日本のプロフェッショナル 日本の社会保険労務士|2016年12月号
長沢 有紀氏
アドバンス社会保険労務士法人
代表社員 特定社会保険労務士
長沢 有紀(ながさわ ゆき)
1969年生まれ。東京都出身。共立女子短期大学家政科卒。卒業後、三井信託銀行(現:三井住友信託銀行)入行。在職中に社会保険労務士資格取得。その後、都内の有名社会保険労務士事務所に勤務。1994年8月、埼玉県狭山市の自宅にて長沢社会保険労務士事務所開設。1995年、行政書士試験合格。1996年8月、長沢行政書士事務所開設。2011年、事務所をアドバンス社会保険労務士法人に組織変更。
著書に 『女性社労士 年収2000万円をめざす』(同文舘出版)、『社労士で稼ぎたいなら「顧客のこころ」をつかみなさい』(同文舘出版)など多数。セミナー講演、テレビ出演等で活躍中。
難しい労使トラブルを丁寧に解決し、
中小零細企業のサポートを行います。
1994年、25歳という若さで独立開業。当時「全国最年少」の女性開業社会保険労務士として士業の一歩を踏み出したのが、長沢有紀さんだ。最年少であるだけでなく、女性で開業した社会保険労務士(以下、社労士)は決して多くはなかった。それから22年。その間に事務所は法人化を果たし、現在6名の職員と100社を越える顧問先を擁するまでに大きく成長した。開業23年目を迎えた長沢さんに、資格取得、独立開業から今日まで、仕事と家庭のワーク・ライフ・バランス、今後の方向性などを伺った。
25歳の開業女性社労士、誕生
司法試験21.5%、公認会計士19.7%、税理士25.3%、司法書士23.6%、行政書士23.9%。何の数値かわかるだろうか。これは2015年の各試験合格者の女性比率だ。その中で社労士の女性合格者比率は32.8%と断トツ。社労士は、女性に人気の資格なのである。
最近では独立開業して活躍している女性社労士も多いが、20年ほど前には独立開業する女性社労士はかなりレアな存在だった。こうした環境下、23歳で社労士試験に合格し、その2年後、25歳で開業女性社労士のパイオニアとして走り始めたのが、アドバンス社会保険労務士法人の代表・長沢有紀さんだ。22年経って47歳になった現在は6名のメンバーを率い、顧問先100社以上の社労士法人のトップとして、第一線で活躍されている。
「女性の開業社労士として最年少」という環境の中、長沢さんはどのようにして現在の成功を掴んだのだろう。そもそもなぜ社労士をめざそうと考えたのか。
「私が短大を卒業する頃はまさにバブル経済の真っただ中でした。就職状況は大変良く、どんな一流企業にでも就職することができました。私が就職したのは信託銀行。都心で勤務したくなかったので、家の近くに支店のある銀行を選んだのです。ただそんな好景気が長く続くとは思えなくて、一般職だった私は漠然と『事務職では使い捨てにされてしまうのではないか』という不安を抱えていました。
そこで何か『手に職を』と考えたのが資格取得をめざしたきっかけです。まずは、仕事柄一番身近だった宅地建物取引主任者(当時。以下、宅建)の勉強から始めました」
「何か勉強したい」と自己啓発として勉強を始めた長沢さんは、社会人1年目に宅建に合格。次に「何を取ろうかな」と考えた時、浮かんできたのが社労士と行政書士だ。どちらにしようか悩んだが、「人」に興味があったのでまずは社労士に挑戦することに。社会人3年目、2回目の受験で合格を手にした。
資格はあくまで自己啓発が目的であって、開業などまったく考えていなかったが、いざ合格してみると、「やっぱり社労士の仕事をやってみたくなった」と話す長沢さん。合格発表から4ヵ月後、3年間務めた銀行を退職し、都内の社労士事務所で実務を経験することにした。
「収入が下がっても、一流の先生の元で勉強したい。自分も一流になりたい」。そんな思いが募って自宅を離れて都内で一人暮らしを始める。両親には反対され、その反対を押し切っての転職だった。ただその後、家庭の事情で再び実家に戻ることになる。勤務先は辞めてしまったので仕事はない。かと言って当時は中途採用も芳しくなかった。そこで消去法で選んだのが、自宅で社労士として開業する道だ。こうして長沢さんは25歳の時、埼玉県狭山市の自宅で「長沢社会保険労務士事務所」を開設した。
独立初年度は売上ゼロ
若い女性に人気の高い社労士だが、25歳で独立開業する人は今でも決して多くはない。ましてや22年前、女性でとなると皆無に等しかった。1年半の勤務経験があるとは言え、まず顧客のあてがない。長沢さんがスタートして一番大変だったことは、この「お客様がいないこと」だった。
「書類や手続きの仕方は調べれば何とかなるのですが、お客様がいないことには何もしようがない」と、長沢さんは当時の苦労を振り返る。
「何とかなると思っていたんですけど、実は何とかならなかったんですね。独立すると相談する相手が一人もいないし、質問されれば答えに責任を持たなければなりません。実務についてわかっていたつもりでしたが本当に『つもり』だったんです」
書類を役所に提出したら「間違っているよ。ちゃんと先生に伝えてね」と言われたこともあった。「私が先生なんです」とも言えず、黙ってうなずいて帰ってきた。
このような調子で開業初年度(1994年8~12月)は社労士としての売上はゼロ。当時自宅の一室で開業していたので食べることには困らなかったが、焦りは大きかった。切迫した状況なのに長沢さんは営業が苦手で何もできなかった。
「明日は営業に回ろうと決めていても、当日になると天気が悪いからとか、理由をつけて行かなかったり。ダイレクトメールも、今なら1000通出して3件反応があればやってみようとするでしょうけど、当時はたった3件の反応なら無駄だからやめておこうと、気後れして何もできませんでした。動かないと何も始まらない。今ならそれがわかりますが、当時は動けなかったんです」
変化が訪れたのは、友人や知人からの紹介が少しずつ増えてきた頃だ。助成金関係の業務が増えたことではずみもつき、長沢社労士事務所は少しずつ売上を伸ばしていった。
間口が広がる社労士の仕事
社労士の基本業務は社会保険や労働保険に関連する手続きである。以前は社労士をそれほど必要としていない企業も多く、特に中小零細企業になると社労士の専門性すら理解してもらえないような状況だった。
ところがこの10数年、労働環境など企業を取り巻く環境が大きく変化してきた。こうした中で、一番危険だと思われるのは「役所の調査が入ったり、従業員とのトラブルで訴えられたりした結果、保険手続きや給与計算、就業規則などにいろいろな不備が発見されてどうしようもなくなるケース」だと、長沢さんは指摘する。中でも給与計算は、給与から控除される健康保険や厚生年金、介護保険、雇用保険を始めとする各種保険料等や関連する労働関連法に改正が多く、仕組みも複雑で、企業の事務系スタッフには手が出せなくなってきているという。
「特に、自分のところで給与計算をしている会社の明細を見ると、大なり小なり、かなりの割合で間違っているし問題があります。保険料の料率が違っていて会社が損をしていたり、残業代の計算方法が間違っているケースがとても多いんですね。
はじめは『社労士なんて必要ない』、『自分のところは間に合っている』とおっしゃっていたお客様も、実際に私たちに委託すると『こんなに楽になるとは思わなかった』、『きちんとできていたつもりだったけど、こんなに間違っていたなんて』と驚かれるケースがほとんどなんです」
さらにインターネットの普及と権利意識の高まりで、労働基準法や関連諸法に絡んだ会社とのもめごとが急増し、枚挙にいとまがない。
労使トラブルの増加と共に、中小零細企業にまで就業規則が行き渡るようにもなった。その作成や変更も現在社労士の主軸となる業務になっている。
「従業員との間にトラブルが起きた時、就業規則がないと会社は難しい立場に立たされることがあります。『うちは小さい会社なので必要ない。円満にやっているから大丈夫』というのは大間違いです。従業員が10人未満なら就業規則の作成義務は生じませんが、それはあくまで法律上の話です。就業規則や対応する規定などがないまま、減給や解雇などをすれば、トラブルが起こってしまうのも無理はありませんね」
こうしたことを受けて、労働基準監督署や公共職業安定所、年金事務所による調査も年々増えてきた。しかも役所の調査は昔よりはるかに厳しくなっている。税金は税務署1ヵ所からだが、労働関係は3ヵ所から調査が来る。こうした調査の立会いも社労士の重要な仕事のひとつとなっている。
そしてこれらの労使トラブルの難題は、労働関連のスペシャリスト、社労士に託されていくことになったのである。
きれいごとばかり言う社労士にならない
長沢さんの受ける案件数は徐々に増え、2001年からは正社員1名を採用。そこからは「いかにして顧問先を増やすか」を真剣に考えるようになった。
「助成金申請や就業規則が顧問契約につながることもありましたが、社労士業務は基本的にスポット業務です。そこで事務所の安定的基盤となる顧問先を増やしていきたいと考えるようになりました。これは今でも変わりませんが、社労士が顧問先を作るのは本当に大変です」
営業は苦手だが、いろいろな会合にも出席するようにした。すぐに仕事につながるわけではないが、種を蒔き2~3年後に芽が出るのを待つ。
並行して、労働環境や企業環境の変化で多くの企業から社労士が必要とされるようになったことは長沢さんにとって追い風となった。今度は複雑な案件に対応するために、より高度なスキルが求められるようになる。あるいは多くの企業から依頼を受けていると、「個人事務所より法人に頼みたい」という意向も増えてくる。この需要を取り込むべく、長沢さんは2011年に個人事務所を「アドバンス社会保険労務士法人」に組織変更した。
「労使トラブルなどの案件が複雑化してきたことを受けて、個人よりチームで対応する必然性を感じるようになったのが法人化の一番大きな要因です。法人化したメリットは、高度で複雑な案件に対応できること、そして何よりお客様が安心するということでした。一方でデメリットもあります。例えば私宛てに依頼があったとしても、組織で対応しますので必ずしも私が担当になるわけではありませんから、そうした部分ではアットホームな雰囲気は薄くなります」
現在、スタッフは6名(社労士3名含む)、100社以上の企業と顧問契約を結んでいる。 「法人化後も、手続き業務とコンサルティングの両輪でしています。私は仕事を人に任せられるタイプなので法人化もいいと思いますが、何でも自分でやらなければ気が済まないという方は個人事務所のほうが向いているでしょう。法人がいいか、個人がいいか。それぞれの考え方ですね」
たとえ失敗されても、人に任せるのは意外に平気という長沢さん。「失敗は誰にでもある。それで成長してくれれば」と考えている。
今後アドバンスがどのような規模に成長するかは未知数だ。
「目の前のことでいっぱいいっぱいで、なるようにしかならない。綿密に計画を立てるより自然の流れに任せる。でもここまできたからには大きくしていきたいですね」
もちろん今日の規模は、流れに任せたままでできたわけではない。そこには一生懸命続けてきた水面下の努力と強い理念がある。
「売上にならなかったとしても、急がば回れ。堅実に固い仕事をしてほしいとスタッフには話しています。悪いものは勧めない。いらないものは売らない。だからこそお客様から信用される。モットーは『きれいごとばかり言う社労士にはならない!』です」
泥臭い世界で必死に会社を守っている中小零細企業の社長がお客様だからこそ、親身になってアドバイスしたいと長沢さんは主張する。
「言うべきことはビシっと言います。それが会社のためだからです。私は女性ですし、この世界では若いほうですが、そんなことには負けず、経営者と会社にとって頼もしい存在であり続けたいですね」と、強い思いで臨む。
100社以上の顧問契約は何より長沢さんが有言実行の人であり、顧客からの信頼を得ている証だろう。
得意分野は「労使トラブル」
環境変化に伴って、社労士の仕事自体も単なる手続き業務から相談業務へとシフトしてきたと長沢さんは分析する。
「社労士の仕事はものすごく幅が広がりました。労働系の相談でも経営者サイドと従業員サイドの棲み分けが進み、相談の間口も広がっています。昔は顧問契約を結んでも手続き業務がほとんどでしたが、今は障害年金をしている方、企業の人事制度に切り込む方といろいろな切り口で仕事をする社労士が増えてきました。そうした意味では、間口が広がった一方で、より複雑で難しくなったとも言えますね。
手続き業務ひとつ取っても非常に難しくなってきていて、多くの提出書類が毎年改訂されるだけでなく、毎年の法改正にも対応していかなければなりません。電子申請も増えて便利である反面、常にキャッチアップしていくのがとても大変なんです。
逆に言えば、これまで『社内に担当者がいるから大丈夫』と言っていた手続きも、社労士に任せなければできないケースが増えてきたとも言えます」
さらに労使トラブルの増加に伴って、他士業からの仕事の依頼も殺到している。
「とにかく社労士の地位向上は間違いありません。このように仕事の幅も広がり、より専門性が高まってきて、今、ものすごくやりがいがあるんです」
広がる社労士の守備範囲の中で、長沢さんが特に力を入れ、かつお客様からの評価も高いのが「労使トラブル」に関する分野だ。
「退職後に今までの残業代が未払いだと請求されたり、解雇関係も本人に問題があって解雇の場合もあれば、会社の業績が悪くて解雇という場合もあります。きちんと段階を踏んで追っていかないと大もめになるケースが本当に多いですね。給与の減給、有給休暇の問題、育児休業と、今は従業員側の意識が高く、知識もものすごく持っているので、会社としてきちんと整備して対応しなければ大変なことになります」
そんな長沢さんが信条としているのが、「難しい労使トラブルも丁寧に解決し、企業のサポートを行う」ことだ。
「例えば、お客様である会社が完全に間違っていることも間々あります。そういった場合に依頼者に忖度して中途半端な提案を行うことは誰のためにもならないと思っています。仕事を依頼されて報酬をいただいているからには、本当の意味でお客様のためになるような提案を行おうというスタンスでいます。労使トラブルでは会社側に厳しい結果が出るのが普通です。すべての対応が終わったら、必ず今後の対策をきちんと立てていきます。そして、『こんなことを繰り返してはいけません。そうでないと決して良い会社にはなりませんよ』と、厳しく経営者にお伝えすることもあります」
労使トラブルで厳しい結果が出ても「それでも社長の苦労を理解して寄り添っていれば気持ちは通じる」と、長沢さんは信じている。お客様のために一番必要なのは、「お客様が本当にどうしてほしいのか」、「何を私たち社労士に求めているのか」をしっかり受け止めることだ。
「法改正などの説明ももちろん大切ですが、自分が話すこと以上に私はお客様の話を聞くことに何倍も時間をかけたい。お話をお聞きする中から、私たちに望んでいることや会社の問題点、社長の悩みが初めてわかるんです。社長は人生や経営者としての大先輩。私は23歳からこの仕事についていますが、私にたくさんのことを教えてくれたのも、今の私があるのも、お客様である社長のお陰なんですね」
社労士として一番必要なこと、大切なことは、常に誠実であること。そして日々知識を積み上げ、解決策を学び続けて、プロとしてのスキルを持ち続けること。会社のトラブルに疲弊する社長の気持ちを第一に考え、言葉を慎重に選ぶこと。そして「社長が本当は何を望んでいるのか」、心の声に耳を傾け続けること。長沢さんは、今ぶれずに自分の立ち位置をそう捉えている。
家庭より仕事を優先
長沢さんは1997年に結婚し、現在高校1年生の男の子と小学校6年生の双子の女の子のお母さんでもある。長男は生後6週目、下の女の子たちは生後10週目から保育所に預けて仕事を続けてきた。印象的なのは、長男の出産時、陣痛がきても頭の中は給与計算でいっぱいだったというエピソードだ。
「給与計算は一定の期日までに計算をしてデータを作成し、それを銀行に送付しなければ給料が支払われなくなってしまう、待ったなしの仕事です。当時はスタッフもいなかったので、病院のベッドで必死に給与計算していたんですね。上の子の出産は労働保険の年度更新の時期だったし、下の双子の出産は社会保険の算定の時期で大変でした。
私の場合、結婚する前から独立開業社労士でした。お金をいただいている以上、仕事を優先します。仕事も家庭も完璧をめざすのは無理だと思うので、正直家事で手の抜ける部分は手を抜かせてもらっていますね。子育ては綱渡りです。保育所に預けていても熱が出れば引き取りに来るよう呼び出されることも。そんな時は母に助けてもらうことが多かったですね」
ご主人とは勤務していた社労士事務所で知り合った。ちなみにご主人はその後、公務員に転職。好きに仕事ができているのも、ご主人の支えがあってのことと長沢さんは話す。
全国最年少の女性開業社労士である長沢さんの歩んできた道は、決して平坦ではなかったはずだ。
「25歳で開業ですから、良く言えば可愛いんですが、悪く言えば頼りないしチャラチャラしている。お客様のところに伺って、お話はニコニコと聞いてもらえても仕事は任せてもらえないことがたくさんありました。もちろん私に経験が足りないせいでご相談内容を伺ってオロオロしてしまったり、自信のある答えが出せなかったからということもあります。女性であるという以前に、当時は経験不足だった部分が大きかったと思います。今では女性としての優しい部分と経験からくる頼もしさが出てきたのでしょうか、本当にいろいろなご相談を受けるようになりました。
私だからこそ相談していただけることもあって、それはお客様にも、私自身が子どもや家庭に対して厳しいことがわかっていただけたからだと感じます。仕事である以上、仕事中は子どものことを忘れるぐらい必死にやっています。お客様を第一に考えて仕事を優先している姿勢を理解していただけたんだと思います。逆に『お子さんがかわいそうだよ』と社長から説教されることもあるんです(笑)」
独立して仕事をしながら家事をこなし3人の子育てをしていくのには、大きな決断が必要だったろう。
「私は結婚や出産以前にすでに独立した社労士だったのでこういうスタイルを貫いてきましたが、人それぞれのスタイルがあっていいのではないでしょうか。正直に言えば、私だってかなり無理してますよ(笑)」
子どもたちも大きく成長し、来年は下の双子が中学生になる。
「2人とも受験生なのに一人は私立に行きたくないと言うし。ああ、もう好きにして(笑)、なんて」と家庭の悩みは尽きない。それでも、やっと少し手が離れて楽になってきたし、少なくとも急に熱を出すことはなくなった。
高校生になった長男が、母親が忙しいことにブーブー言いながらも、時に「うちのお母さん、社労士なんだよ」と自慢しているのを聞くと、何だか嬉しくて顔がほころぶそうだ。
女性社労士のロールモデルに
長沢さんは『女性社労士 年収2000万円をめざす』(同文舘出版)、『社労士で稼ぎたいなら『顧客のこころ』をつかみなさい』(同文舘出版)など、著書も多い。また、セミナー講演やテレビ出演でも活躍している。特に初著作の『女性社労士 年収2000万円をめざす』は、このジャンルでは異例のベストセラーとなり、先輩として多くの女性社労士のブログにも名前が頻繁に登場している。
「狭い世界なので、皆さんとよく会ったりお話ししたり。むしろ私のほうがいろいろ教えていただいて刺激を受けています。優秀な方が多いし、私も負けていられないなと。頑張らないとすぐ皆さんに追い抜かれてしまいそう。そんな危機感を感じています」
若くして独立し活躍している女性社労士も、十数年前と比較すればとても増えた。「変わりましたよね。昔は私の一人勝ちだったんですけど(笑)」と、長沢さんは嬉しそうだ。
「社労士業界は同年代の女性が多くて、みんな仕事をしながらも、ちょうど同年代の子どもを抱えているので同じ悩みを話し合えます。昔は女性の社労士なんて考えられない時代でしたけど、今では女性に優秀な方が多いですね」
事務所の今後については、開業当初からぶれない一点を貫いている。それは「スタッフが長くいる事務所」だ。
「スタッフに長くいてもらうこと。それが精神的に一番安定するんです」
そのために社内の整備をしたり、何かあれば柔軟に対応し、離職率のとても低い組織を維持している。
「年中人が辞めて、お客様担当が変わるようなことは避けたい。給料が高いから人が辞めないのではないというのを、しっかり見ていてもらいたいんです。社長の人柄がいいとか、アメとムチがうまいとか、しっかりした理念があって従業員を大切にしているとか。どういう会社が良い会社か、どういう会社が人が辞めない会社か、常に考え続けています」
今後も分野を狭めるのでなく、間口を広げていく方向で組織展開を考える。
「派遣許可や障害年金などは得意分野ではないので、専門としている事務所にお願いしていくつもりです。逆に、難しい労使トラブル対応などはうちにくるので、そこはそれぞれの得意分野でやっていく。社労士業界全般でそうした循環ができつつあるように感じますね。
これから社労士になってこの業界に飛び込もうという人は、オーソドックスな手続き業務だけでなく、何か得意分野を作りながら顧問契約を取るのが究極の方法です。始めは何が得意かわからないでしょうからいろいろチャレンジしてみて、その中で自分の好きな分野を見つける。その時は、何が儲かるかではなく、何に興味があるか、何が好きかで選んでください。この仕事はよほど好きでないと続けることができません。逆にやりがいを感じられれば楽しい仕事です。
それから受験生の皆さん、努力は嘘をつきません。社労士試験の勉強は大変ですが、何もしなければそのまま時は過ぎてしまいます。悩んでいる時間はもったない。さあ、チャレンジしてみてください!」
長沢さんの社労士ぶりを見ていて感じるのは「力強さと頼もしさ」だ。まさに男勝り、いや男性以上に頑張って努力しているからこそ、そして女性ならではの柔軟性と優しさがあるからこそ、お客様の懐に飛び込んでいける。笑顔と柔らかい口調の奥にある、そんな長沢さんのたくましさが垣間見えた。