの「テニスがうまいカリスマ税理士」の方から連絡をもらえたのは素直にうれしかったです。ただ、当時所属していた税理士法人では取締役の位置付けである社員税理士としていいポジションにいて将来も安泰ではありましたので、話を受けるかどうかはかなり悩みました。

──その税理士法人は、受験生の頃に入所された会計事務所とは別の事務所でしょうか。

大貫 同じ会計事務所です。私が入所したときは個人事務所だったのですが、その後事務所を法人化するタイミングで、私も社員税理士になりました。一応、経営者側の人間にはなれたのですが、その事務所には私を含めて4人の税理士がいて、全員で共同運営している状況でした。そうすると経営者側であっても、何かするには他の社員税理士の意見を聞く必要がある。それだと自分で経営しているという実感があまりなくて、その辺が少しモヤモヤしていました。

 待遇はそれなりによかったし、仕事にも慣れていたのですが、そういった気持ちも抱えていたので独立している税理士の知り合いや他の士業の方など、色々な人に兼田先生からの事務所承継の話を受けるべきかどうかについてアドバイスを求めました。すると、ほとんどの人が、事務所を継いで独立したほうがいいという意見でした。私自身、士業でいるからには、いつかは独立をしてトップに立って仕事をしたいと思っていたので、それが今回のタイミングだったのだと思い、継ぐ決心をしました。

士業を事業承継する難しさ

──兼田先生はいつ頃から事業承継を考えていたのでしょうか。

大貫 60歳くらいを目途に引退しようと考えていて、数年前からお客様を引き継いでくれる後継者を探していたようです。実は私の前にやめた税理士のほかにも、何人か候補として税理士を採用していたようですが、お客様とうまく信頼関係を築けなかったり、事務所内の職員と相性が合わなかったりで、だいたい皆さん1年以内にやめてしまっていたそうです。

──それだけ事業承継は難しいということなのでしょうか。

大貫 そうですね。お客様が元々先生と信頼関係を築いていて、その先生が変わるわけですからね。お客様も、新しい先生が嫌いということではないでしょうけど、先生とうまくいっていたのになぜ変わるのかと思う方はいると思います。

──お客様が先任者を気に入っているほど、後継者のハードルは高くなる。それで後継者になることをやめてしまうのですね。

大貫 自分に声がかかったのも、後継者探しの延長線だったかもしれないですが、私は前の事務所で経験を積んできて仕事に自信はありましたし、人との関わりが好きですから、新たな環境でもお客様や事務所内の職員とのつき合いをうまくやっていく自信もありました。

 それで2018年に勤めていた税理士法人を退職して、兼田先生の事務所へ移ったのです。少し込みいった話になりますが、そのとき西新宿にあった兼田先生の事務所は「あおい税理士事務所」という屋号のもと、その傘下として所属する2つの事務所のうちの1つでした。この2つの事務所は同じフロアで仕事をしていて、元々はこの2つの事務所があおい税理士事務所を事業承継する形で1つになる予定だったのですが、方向性の違いなどの理由で一緒にならず共存している状況でした。やはり事業承継はそれだけ難しいのですね。私は兼田会計事務所内でいったん独立税理士となり、2018年の年末に兼田先生と一緒に兼田会計事務所を「WING税理士法人」としました。兼田先生と並んで代表社員税理士となり、その流れの中で兼田先生のお客様を引き継ぎました。

──お客様や他の所員との関係はいかがでしたか。

大貫 私の場合、以前に何人か後継者候補がいたことが逆に幸いしたかもしれません。前の方が何人もうまく行かなかった反動か、経験があって人との関わりが好きな私を良く見てくれた部分がありますね。事務所の所員とも、年齢はさまざまですが仲良くやれていると思っています。今、税理士法人を立ち上げて1年半が過ぎ、なんとか無事に事務所を軌道に乗せることができて、周りの方々から「大貫先生が来てくれてよかった」と言っていただけるのが何よりもうれしいです。でも、まだまだスタートしたばかりです。時間も浅いので、これからもっと深く強く、お客様との関係を築いていかなければいけないと思っています。

信頼関係があってこその税務業務

──実際に事務所を承継された立場から感じる、事業承継で大切なこととは何でしょうか。

大貫 やはり人との関わりではないでしょうか。税理士は、人とつき合う職業です。もちろん税務業務は大事ですが、帳簿が相手ではなく、まずは人。そこの信頼関係があってこその税務業務だと思っています。私は交友関係も広く、いろいろな人とつき合いがあるので、どんな方ともうまくやっていける自信があります。兼田会計事務所へ入ってみたら、お客様に不動産関連業種の方が多かったので、これは自分のほうが染まるべきだと思い、宅地建物取引士(以下、宅建士)の資格を取りました。自分の主張をしっかり持つことも大切ですが、自分が染まるべきだと思ったら柔軟に相手に合わせることも大切だと思います。

──最近、事務所を移転されましたね。

大貫 はい。WING税理士事務所は2020年4月に北新宿へ移転して、あおい税理士事務所とは別の事務所になりました。あおい税理士事務所内のもう1つの事務所のほうは所長の娘さんが税理士資格を取りましたので、それぞれ後継者が定まったという意味でも、お互いに再スタートといったところです。税理士は長くお客様とつき合っていく仕事ですから、事業承継は重要な問題です。私には2人子どもがいるので、将来息子が継いでくれたらうれしいとは思いますが、本人の希望もありますから、そのときにならないとわかりませんね。

──現在WING税理士事務所のメンバーは何名ですか。

大貫 有資格者4名と科目合格者1名の5名です。兼田先生は現在それほど実務に関わらず私に任せてくれて、いろいろな視点からサポートをしてくださっています。ただ、今ひとり税理士の女性が入院していて欠員になっているので、彼女が戻ってきて、フルパワーでやっていければなと思っています。私としてはあまり特定の仕事に特化するよりも、お客様から依頼があればどんな仕事も受けられる事務所にしていきたいと思っています。先に言ったとおり、事務所のお客様は不動産関連の中小企業が多いのですが、私も宅建士の資格を取って仕事の幅が広がりましたし、今後は相続案件なども、もっと扱っていきたいと考えています。

──所員の人数を増やして事務所を大きくするといった目標はありますか。

大貫 人数的にはそれほど大きくしなくていいと思っています。せっかく税理士資格を取ったのですから、私自身が最前線で税理士としてやっていきたいし、ずっとプレイヤーでありたいのです。規模を大きくしてマネジメントに回り、お客様の顔を見られないのは嫌だなと。税理士として、お客様一人ひとりとのおつき合いを大事にしたいと思います。

──事業承継で、兼田先生とはテニスだけでなく仕事でも「ダブルス」を組むことになったのですね。

大貫 そうですね。テニスと言えば、前の税理士法人をやめてこちらの事務所に来てすぐ、久々に兼田先生とダブルスを組んで、東京税理士会の2018年春の大会に出場しました。相変わらず兼田先生のテニスの腕前はすごくて、衰えないなあと感心するばかりでしたね。そして、この春の大会で見事優勝することができたのです。税理士会では春と秋に個人戦とダブルス戦があり、秋には支部対抗の団体戦があります。元テニスコーチや大学内サークルの優勝経験者など、かなりテニスがうまい人がいて、この大会で優勝するのは至難の業ですが、兼田先生といいスタートが切れたと思える、いい大会でした。秋の大会でも税理士法人設立前の景気づけにまた優勝をして「春秋連覇だ」と気合を入れていて、もちろん兼田先生も私と一緒に出るだろうと思っていたのですが、なんと先生は「他の方とペアを組んで出る」とおっしゃったのです。

──それは驚いたでしょうね。

大貫 春は一緒に優勝したし事務所だって継ぐのだから、秋も当然ペアを組むものと思っていたので、それは驚きましたよ(笑)。結局私は別の税理士の先生と組んでもらって出場したのですが、そうしたら何のいたずらか、まさかの決勝戦の相手が兼田先生のペアでした。実力的には兼田先生のペアのほうが上だったのですが、こちらも決勝進出できた勢いや意地やらで大奮闘して、僅差でしたが勝利して優勝することができました。最初は複雑な心境で出場しましたが、優勝して全部吹き飛びましたね。春秋の2連覇は気持ちよかったです(笑)。

──おふたりの仲のよさが伝わるエピソードですね。

がんばった経験があるから今がある

──最後に、税理士をめざしている人や、資格の学習を考えている方々にメッセージをお願いします。

大貫 私は、遊びたい気持ちを犠牲にして20代から税理士試験の勉強を続けてきたのですが、今になって本当に税理士になってよかったと思っています。長い期間試験を受け続けて苦しい時期もありましたが、そのときにがんばりきれたおかげで今があるのだと思います。今は新型コロナウイルス感染症の影響で思うように勉強ができずに、受験する方にとっては大変な時期だと思います。そんな中でも、相対評価で合否が決まる税理士試験は毎年必ず一定数の方が合格します。どんな状況にいても強く「合格したい」という気持ちをもって勉強している人が合格すると思いますので、受験される方は、今年はコロナの影響があったからと言い訳にせずに、今やれる勉強をがんばって試験に臨んでほしいと思います。

[『TACNEWS』 2020年8月号|特集] 

合わせて読みたい

おススメ記事

「TACNEWS」に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。