日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2020年2月号
岡田 慎一
岡田税理士・社会保険労務士事務所
所長 税理士 社会保険労務士
岡田 慎一(おかだ しんいち)氏
1971年、埼玉県生まれ。1994年、明治大学法学部卒業。1995年、税理士試験合格。1996年、明治大学大学院法学研究科修了。同年4月、アーサーアンダーセン税理士事務所入所。1998年、税理士登録。3年間のアーサーアンダーセン勤務の後、企業勤務に転じ、3社の株式公開に携る。2006年、税理士事務所開業。2007年、社会保険労務士登録、税理士・社会保険労務士事務所開業。
経営者がどうしても頼まなければならない「税務」と「労務」。
この2つの独占業務が独立開業の大きな武器でした。
「ヒト・モノ・カネ」。これが企業の3要素と言われている。このうち、カネとヒトの領域において改善策を立てるのは、税理士と社会保険労務士だ。税理士は税務とその手続きのスペシャリストであり、社会保険労務士は年金や公的保険、労働法のスペシャリスト。今回は税理士・社会保険労務士のダブルライセンスを持つ岡田慎一氏にスポットを当て、税務と労務の2本のレールで走るようになった経緯とその効果について語っていただいた。
大学院2年時に税理士試験合格
1971年、埼玉県に生まれた岡田慎一氏は小学校低学年からソフトボールを始め、中学・高校は野球部、大学でも軟式野球サークルに所属していた。税理士登録をした24歳からは税理士会の野球チームにも参加し、現在も東京税理士会渋谷支部チームでサードを守っている。
野球少年だった岡田氏は、なぜ「税理士・社会保険労務士」をめざしたのだろう。まずはその経緯を語っていただいた。
「税理士をめざしたのは、あまりいい動機からとは言えないんです。私が大学1年生のとき、所属していた法学部で大量留年事件というものがありました。ある教授が、必修科目が未履修であった学生に単位を認めなかったことで、4年生の約4分の1が卒業できない事態になってしまったのです。卒業できないと、内定先企業からは内定が取り消されます。それを見ていて、自分もこのままでは就職できないのではないかという不安を感じていたところ、追い討ちをかけるように大学の教務課から、法学部の学生は何か資格をめざしなさいと勧められたのが、資格取得を考えたきっかけでした。
法学部に所属していたので最初は弁護士をめざして司法試験の受験を考えたのですが、弁護士の仕事を知ると、自分の性格には合わないなと思いました。そこで思いついたのが税理士です。数字は得意でしたし、税理士なら科目合格制なので1科目ずつ取得していけることもあり、やってみようと思い立ったのです。
大学3年生のとき、税理士試験の簿記論と財務諸表論を受験したところ、財務諸表論に合格しました。その後、2年目に簿記論と法人税法、3年目に簿記論と相続税法、4年目に簿記論と所得税法を受験。税法科目はそれぞれ1回で合格したのですが、簿記論だけは4回目の本試験でやっと合格しました。永遠に簿記論に合格できないまま税理士になれないんじゃないか、と思うくらいはまってしまいました。なんとか合格できたときはほっとしましたね」
そうは言っても、4年間で5科目合格。結果的に大学院2年時に税理士試験に合格したのである。
IPOにはまった10年間
大学院を修了した段階で税理士試験の合格者だった岡田氏は、アーサーアンダーセン税理士事務所で社会人デビューを果たした。
「アーサーアンダーセンに決めたのは、とにかく大きな組織に憧れていたことと、給与がよかったからという理由からです。その他の外資系法人だけでなく国内系大手法人も受けたのですが、アーサーアンダーセンは一番憧れていた法人だったので、合格したらとにかく入りたいと思っていました」
岡田氏が入所した1996年の同期は20人。そのほとんどが流暢に英語を話せる人たちだった。外資系企業のアーサーアンダーセンに入るのは、英語力のある人材に限られていたのである。その中でも特に英語が堪能な人材は国際税務部門に、それ以外の新人は国内税務部門に配属される。岡田氏は国内税務部門の配属となった。
国内税務部門といっても外資系の組織なので、上司をはじめ大勢の外国人がいる。メールでのやりとりやレポートの提出はすべて英文なので、英語が使えなくては仕事にならない。当時のアーサーアンダーセンは、入社後2週間は英会話スクールに通わせるほど、英語力の強化に力を入れていた。配属後も年2回、英語に関するテストを受験して、上達度を測られた。
「これはすごく大変でした」と、岡田氏は英語漬けの当時を振り返る。
岡田氏はアーサーアンダーセンに3年間勤務したが、その3年目にIPO(株式公開)をめざしている会社を担当することになった。
「ちょうどマザーズ(新興企業向けの株式市場)ができた頃で、IPOが盛んになりつつある時期でもあり、『おもしろそうだな、IPOの仕事をしたいな』と思っていたのです。実際にIPOをめざしている会社を担当してみて、そのおもしろさに魅かれました。そこで、税務とは違うけれど上場をめざしている会社に転職して、内部から上場準備に関わることにしました」
岡田氏の1回目の転職先は東証一部上場大手商社の子会社。上場準備を担当する部署に配属されてみると、そこには親会社から派遣された20人もの人材がいた。岡田氏はその中の一員として上場準備に関わり、無事上場を果たすことができた。
「東証一部への上場を成し遂げると『おもしろかったなぁ』と心の底から感動が沸き起りました。3年間、上場準備に携り、いろいろな経験を積むことができたので、『次はもっと中心的な立場で上場に関わってみたい』と思い、IPOをめざしているIT系の小規模な会社に転職しました」
2回目の転職先は、社員数10名足らずのベンチャー企業。最初は総務業務、経理業務からはじまり、その後は証券会社との交渉まで、上場準備に関わるすべてを岡田氏が窓口となって進めた。
「とても大変でしたが、ものすごくやりがいがありました。その会社も無事にマザーズに上場できました。一度上場を経験して、さらに上場準備をやりたくて転職したのですが、転職した会社が上場すると、さらにもう1回上場準備に携りたくなって、今度は15人規模の会社に転職しました」
この3回目の転職先企業は、業績の関係で上場準備を中止していた期間があったのだが、実は岡田氏が社会保険労務士(以下、社労士)の受験を思い立ったのは、この時期に時間ができたことがきっかけだった。「労務の仕事もたくさんやっているから、この機会に労務の勉強をしよう。そしてせっかく勉強するなら資格試験も受けてみよう」と思い、社労士試験に挑戦し、一発合格している。のちに、いよいよ独立開業をしようと考えたとき、税理士と社労士の2つのライセンスが、岡田氏のその後を切り開いていく武器となったのである。
その後、上場準備を再開したこの会社も、準備開始から約4年でマザーズに上場し、岡田氏が携った3社すべてが上場を果たしたのである。
このとき岡田氏は33歳。「次はどうする?」と考えたとき、すっかりIPOの魅力とやりがいにはまってしまった岡田氏は「大変だけどおもしろくてやりがいも大きいから、もう1回上場準備をやりたい。自分にはこの仕事が合っている」と考えた。上場準備には会計関係の書類作成があり、数字を扱うという意味では同じだが、実は税務とはほとんど関係がない。
「結局、1回目の転職以来10年間、税務はやらずにひたすら株式公開準備ばかりやっていました。そして、次もIPOをめざす会社に転職しようと転職先を探していたのですが、その矢先、ライブドア事件(粉飾決算に関する事件)が起きたんです」
ライブドア事件によりIT市場は大きく冷え込み、IPOをめざしていた会社も相当数が上場準備を取り止めた。岡田氏が転職先として考えていた会社も、同様に上場準備を取り止めてしまった。
「そろそろ開業する頃かな」
岡田氏が独立開業を考えたのは、2006年のことである。
税理士と社労士、ダブルライセンスで開業
「税務は10年以上やっていなかったし、前職は辞めてしまっているし、転職先はなくなるし、独立しかないなと、そういうタイミングが来たなと思いました。不安はもちろんありました。でも自分は意外と楽観的で、何とかなると思ったんです」
何ごとも流れに任せていくタイプの岡田氏に、運命の神様は優しく手を振ってくれた。たまたま前職の監査役だった税理士の方が、「独立するならうちの事務所に間借りしていいよ」と言ってくれたので、机を置かせてもらうことにした。そして、前職の非常勤監査役になるとともに、子会社1社の税務顧問を任せてもらうことになった。
「開業当初は非常勤の監査役報酬と税務顧問1社からの収入しかなく、これだけでは食べていけなかったので、社労士登録も済ませダブルライセンスを売りして、何でもやっていこうと決めました」
こうして岡田氏は、「税理士+社労士」としてスタートしたのだった。
さて、3年間の外資系会計事務所勤務経験と3社の上場支援に関わった経験があるとはいえ、独立するまで税務顧問の経験がなかった岡田氏が、顧問先1件からどのように顧客を広げていったのか、気になるところだ。
「集客するにも紹介してもらえる先はないし、飛び込み営業をやっても集まらない。開業して半年は顧問先1件のまま、何もやることがありませんでした。月曜日の午前中だけ事務所に行けば、その週の仕事は終わってしまうんです。でも、ただ家にいるわけにもいかないので一応事務所にいる、という状態が半年続きました。その間、自身の事務所のWebサイトを作りました。Webサイト制作とSEO(検索エンジン最適化)対策については、前職のIT会社時代に経験しており、知識もありました。自分で集客を意識したWebサイトを作って、SEO対策も自分で行いました。今でこそいろいろな事務所がWebサイトによる集客を行っていますが、私が開業した当時の士業のWebサイトは事務所案内がその役割で、集客を目的としたSEO対策まできちんとやっているところはほとんどありませんでした」
Webサイトを公開して半年近く経った頃から問合せが入り始め、2年目には顧問先が10〜15社にまで伸びたのです。このため、開業後数年間の集客は100%Webサイトからでした」
こうして、間借りしていた事務所は1年で引きあげ、ワンルームマンションを借りてアルバイトを雇い、自身の事務所を開いた。Webサイトからの集客が多かったことから、顧客層はIT系の若い経営者が中心となった。そこからさらに紹介で顧客が広がっていったのである。
Webサイトからの集客で大きな強みとなったのは、何といっても税理士業務と社労士業務の両方ができる点だ。
「経営者がどうしても頼まなければいけないお金の話と人の話を、1ヵ所で解決できるワンストップサービス。これは大きな武器になりました。社労士は会社勤務時代にたまたま時間ができたときに勉強をして受験していただけです。だから、社労士としての開業などまったく想定していなかったのですが、今思えば社労士資格を取っていたのは、とてもよい選択でした」
こうして開業から数年間はWebサイトを中心に集客し、そこからの紹介も含めて増えた顧問先は14年目の現在、月次の法人顧問だけで250社を数えるようになった。そのうち税務と労務の両方に携わる顧問先は9割以上、業種でいうとクライアントの6割をIT系企業が占めている。
14年間で5ヵ所のオフィス移転
税務をやったのはアーサーアンダーセン時代の3年間だけという状態で開業した岡田氏。開業当初どのようなビジョンを持っていたのだろうか。
「ビジョンどころか、とにかくお客様を増やさないと食べていけないということしか考えていませんでした。顧客を増やさなければ知識も増えないし経験も積めないので、報酬が安くても『とにかくがんばらせてください!』と言っては、仕事をもらっていました」
実は事務所を開業したときの岡田氏は、会計事務所の1年間の仕事の流れもきちんと把握できていなかった。外資系のアーサーアンダーセンでは、日本の会計事務所の顧問業務の内容をほとんど経験できなかったからだ。
「アーサーアンダーセンとは扱うクライアントの規模も違うし、何もかもがまったく違いました。とにかく手探りで、いろいろな本を読んで勉強して、模索しながらやっていきました。会計事務所では当たり前のことを、知らないで恥をかくこともありました。お客様の前では『もちろん昔から知っています』みたいな顔をしていましたが、『やばい、そうだったのか』と冷や汗をかくこともありましたね。何より経験を積むことが大事だと、痛感しました」
その状態から税務の1年間の流れをつかみ、顧問先とのやり取りに困ることがなくなるまでには、3〜4年かかった。その頃になると、時期ごとにやるべきタスクを事前に顧客に知らせて実行してもらい、それをフォローするという事務所のスタイルが確立されて、岡田氏自身も事務所経営に自信が持てるようになっていた。
最初のワンルームでアルバイトを雇ったあとの採用も順調に進み、開業から2年目には4人に増えて、手狭になったので事務所を移転。さらに2年経つ頃には7名になり、そのオフィスも一杯になってきたので、今度は約10人が入るオフィスを借りた。10人強になるまでそのオフィスにいたが、地区の再開発で取り壊しになるため、現在の事務所に移転している。開業してから14年間、メンバーを増やしながらトータル5ヵ所の移転をしてきた中で、岡田氏は次のような思いを抱いていた。
「移転するときは家賃も倍々に増え、『ここの家賃払えるのかな』と、いつも不安になります。引越費用もかかっていますが、事務所の規模が拡大して人が増えてきたからこそなんだ、と前向きに捉えています。スタッフの人数は14年経って今21名なので、人も1年に1〜2人増えている計算になりますね」
現在のスタッフ21名中、岡田氏を含めて税理士3名、社労士5名と有資格者率が高いのは、事務所の強みのひとつと言える。
事務所の業務内容は、会計事務所としては節税対策、月次決算業務、記帳代行業務といった通常の税務業務がメインで、社労士事務所としては給与計算、社会保険手続き、雇用問題対策、就業規則作成、さらに雇用時に申請できる助成金や有期契約から正規雇用などに切り替えた際に申請できる助成金申請業務も行っている。
岡田事務所では税務と社会保険業務を一括して提供することで、料金も非常にリーズナブルな設定になっているのが特徴だ。料金体系はわかりやすくWebサイトに掲載されているので、シミュレーションすればいくらでサービスを受けられるのかが一目でわかる。
「税務サービスは年々多様化しているし、法令改正も複雑化しています。社会保険業務も税務と同様、年々多様化の一途を辿っています。私の事務所では税務・労務の両方をワンストップで行うことで、お客様のニーズに迅速、かつ的確に対応していこうと心がけていいます。そこが一番の強みです。」
税務・労務に加えて、顧問先の中の数社では株式公開をめざしており、社内組織整備支援や資本政策立案支援など、岡田氏が得意とするIPO支援業務も行っている。その数社については自身が監査役となっていろいろなアドバイスもしている。3社のIPOに関わって得た知識をもとにしたきめ細やかなアドバイスは、株式公開をめざす企業にとって得がたいものとなっている。
また税務と労務以外に、全国に約400店舗ある大型チェーン店の店舗売上などの集計業務を請け負っていて、その業務を専門に行うスタッフが3人在籍する。15日に1回、全国の店舗から送られてくる売上データなど、すべての資料を集計し本社に報告する、いわゆるBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)専門部隊だ。すでに7年間続いているというこの業務、始めた当初200店舗だったが、今や倍の約400店舗と7年間で倍になり、事務所の収益の柱のひとつになっている。
残業は月10時間以内の「人に優しい環境」
岡田氏が採用をする際に求める人物像について聞いてみると、「まず明るいこと。あとは面接したときの直感ですね。どんな人物を求めるのか、細かくは決めていません」ということだった。資格も問わない。資格がなくても人柄がよければいい。岡田氏らしく自然体で人を見る。そんな採用で年間1〜2名ずつ確実に増え、現在21名になっている。
事務所のスタッフの中には現在税理士や社労士をめざして勉強中の人もいるが、受験勉強について特別な措置は取っていないという。その理由を岡田氏は次のように話す。
「受験生のサポートは3日間の試験前休暇のみです。資格のあるなしで仕事内容に差をつけることはしていません。受験生には『試験を言い訳にしないで仕事をして』とも言っています。資格の有無は問わないので、自分のできる範囲内でやってくれればいいんです」
他の事務所での受験生への配慮としてよく聞く内容に、学校に通う日は残業なし、定時前に退社可能というものがあるが、岡田事務所の飛び抜けた労働環境を聞くと、そんな配慮がいらないことがわかる。
「まず、残業時間は月平均10時間以内です。他の事務所に比べて休みも多いですね。例えば年末年始は毎年12月23日か24日から翌年1月5日か6日まで休みにしています。有給休暇の消化率は事務所平均で8割です」
残業がほとんどなくてこれだけ休みも多ければ、受験生は勉強時間を確保できるだろう。労働環境について、岡田氏は大変ユニークな考え方を持っているようだ。
「有給休暇は絶対に取れと言っています。取りやすくするために、時間単位の取得も認めています。しかも私に申請するのではなく、社労士の資格を持つスタッフが管理しているので取りやすいと思います。毎月1回、誰が何日有給を取ったか報告を受けて、取得が少ないスタッフは私からフォローします。残業も月平均10時間以内なので、定時には半数以上が退社します。
私自身、人生仕事だけとは思っていないので野球やゴルフもやりますし、家族も大切にしています。だからこそスタッフにもプライベートの時間を確保してあげたいんです。
こうした環境なので、うちの事務所は誰も辞めないんです。とはいえすごく自由かというと、毎週行われる総務ミーティングで労務管理的なことや総務的なことを社員同士で相談しています。これは、税務・労務すべてのチームからの何人かが参加する、事務所全体のことを考えるミーティングなんですけど、もちろん、私は参加しません」
イベントも盛んで、お花見、暑気払い、秋のイベント、忘年会と実施されている。このイベントの内容も、イベント担当のスタッフたちが決めている。
「どのイベントもほぼ全員参加するめずらしい事務所なんです。本当にみんな仲良しですね」
勉強会も、資料を読み込み輪番制で発表するスタイルで、税務チームと労務チームに分れて毎週1時間ほど行われている。事務所全体が一丸となっていろいろなことに取り組む。それこそが岡田事務所の醍醐味なのである。
2つの資格で2つの独占業務
開業から14年間、毎年約20社ずつ顧問先が増え、順調に伸びてきた岡田事務所だが、現在の事務所のWebサイトは集客を意識した対策などは行っておらず、紹介による自然増加が主であるという。今後についてうかがうと、次のような答えが返ってきた。
「3〜5年後の目標などとして明確に決めていることはありませんし、規模的な目標、例えばスタッフを100人にしたいといったビジョンもありません。自然の流れでここまできたので、無理に大きくしたいとは思っていなくて、紹介や問合せがあればきちんと受ける。そんな、自然に任せて無理のない範囲で成長していきたいですね」
これこそが岡田氏の事務所のビジョンと言える。その考えは、個人事務所のまま税理士法人化も社労士法人化もする予定がないことにもつながっているようだ。
「法人化も今のところまったく考えていません。必要性を感じないんです。私は現在48歳なので後継者対策を考える必要性もまだありません。いずれはお客様にご迷惑をかけないように考えなければいけないとは思いますが、今はその判断をする時期には来ていないと思っています」
将来については漠然としているが、ひとつだけはっきりしているのは、10〜15年先も現場のプレイヤーとして第一線で働きたいということだ。
「誰よりも勉強して、スタッフにだけは負けないようにしないと。税務については『税務通信』(税制改正情報や官公庁へのインタビュー記事などが掲載)を読み込むだけでも2〜3時間かかりますし、労務の勉強もあるので、最低でもこの2つの勉強はがんばらなければなりません。さらにそれ以外の勉強もして、『仕事のできない所長』と言われないようにしたいですね」
今2つの資格を持っていることで、一番よかったのは「開業できたこと」だと言う。
「国家資格という括りの中で独占業務がある。まずそこにやりがいを感じます。私は2つ資格を持ったことで2つの独占業務ができるので、それがやはり大きい。仕事として専門業務ができて、先生と呼ばれて感謝されて、お金がもらえる。そんないい仕事は他にないでしょう」
自然体でいられる事務所
岡田氏の話を聞いていると、すべて自然の流れに任せてここまで来たように聞こえる。いくら何でも14年間やってきた中で苦労話の1つや2つはあるだろうと聞いてみると、「人が大量に辞めてしまうとか、そういったこともまったくないんです。盛り上がる話ができなくて申し訳ありません」と、笑顔で返されてしまった。
「私が最初に勤務した頃は、修行中の身で残業代を請求するなんてとんでもないという風潮がまだ残っている時代でした。仕事ができない人は同じことをやるにも長く時間がかかりますから、そんな風潮があったこともわからないではありません。でも、それでは今の若い人はついてこないんです。法律を遵守しつつ、むしろ伸ばしてあげる、褒めてあげることが大切なんです」
この言葉を聞いて、社労士である以前に、岡田氏が人に対する気遣いと柔軟な対応ができていたからこそ、これまでトラブルがなかったのだということがわかった。
「上場準備に携っていた頃にも労務の問題には直面しましたし、開業後は社労士としてお客様のいろいろな問題に対応してきました。だから、よく話に聞く賃金未払いやブラック企業の問題は、当事務所は社労士事務所ゆえにあってはならないことなのです。そうでないとお客様やスタッフに偉そうなことは言えません。そこは徹底的にクリーンにやっているので、結果的にそれがお客様にもスタッフにもいい事務所だと思われる所以なのかもしれませんね」
岡田事務所では、終日大型ディスプレイにテレビ番組を流している。取材にうかがった際は、昼のバラエティ番組が映し出されていた。この「日本のプロフェッショナルシリーズ」も400回を超えているが、1日中大型ディスプレイにテレビ番組が流れている事務所はおそらく初めて。きっとそこも岡田流の環境整備なのだろう。
「もちろん音は出していませんが、1日中テレビ番組を流しています。例えば、オリンピックやワールドカップがあるとみんなで集まって観ています。それぐらいでいいんです。観ているといっても、1日中観ているスタッフなんていませんから。リフレッシュルームにはダーツやテレビゲーム機もあります。仕事中もリフレッシュルームで休憩していいし、ダーツを投げてもいい。ゲームをやってもいい。むしろ『やりなさい』と言っています。1日中仕事だけでは集中力が欠けるし眠くもなります。メリハリをつけて、やるときはきちんとやろうということです。それなのに、みんなの目があるから休憩ができない人がいてはダメなんです。堂々と休める環境を大切にしたいと思います」
流れのままにやってきたら21名の事務所になった。そんな何気ない言葉も、岡田氏が言った途端、妙に腑に落ちる。岡田氏の人徳により、周囲に人が集まり、去っていく人もいないのかもしれない。肩の力を抜いて自然体でいられる事務所。それが岡田事務所の正しい呼び方なのかもしれない。
そんな自然体の岡田氏がひとつ憂いていることは、近年、税理士試験の受験者が減っていることだ。
「やりがいを持って仕事ができるのが税理士や社労士のよいところです。多くの方に、ぜひめざしていただきたいですね」
[TACNEWS|日本の会計人|2020年2月号]