日本のプロフェッショナル 日本の社会保険労務士|2020年11月号
秋山 佑子氏
A-WORK社会保険労務士法人
特定社会保険労務士
秋山 佑子(あきやま ゆうこ)氏
1977年5月20日生まれ、大阪府出身。2000年、天理大学国際文化学部中国学科卒業。同年、新卒で人材派遣会社に入社。2001年、大手の労働保険事務組合・社会保険労務士事務所へ転職。2002年、社会保険労務士試験合格。2007年、社会保険労務士開業登録。2008年、関東学院大学大学院法学研究科修了。同年、ITベンチャー企業に就職し、総務人事を担当。2012年、秋山佑子社会保険労務士事務所として本格始動。2019年、A-WORK社会保険労務士法人を設立。
個人事務所を開業してから8年、育児と仕事を両立させ、
約100社の顧客を持つ社会保険労務士法人に成長させる
出産後、子育てと並行して社会保険労務士事務所を開業したという秋山佑子氏。育児を優先させるつもりが、知人の紹介で仕事が次々に舞い込み、気がつけば約100社の顧客と4名のスタッフを抱える事務所になっていた。そんな秋山氏に、社会保険労務士をめざしたきっかけから、会社員時代の経験、独立開業へと続く今日までの歩みと、コロナ禍での事務所経営について詳しくうかがった。
完全なテレワークを実現
2020年、新型コロナウイルス感染症の流行は、社会に大きな影響を与えた。緊急事態宣言が出たあと、教育機関は休校になり、飲食店には営業自粛要請が出て休業を余儀なくされ、企業ではテレワークが求められるようになるなど、私たちの生活や働き方は大きく様変わりした。士業の世界でもその影響は大きく、テレワークの導入や輪番制による出勤など工夫を凝らして対応している事務所が多い。
「うちのスタッフは私も含めて、全員が子育て中の女性ですので、学校が休校になったら、事務所には出てこられません。小さな子どもを家に残して出勤するなんて考えられませんから、休校の要請が出されてすぐに全面的にテレワークに切り換えました」
こう語るのはA-WORK社会保険労務士法人を率いる、社会保険労務士(以下、社労士)の秋山佑子氏。現在も事務所は基本的にテレワークがメインで、必要に応じて月に数回程度出社するだけだという。中には数ヵ月、直接顔を合わせていないスタッフもいるとのことだった。
「休校になるとわかったときは正直なところ、困ったことになったなと思いました。子どもが家にいるとなると、スタッフ全員が事務所に出てこられないことが明白でしたから。スタッフがいなければ仕事が回らないので、即座に全面的にテレワークに切り換えることを決断し、休校要請の翌週にはスタッフ全員の自宅にパソコンを送り届けました。全員1年以上一緒に働いているスタッフなので信頼関係もありますし、一定の経験があり業務にも慣れているからか、思いのほかスムーズにテレワークに切り換えることができましたね。オンラインで打ち合わせをしていると、子どもが後ろで『ちんぎん隊長(賃金台帳)って誰のことー?』なんてワーワー言っていることはありますが(笑)、そんな状況もお互い様という気持ちで、テレワークでもしっかりとコミュニケーションをとって楽しく仕事ができていると思います」
とはいえ、コロナの影響が広がった当初、秋山氏は業務に追われ眠れない夜もあったという。長期の営業自粛で経営不振の企業が増えたことなどが影響してか、相談の電話が鳴りやまず、退職にともなう手続き業務の案件が増えたのだ。スタッフには、子どもたちと過ごす休暇を取らせてあげたかったが、ほとんど休ませることができなかったという。だからこそ、ともにコロナと戦ってくれたスタッフには感謝していると当時を振り返った。
「私が社労士事務所を開業したのは育児の真っ最中。私は最初から育児と仕事を両立していくと腹をくくっていましたが、ありがたいことにスタッフも同じ意識を持って私についてきてくれています。仕事だけではなく家庭も大事にしてほしいという思いがあるので、定時になったらパソコンはシャットダウンするように徹底するなど、事務所の取り組みとして工夫していることもありますが、皆さん仕事に意欲的で、子育ても一生懸命な方が多いです」
仕事と育児を両立しながら、社労士法人の代表としてスタッフ4名を率いている秋山氏。どのようなきっかけから社労士の道をめざすことになったのだろうか。
プライベートの時間すべてを社労士受験にあてた1年
秋山氏は大阪府で工務店を営む父と専業主婦の母の元、6人兄弟の長女として生まれ育った。専業主婦として父親を支えて忙しく動き回る母親の姿を見て、自分は専業主婦ではなく仕事を持って外で働く女性になりたいと思っていたという。
「専業主婦として家庭を支えてくれた母には尊敬と感謝しかありませんが、子どもの頃は、仕事を持って外で働くキャリアウーマンになりたいと考えていました。とはいっても、特になりたい職業があったわけではなく、大学進学の際は、これからは中国の時代になるという漠然とした思いから、中国学科を選びました。同級生は優秀な人も多くて、教授になった人もいれば、中国で活躍している人もいますが、私はほぼアルバイト生活で、中国語検定の3級と2級を取得したくらい。今思うと、もっと勉強しておけばよかったと少し後悔しています」
人と話すことが好き。そんな思いから、就職活動では営業職を希望した。そして何社か採用試験を受けていた人材派遣会社のうち、大阪に本社がある人材派遣会社から内定をもらい、2000年に新卒で入社した。
「社労士という資格を意識するようになったのは、この人材派遣会社の先輩社員の影響でした。その先輩はコーディネーターといって、会社と派遣社員をマッチングする仕事をしていましたが、社労士の勉強をしていたので『社会保険って何ですか?』といった質問にもすらすら答えられるような、社内からも派遣社員さんからも信頼の厚い先輩でした。私は営業の仕事の中で、派遣社員さんから同じような質問を受けても、知識がなく何も答えられなかったので、その先輩の姿を見てもっと専門的な知識を身につけたいと思うようになり、社労士事務所に転職をして勉強しようと決意しました」
ここで秋山氏が転職した先は大手の労働保険事務組合・社労士事務所。仕事の合間を縫って社労士試験の勉強もし始めた。
「入社当初は営業担当として、既存顧客に新サービスの提案をしたり、会費の集金に行ったり、解約希望の顧客に契約を続けてもらえるよう説得したりする仕事をしていました。当時、勉強は主に車や電車の中でしていましたね。営業先までの移動中に車の中で講義のカセットテープを、1日2~3時間は聴いていたと思います。通勤時間も長く片道1時間半ほどありましたので、その時間も電車の中でカセットを聴きながらテキストを開いていましたね。土日の片方は講義があり、残りの1日は終日自習室で勉強していました。年が明けてから本試験の日までプライベートの時間はすべて受験勉強につぎ込んでいましたね。その甲斐あってか初めての受験で合格することができました。私が受験した年の本試験では、マニアックな就業規則に関する出題があったのですが、その頃ちょうど実務で就業規則に携わっていたことも幸いしたのだと思います」
社内公募に応募して就業規則と助成金に特化したコンサルティング部門に配属された秋山氏は、年に200社の就業規則作成や、人事制度の設計などにも携わっていた。豊富な実務経験が、合格につながったのだ。
税理士試験の勉強を通して得たもの
社労士試験に合格した秋山氏は、勤務先で就業規則などの作成に携わる一方で、税理士資格の取得をめざし始めた。なぜ、税理士だったのだろうか。
「社労士事務所勤務1年目の営業時代、顧問契約を企業に薦めた際、『うちは税理士に全部見てもらっているから』と断られることが多々ありました。また、人事制度の設計をするためには会社のお金について理解する必要があるとも感じていて、手始めに日商簿記検定の3級と2級を勉強してみたところ、思っていたよりおもしろくて熱が入ってしまったのです。将来的に社労士と税理士、両方取得していればきっと役に立つはずだという思いもあって、そこから税理士をやってみようと勉強を始めました」
こうして税理士の受験勉強に打ち込み始めた秋山氏は、より受験勉強に時間を割けるようにと社労士事務所をやめ、残業のない派遣社員として働きながら税理士をめざした。
さらに税理士試験の科目免除制度を活用すべく、大学院にも通い始める。
「大学院に通いながら、税理士の実務も経験したいと思い、会計事務所でアルバイトを始めました。私としては税理士補助として仕事をするつもりで入社したのですが、事務所の方針で労務部門を立ち上げることになり、社労士資格を持っていた私は、社労士の開業登録をして労務部門を任されることになりました。そのため当初の意図である税理士補助はできないまま、営業からお客様の社会保険の手続き業務、給与計算の実務まで、社労士の仕事に幅広くに携わっていました」
その後税理士試験の勉強はどうなったのだろうか。
「大学院は卒業しましたが税理士試験の受験はやめました。3年間真剣に勉強しましたが、合格できたのは財務諸表論だけで、仕事にするのは難しいだろうという判断でした。また、社労士の仕事に慣れ、だんだんとおもしろさややりがいを感じられるようになっていたこともあり、二兎を追わず社労士一本でやっていこうと決めました。
合格はできなかったものの、税理士の勉強をしたことで経営に必要な経理や税法などの知識が身につき、自分で経理や確定申告もできるようになりました。それに、少し負け惜しみも入っていますが、今では税理士に『なれなくて』よかったと思っています。開業当初から、税理士になって開業した大学院時代の仲間からたくさんのお客様をご紹介いただいているのですが、私がもし税理士になっていたらライバル同士になるわけで、お客様を紹介してもらえることはなかったでしょうから(笑)」
「税理士になれなくてよかったし、税理士をめざしてよかった」と笑顔で語る秋山氏。実はもうひとつ、税理士をめざしてよかったと思える理由があった。秋山氏は税理士の受験勉強のために通っていたTACの自習室で、当時ロースクール入試の勉強をしていた現在の夫と知り合うことができたからである。
「税理士試験の勉強をしなかったら、夫と知り合うことはなかったかもしれませんね。私が上京して大学院に入ったのも、当時つき合っていた夫がロースクールに入るために上京するということがきっかけでしたので、税理士にはなれませんでしたが、いろいろな意味で勉強をしてよかったと思います(笑)」
「子育て中心」を想定し社労士事務所を開業
大学院を卒業した秋山氏は、ITベンチャー企業に就職することになった。
「大学院卒業後は、一度事業会社で人事の仕事を経験したいと考えました。それまでは会社の外から人事を見ていましたが、会社内部で人事を経験し、採用などにもかかわりたい。会社内の役割や他部署との関係、できれば上場準備などにも携われればという思いがありました」
秋山氏が入社したITベンチャー企業の管理部門は、部長以下、経理1名、総務・人事1名という少人数体制だった。総務・人事は秋山氏ひとりだったので、総務・人事にかかわるあらゆる業務を経験できたという。
「この会社に勤めているときに結婚、妊娠しました。自分で手続きを行って休業へと入り、産前産後・育児休業取得の社内第1号となりました」
そして秋山氏は育児休業後にITベンチャー企業を退職し、社労士として自身の事務所をスタートさせることになる。
「子育てしながらの復職は無理かもしれないと考えていた私は、会社に戻らない場合も想定して、後任の方にきちんと引き継ぎをしてから休業に入りました。ところが育児休業が終わる少し前に、後任の方が会社をやめてしまったのです。私も退職しましたが、臨時で会社を手伝うことに。ただ、子どもを預けられる日は手伝いに行っていましたが、その後も後任はなかなか見つからず、私も1歳の子どもを家に残して仕事に行くことは難しいですから、どうしたらいいのかと困っていました。そこで社長に、『私は社労士として開業しますので、顧問先になってもらえませんか?顧問として仕事をさせてください』とご提案したのです。もともと社内にいたこともあり、社内の状況や業務もよく知っているので、やりやすいだろうと思ってもらえたのか、提案は快諾いただけました。現在は、人事・総務の担当役員さんが社内にいらっしゃって、私は顧問社労士としてサポートをしています」
かつての勤務先だったITベンチャー企業が顧問先になり、他にも会計事務所在籍時のお客様3社から、独立したらうちの会社をサポートしてほしいという依頼があった。子育てと両立しながら、この4社のお客様と一緒に社労士事務所を始めれば、自分のお小遣いくらいにはなるだろう。自宅事務所ならコストもかからないのでやってみるのもいいのではないか。そんな目算をもとに、2012年、秋山佑子社会保険労務士事務所として独立し、本格始動した。
「最初はお客様を増やそうとはまったく考えていなくて、子育てと両立というよりは、子育てを中心に考えたいと思っていました。子どもが小さいうちは家にお母さんがいたほうがいいという考えがあったのです。
ところが社労士事務所を始めてみると、ご紹介で次々にお客様が増え、子育てを中心にすると考えていたはずが子どもを保育園に預けるほど忙しくなり、さらにはオフィスを借りてスタッフも雇うことになり、今に至ります。新規営業はほとんどしていませんし、事務所のWebサイトを作ったのも3年前なのですが、スタート当初から人に恵まれ、ありがたいことに紹介が相次いだのです」
大学院時代の仲間の税理士、会計事務所勤務時代の上司や当時の顧客、ゴルフ仲間の弁護士、司法書士など、お客様を紹介してくれるパートナーにも恵まれているという。
メイン業務は労務顧問と給与計算
法人化した現在、A-WORK社労士法人の顧客は約100社あり、うち80社の労務顧問も担当している。また、顧客の給与計算業務も受託していて、原則として定期訪問はせず、やりとりは電話とメールなどで行っている。
「給与計算業務を受託している理由は、私自身が給与計算を得意としているということと、他にも2つあります。1つは、給与計算業務を受託することで、毎月決まった時期にお客様とコミュニケーションがとれるということです。誰にでもすぐ代わることのできる業務ではありませんので、コスト削減の対象になりにくい、つまりは解約されにくいと考えました。
もう1つの理由は、給与計算に必要な情報を毎月お客様から提供いただいていることによって、新たに手続き業務が発生した際もお客様に改めて書類などの準備をしてもらう必要がほとんどないというメリットがあると思ったからです」
これらの理由から、取り扱う業務は毎月の労務顧問と給与計算をメインにしており、スポットで受託する業務は少ないという。助成金の提出代行に関しても、顧問先のみのサービスである。
「スポットでの依頼は基本的にお断りしています。継続的にかかわり、お客様の状況や想いを知った上で、最善を尽くしたいと思っているからです」
ただし、紹介の場合には、労災や社会保険などの手続きや就業規則の作成をスポットで受託することがあるそうだ。
「お客様の業種で多いのは飲食業とIT系、建設業がそれぞれ2割。他には卸売業、小売業、クリニック、商社、広告代理店、私立学校や運送業などもあります」
顧客は東京と関東圏が中心だが、関西に3社、中部地方や北海道にもあり、中にはまだ一度も会ったことがない顧問先もあるという。
「私自身の実家が工務店ということもあり、建設業に関する手続き業務は得意ですし好きですね。以前勤務していた社労士事務所時代には、労災保険の特別加入手続きやひとり親方の労災保険を主に扱っていました。建設業は長時間労働になりがちで労務管理が大変ですし、二元適用といって労災の適用も難しいのですが、過去の実績も多く、労災制度の説明も得意なので、ご紹介をいただきやすいのではないかと思っています」
「ええ仕事しまっせ!」
子育て中心で始めた社労士業務のはずが、紹介によってお客様が増え、気がつけば顧客は約100社をも抱える状況になっていたという秋山氏。当初考えていた子育ての優先に関しては目論見通りにはいかなかったが、社労士事務所としては順調には推移してきたといえる。
「ある時、急成長していた顧問先から『会社が上場することになったので、監査法人系列の社労士法人に変えたい』という契約解除のお申し出を受けました。そのときは自分の力不足を感じショックを受けましたが、これをきっかけに、規模を拡大し法人化したほうがいいのではないかと考えました」
こうして秋山氏が個人事務所から社労士法人化したのは2019年12月のこと。名称はA-WORK社会保険労務士法人。社名には、A-WORK=「ええ(良い)仕事しまっせ!」という意味が込められているという。
「新卒の頃や社労士事務所の営業時代、大阪でかかわった、お客様であるたくさんの中小企業の社長に泣かされたり笑わされたりして育てていただいたからこそ、今があると思っています」
A-WORKは、大阪の商売人の人情を大切にしたいという、秋山氏の思いも込められた名称なのだ。
「個人事務所時代は、私の名前が事務所名でしたから、どうしても『秋山さん、お願いします』という指名が多かった。でも、私も今はひとりでやっているわけではありません。スタッフも成長して、責任のある仕事を任せられるようになりました。だから名称を変えることで、『秋山ひとりじゃなくて、みんなでやっている事務所なんですよ』とお客様にもアピールしたかったのです」
このアピールはうまくいったようで、他のスタッフへの指名も増え、コロナ禍であっても以前と変わらずに月に数件のペースで顧問先が増えているという。
ぜひ合格して、現場に出てきてほしい
オフィスの移転やスタッフの採用についても考えているという秋山氏。
「オフィスを広くしようかと考えたこともありましたが、お客様がオフィスにいらっしゃることは年に数回程度ですし、テレワークもうまく導入できて十分円滑に業務ができていますからね。お客様の重要な情報をお預かりしていますし、電話やFAXでの対応も必要ですので、完全に無くすつもりはありませんが、今後もテレワークは継続する予定ですので、今のところオフィスはこのままの規模でも問題ないという気がしています。
採用については、育児と仕事を立派に両立している優秀なスタッフに囲まれて、安心して働くことができ、恵まれているとは思いますが、今回のコロナのように、何かが起きたときのことを考え、子育て世代ではないスタッフの採用も検討しなければならない時期だと思っています。例えば、新卒の方や、子育てが終わった世代の方などですね。コロナ禍の中で、いろいろな属性の方と一緒に会社を創っていくという未来も考えるようになりました」
新型コロナウイルスの影響はオフィスの形態やスタッフ採用にまで表れているようだ。
「お客様が増えれば、スタッフの採用も積極的にしていきたいと考えています。これから採用する新たなスタッフについては、最初からテレワークにできるのか、どのように教育・研修して成長してもらうのかも検討が必要ですね。
自宅で仕事をすることや、子どものいる部屋で仕事をすることにも慣れてきたと思いますし、業務の効率も維持できていますので、これからもテレワークを続けたいと思っています。夏休み中は、私の子どもがオフィスにきて宿題をやっていました。オフィスに子どもと一緒に出勤し、それが自然と受け入れられるような環境を作っていきたいですね」
そんな秋山氏にとって、社労士という職業や資格はどんな意味を持っているのだろうか。
「社労士は、お客様の役に立って、お金をもらえて、感謝される素晴らしい職業だと思います。また、出産や離職に際してどういうお金がもらえるのかなど、自分や家族、友人など身近な誰かの役に立つことも多いです。『社労士の仕事は本当に楽しい!』、そう思って誠実に仕事をしていると、仲間やお客様からご紹介いただくことができ、どんどん輪が広がっていきます。
社労士資格を取得したことがきっかけで、仕事の幅も、知識も、人脈も広がりました。いろいろなことを知りたい、いろいろな人と出会いたい、そんな好奇心が今日につながっているのだと思います。資格を取得するために通ったTACでは人生のパートナーまで見つかりましたしね(笑)」
現在、秋山氏は社会保険労務士会の仕事もしており、厚生委員などを務めるほか、支部の野球部ではマネージャーも務めているという。
「最初は社労士会の活動にはあまり参加していなかったのですが、参加してみると30代、40代の若い世代が多く、切磋琢磨できる環境がありました。横のつながりもできますし、若い方が積極的に活躍していますので、社労士資格を取得されたら、社会保険労務士会の活動にも参加されることをお勧めしますよ」
最後に秋山氏から、現在社労士をめざして勉強中の受験生にアドバイスをいただいた。
「東京では1万883名が社労士として登録していますが、その中で、開業している社労士は4,212名と半分以下です。新型コロナウイルスの影響もあって注目されている社労士ですが、開業している社労士は抱えている仕事が手一杯で、顧客のニーズに応えきれていない状況だと感じています。社労士が顧問として関与している企業も3割程度といわれていますので、まだまだ社労士を待っている企業はたくさんあります。ぜひ合格して、現場に出てきてほしいですね。皆さんと一緒に切磋琢磨できる日を楽しみにしています」
※東京都の社労士登録人数、開業数は2020年5月末のもの
[『TACNEWS』日本の社会保険労務士|2020年11月号]