日本のプロフェッショナル 日本の弁護士|2021年6月号
浦﨑 寛泰氏
弁護士法人ソーシャルワーカーズ
ソーシャルワーカーズ法律事務所 代表弁護士 社会福祉士 CFP®
浦﨑 寛泰(うらざき ひろやす)氏:1981年、岐阜県生まれ。2003年11月、旧司法試験(当時)合格。2004年3月、早稲田大学法学部卒業。2005年10月、東京弁護士会に弁護士登録し、池袋総合法律事務所に所属。2006年10月、長崎県弁護士会に登録替えし、法テラス壱岐法律事務所初代所長に就任。2009年10月、千葉県弁護士会に登録替えし、法テラス千葉法律事務所初代所長に就任。2010年2月、CFP®登録。2013年1月、東京弁護士会に登録替えし、法テラス東京法律事務所所属、社会福祉法人南高愛隣会に出向。2013年4月、東京きぼう事務所(パートナー弁護士)。2013年5月、東京TSネット設立(2017年5月まで代表理事)。2014年4月、社会福祉士登録。2014年6月、PandA法律事務所開設。2018年4月、弁護士法人ソーシャルワーカーズ設立(代表弁護士)。
弁護士とソーシャルワーカーが協働することで、
社会的困難を抱える人たちを支援していきます。
弁護士はクライアントに法的サービスを提供するのが仕事だ。しかし、目の前のクライアントが、法律問題だけでなく、社会生活上で様々な困難を抱える人だったらどんな支援ができるだろう。障がいのある人たち、性風俗で働く人たち……、そんな人たちに1人の人間として寄り添いたい。そう志を立てて、彼らを支援する活動を続けている弁護士が、弁護士法人ソーシャルワーカーズの浦﨑寛泰氏だ。浦﨑氏の考える「社会的に困難を抱える人たちの支援」と、法曹をめざした経緯、弁護士としての歩みを追いながら、弁護士としてのあるべき姿を考えてみよう。
『司法試験「超」勉強法』
高校2年まで、教育学部を志望していた浦﨑氏が一転して法曹界をめざしたのは、1冊の本がきっかけだった。
「本屋さんで教育学の本棚を見ていたら、そこに偶然『司法試験「超」勉強法』という本があって。探していた本とは全く異なるジャンルですが、ふとめくって読んでみたらおもしろくて興味を惹かれました」
小学校時代はスポーツも勉強も苦手でゲーム三昧のインドア派だったが、中学2年で父親を亡くしてから、母親に苦労をかけたくない一心で必死に勉強するようになった。父親の母校でもある岐阜高校に進学。高校時代は地元の高校でコーラス部に所属し、パートリーダーまで務めた。全国大会で2位を獲るほどの強豪校だったので、高校3年秋の全国大会まで部活を続け、引退する頃にはもう大学入試センター試験が目前だった。
「経済的負担をかけないよう、大学は東京大学法学部を志望しましたが、勉強時間が足らず不合格でした。浪人することも考えましたが、目標は司法試験合格です。であれば東京大学にこだわらず合格をもらった早稲田大学に入って、大学近くにあった資格受験指導校の早稲田セミナー(現:Wセミナー)に通い、司法試験という次の目標に集中しようと考えました。大学入学後はアルバイトもサークル活動もせずに、大学1年の4月から早稲田セミナーで、前述の書籍の著者でもある熊谷信太郎先生の基礎講座を受講し、ひたすら司法試験の勉強に励みました」
そして2001年5月、大学2年のときに出たハンセン病患者隔離政策の違憲判決。ハンセン病患者に寄り添い声を上げ続け勝訴をもぎ取った弁護士の活躍を見た浦﨑氏は、もともとめざしていた裁判官ではなく、弁護士の道を考えるようになった。
「人に寄り添える弁護士ってかっこいい」
大学在学中に司法試験合格
大学3年で受けた旧司法試験(当時)は論文式試験で不合格だったが、翌年見事に最終合格を果たした。在学中の司法試験最終合格はすばらしい快挙だ。しかし浦﨑氏は「私立大学に通っていたことで、母には学費の負担をかけていました。ですから本当は最短で受かって中退しようと思っていたのです」と、当時の悔しい思いを語っている。
合格後の司法修習では、いろいろな弁護士の活動に触れた。中でも印象に残っているのがホームレスのシェルターへの出張相談に同行したときのこと。
「そこで会ったホームレスの方は、家族も仕事も捨てて借金から逃げてきたというので、詳しく聞いてみると、その借金はとうの昔に時効になっていました。弁護士に相談すれば10〜20分で解決できる問題なのに、この男性は弁護士に頼るという選択肢を知らなかったのです。弁護士自ら現場に出向けば救える人がいるのだと、この活動に強く魅かれました」
他にも、複数の士業による離島の出張相談会に同行した。そこで知ったのは、その離島は当時の人口約2,300人とはいえ、境界地の争いや犯罪被害相談もあるということ。そしてそれにもかかわらず弁護士や司法書士が常駐していないということだった。
「裁判官や検察官は大きな権力を持っているけれど、法廷の外に出たり、職務の範囲を超えたり、自由に動き回るのは難しい。その点弁護士は、島に行こうが、シェルターに行こうが、事務所を飛び出そうが自由。最終的にはその自由さに憧れて弁護士になろうと決めました。司法過疎地と呼ばれる『弁護士がいない土地で働く道』に興味を持ったことも理由のひとつです」
こうして浦﨑氏は、総合法律支援法に基づき2006年に設立された日本司法支援センター(通称:法テラス)で働く道を選択した。
離島の弁護士として相談を受ける毎日
弁護士が足りず、法律サービスが行き届かない司法過疎地の中で、特に興味を持ったのが離島だった。長崎県壱岐島に弁護士が誰もいないということを知った浦﨑氏は、そこへ行くことを決め、法テラス創設前の立ち上げ段階から第一期生として関わっていくことになった。
壱岐島での活動を1年後に控え、浦﨑氏は2005年10月に弁護士登録を済ませ、1年間の在籍を前提に池袋総合法律事務所で修業させてもらうことにした。
池袋総合法律事務所では、いわゆる「マチ弁(町の弁護士。主に地域住民からの依頼を受ける)」として多重債務、過払い請求、離婚事件といった一般民事をひたすら手がけた。そして2006年10月、予定通り長崎県にある法テラス壱岐法律事務所に常勤弁護士(スタッフ弁護士)として赴任した。
「事務所の物件探しから開設準備、事務職の採用まで、ゼロからのスタートでした。法テラス開所前から週に一度、九州の弁護士が交代で通っていたという出張相談では、相談件数はそれほど多くなかったと聞きましたが、開設準備で壱岐を訪れたときに、実際には多重債務で困っている人がたくさんいるはずだと思いました。なぜなら島の中央にパチンコ店があって、その周りには消費者金融のATMがズラーッと並んでいたからです。私は、必要な人に法律家のサポートが行き渡らないようなこの島の現状を打開したくて、地元の新聞社に取り上げてもらったり、公民館での講演などにも積極的に出向いたり、PR活動を積極的に行っていました。その成果もあってか、毎日が相談の嵐。そしてその半分はやはり多重債務でした。相談件数は、3年間で1,000件ほど。相談だけで終わるケースもあれば事件として正式に受任して解決するケースもあります。刑事事件も発生しますが、島には拘置所がないので、刑事裁判になると被告人に会うには佐世保の拘置所まで飛行機に乗って接見に行かなければなりません。そんな状況も相まって、毎日日付が変わるまで働いていましたね」
壱岐で行っていた法律相談の中で、今の活動につながっていることがある。浦﨑氏が取り組み続けている「アウトリーチ=いかに支援を届けるか」だ。
「自分では対処しきれない問題を抱えてしまったとき、弁護士ではなく、役所や福祉関係者、警察を最初に頼る方もいます。ですから任期の後半は、社会福祉協議会や地域包括支援センター、役所の母子相談員の方たちなど、福祉領域の人たちと協働していくことでサポートの守備範囲を広げていきました」
福祉と弁護士の協働の必要性
法テラスの任期は3年。任期を終えると、任期を更新するか、元の事務所に戻るか、あるいは地元で独立開業するかなどの道を選択することになる。浦﨑氏は壱岐に残って独立開業することも考えたが、ちょうど任期満了となる2009年、裁判員制度が始まることを受けて裁判員に対応できる弁護士が複数いる法テラス法律事務所として法テラス千葉法律事務所が開設されることになり、その初代所長として赴任することが決まった。そうして浦﨑氏を含む8名の弁護士が所属する、裁判員裁判を中心とした刑事事件に対応する法律事務所が誕生した。
「それまでの一般民事中心の業務からガラッと変わり、仕事の半分以上は刑事事件になりました。衝撃を受けたのが、加害者または被害者の半数以上が、診断されてないケースも含め、精神障がいや知的障がいのある方だったことです。忘れられないのが、前科17犯の40代男性の弁護をしたときのこと。裁判の途中で知的障がいがあることもわかったのですが、この男性は社会に出ても行き場がないし、寝る場所も食べるものもありません。生活保護を受けようとしても『若いから働けるでしょう』と言われて門前払いで、福祉のセーフティネットは機能しなかった。でも、刑務所に入れば、眠る場所があり、食事も3食食べられます。だから刑務所を出ても、無銭飲食や万引きを繰り返してまた戻ってしまう。実はそういう人たちを、福祉ではなくむしろ刑務所が受け止めているという現実があったのです。
刑事弁護人が少しでも刑を軽くしようと一生懸命がんばっている一方で、本人は刑務所に戻りたがっている。そういう現実を千葉で目の当たりにして、法律だけでは解決できない、社会生活上で困難を抱えた人たちがいることを知りました。刑事裁判の中で、きちんと福祉につながるよう調整して、執行猶予判決を求めたり、心ある福祉関係者の協力を得て法廷で福祉の専門職に証言してもらい、量刑に反映してもらったり、彼らのために、あらゆる領域で弁護士とソーシャルワーカー(社会福祉士)が協働する必要があると感じましたね。こうして今の仕事の根幹にもなっている刑事弁護と福祉との連携が始まりました」
法テラス千葉での3年の任期を終えたあと、3ヵ月間だけ長崎県の社会福祉法人にインハウスローヤー(組織内弁護士)として出向し、社会福祉法人の内部から司法と福祉の協働のあり方を学ぶ機会を得た浦﨑氏は、その後6年ぶりに東京に戻って、東京きぼう法律事務所にパートナーとして入ることにした。
「法テラスでの経験を活かして、東京で新しいサポートのしくみを作りたい」
東京きぼう法律事務所で新たにスタートを切った浦﨑氏は、この思いを実現するために2013年5月、東京TSネットという任意団体を仲間と一緒に立ち上げた。提供するサービスはいわば、刑事弁護人と福祉専門職のマッチング。例えば刑事事件で弁護士が被疑者と接見し、福祉支援が必要と判断した場合、東京TSネットの窓口に連絡すれば、福祉のスペシャリストが警察署や拘置所に派遣され、刑事手続きに関わってくれるというものだ。
東京TSネットの活動が広がるとともに、いろいろな福祉事業所で講演をしたり、執筆活動をしたりと活動範囲が広がっていった。浦﨑氏自身が、通信教育を経て、社会福祉士の資格を取得したのもこの時期だ。浦﨑氏は、当時から弁護士個人として「障がいのある方が加害者になってしまう『触法障がい者』の問題を何とかしたい」と考えていた。ただお金になる仕事ではないので、自分の生活が苦しくなるのが悩みどころだった。
「当時、1人目の子どもが生まれたばかりだったので、がむしゃらに稼ぎながらボランティア活動もやっていくとなると本当にしんどかった。ボランティア的活動を持続的にできる体制に変えるためにはどうすべきか。そこを考えて1年弱で東京きぼう法律事務所を退所し、NPO法人PandA-Jの事務所を間借りしてPandA法律事務所という個人事務所を作りました。そこで障がいのある方の支援を軸に独立開業したのです」
ひとりでスタートしたPandA事務所は、しばらくして女性弁護士が入り、東京TSネットで一緒に活動していた男性社会福祉士が机を並べて独立型社会福祉士事務所を併設し、次第に体制が整っていった。
こうしてマチ弁として障がいのある方の支援を幅広く受けていく中で、浦﨑氏は触法障がい者の刑事弁護以外にも、障がいのある方の親亡きあとの支援や、成年後見人を引き受けることが多くなっていった。
風俗界に法と福祉の風穴
浦﨑氏は2015年、新たな支援の切り口として「風(ふう)テラス」をスタートした。「風テラス」は、弁護士と福祉・心理の専門家による性風俗で働く人のための無料生活・法律相談をする団体だ。
「障がい者支援のイベントに参加したとき、風俗店へのアウトリーチを研究している一般社団法人ホワイトハンズの坂爪真吾代表とご一緒しました。東京にはたくさんの風俗店がありますが、中でも単価がものすごく安い風俗店があって、他の働き先がない女性がお客さん1人1時間数千円程度という悪条件で働いている実態がありました。そこには法律や福祉の支援が必要だという話を坂爪さんから聞いて共感した私は、『ぜひ一緒にやりましょう』と意気投合したのです」
浦﨑氏たちは風俗店で働く人のために風俗店に直接出向いたり、メールやTwitter、LINE、電話で全国どこからでも相談できるようにしたりと、風俗で働いているという事実を隠さずに安心して相談できるしくみを作っていった。
一緒に「風テラス」を運営する坂爪氏は、以前から風俗店の店長の協力を得て風俗店の実態を取材していた。そしてそのルートを使って、浦﨑氏も月1回の相談会から始め、多重債務や離婚事件など様々な事件を受けていくうちに、「風テラス」の活動はどんどん広がっていった。
弁護士法人ソーシャルワーカーズの創設
2013年に立ち上げた東京TSネットで福祉のプロとのマッチング支援に、そして個人事務所のPandA法律事務所で知的障がいのある方や発達障がいのある方の支援に関わり、さらに2015年からは風俗店で働く人のための無料生活・法律相談「風テラス」を定期的に開催。八面六臂の活躍をする浦﨑氏の活動のすそ野は広がるばかりで、身体がいくつあっても足りない。
「きちんとバトンタッチしていかないといけないな」
浦﨑氏はそろそろ事業を引き継ぐ時期だと考え、東京TSネットの運営を若手にバトンタッチし、そのタイミングで東京TSネットの事務局も担っていたPandA法律事務所を解散させ、2018年、弁護士法人ソーシャルワーカーズを創設した。
「PandAは僕の個人事務所であり、属人的な活動には限界を感じていました。刑事弁護や障がい者支援といった特定の専門分野に限定せず、同じ志を持った仲間と一緒に、弁護士と社会福祉士などのソーシャルワーカーが、より普遍的に協働して活動できる大きな組織を作りたいと考えました。『風テラス』のような活動をする中で、特定の分野に関係なく、債務整理、成年後見、家事事件、刑事事件……、あらゆる分野で、弁護士とソーシャルワーカーが協働して活動するという文化を創ることが重要だと感じたのです。そこで東京麹町の本店と千葉と多摩と厚木に支所を作り、人も増やし、組織を大きくしてきたのがこの3年間でした」
現在、弁護士法人ソーシャルワーカーズは麹町本店に5名(多摩支所と統合)、千葉支所に3名、厚木支所に1名と合計9名の弁護士が在籍している。1件1件の事件は各弁護士が個人で受けることが多いが、同じ志の仲間が集まり法人化することで、事件情報を共有し相談し合えるメリットは大きい。弁護士法人ソーシャルワーカーズの冠はあっても、中身は個人事務所の集合体。一般事業会社でいえば各部門が独立採算制で運営し、共通経費をみんなで出し合っているイメージだ。
同じ志のもとに集まってはいても、専門分野は異なっている。例えば浦﨑氏は障がいのある方の支援がメインであり、具体的には成年後見や発達障がいクリニックの顧問、行政のアドバイザーなどをしている。他の弁護士の中には、週3日児童相談所に勤務しつつ、子どもの支援を専門とする弁護士もいるし、精神領域と離婚事件に強い弁護士もいる。
「いわゆる福祉との連携といっても、やることも客層もまったく違います。そこを同じように統一してしまうのではなく、それぞれの専門性を活かし、あえて各自が自由に活動しています。ただせっかく法人という共通の『箱』を作ったので、それをいかに活用していくかは常に考えていますね」
働き方を自分で選べる士業の醍醐味
浦﨑氏は法人の代表を務めてはいるが、実は現在1年間の育事休業中。法人の運営は極力後輩に委ねていて、自分自身はこの1年間新しい事件をほぼ受けていない。その経緯について、浦﨑氏は次のように話している。
「1人目の子どもが生まれたときは、妻は里帰り出産だったし、私自身もちょうど東京TSネットを作ったときで忙しく、十分に子育てに関われませんでした。ちゃんと子育ての時間がほしいなと思っていたので、2人目のときは働き方を変えようと、2020年4月から1年間は、すでに受けている仕事は続けつつ、新しい仕事は休もうと決めました」
2人目が生まれる前後は、ちょうど長女が小学校に入るタイミングだった。娘さんにとっては休校要請と緊急事態宣言の発令もあり、校庭で入学式をしただけで一度も校舎の中へは入れず授業はすべてオンライン。出産のために入院したママに会いたくても面会禁止と大変な状況だったが、「逆に2人で過ごす時間がたくさんできた」と、浦﨑氏はうれしそうだ。
「以前は、夜10時を過ぎて帰宅すると娘はもう寝ているということも多々ありました。それに比べれば今は毎日一緒に家族そろって夕食を食べられる。朝もゆっくり子どもを見送って、学童保育のお迎えもできます。給食が出なかった時期は、不格好ながらもお弁当を作って持たせるなど、得難い経験をたくさんしました。振り返れば、とても充実した時間だったと思います。
私たちの法人は、売上は100%個人に帰属し、法人の経費だけみんなで分担し合うスタイル。働き方は完全に個人の自由です。もちろん、お金のやりくりは必要ですが、働きたい人は働けばいいし、私のように子どもが生まれたらぐっと仕事を抑えるのもいい。この柔軟さは自営業の醍醐味ですね」
そろそろ育事休業も終わる。2020年4月から常勤の社会福祉士を雇ったこともあり、弁護士法人としても今後継続的に売上を上げていくしくみを考えていかなければならない。法律事務所の業務で、社会福祉士のスタッフにどのような仕事をしてもらえるのか。1年間一緒に活動し、課題も見えてきた。課題を洗い出しながら整理し、それをどうやってきちんと法人の付加価値にしていくのか。走りながら考えながら、まだまだ浦﨑氏の試行錯誤は続く。
受け継がれるバトン
浦﨑氏は、法テラスの常勤弁護士業務支援室長として、現役スタッフ弁護士の日常業務の相談や研修を非常勤で担当している。
「まだ赴任1〜2年目、弁護士として2〜3年目の全国にいる若手スタッフ弁護士の相談に、週に1〜2回、電話で相談に乗っています。起案を見てほしい、訴状の法律構成は間違っていないか、事件処理の方針はこれでいいのか……。自分も法テラス壱岐に弁護士登録2年目で赴任したとき、事務所には自分しかいないという状況で、事件処理に悩んだことを思い出します。法テラスという組織であっても仕事を受けるのは一人ひとりの個人ですから、最前線でやっていると抱え込みすぎたり、自信がなかったり、悩むんですよね。そんなとき、文献にも書いていないような、ある程度経験が必要な事柄について相談できる存在がいることは、非常に大事だと思います」
弁護士法人ソーシャルワーカーズでは、後輩弁護士たちが、家族や自分の時間も確保しつつ稼げるしくみを作っていきたいという。どうやら浦﨑氏には、個人の実務だけではなく、後輩と一緒に考え指導することで、1人で抱え込まないで済むような環境の整備を進めたいという考えがあるようだ。早稲田セミナーOBとして資格取得をめざす方たちへのメッセージも、そんな思いに満ちている。
「僕自身、弁護士資格取得後に、通信教育で社会福祉士の資格を取りました。また、法テラス千葉にいたときに、ファイナンシャルプランナー(以下、FP)の勉強も始め、CFP®の認定も受けました。債務整理や成年後見の業務は人のお金を扱う仕事なので、その人のライフプランの中でどうキャッシュフローをプランニングするのか、自分自身が知っておきたかったし、わが家の生活設計にも役に立つと思い取得しました。
ただ、社会福祉士もFPも、それぞれの固有の専門性があり、クライアントに関わる視点は、弁護士としてクライアントに関わるときの視点とはかなり異なっていて、1人で2役・3役をこなすのは難しいと感じています。私が1人2役をやるのではなく、別々の資格者が二人三脚でやったほうがいい。社会福祉士としての福祉の現場経験だったり、FPとして実際にリアルな家計改善の相談を受けたりと、それぞれ、固有の現場の知識や経験に裏打ちされたスキルが求められる仕事なので、私が単に複数の資格を持っただけでできる仕事ではないということです。
ではなぜ弁護士なのに社会福祉士やFPの資格を取得したのかというと、自分の弁護士としての専門性を軸にしつつも、業界の垣根を越えた協働をしていくためには他の資格の視点が必要だと思っているからです。例えば風テラスも風俗店との協働で実現しているわけで、そこは弁護士業界的な発想ではちょっと難しい。だからこそ弁護士をめざす人だけでなく、FPや社会福祉士をめざす方にも、ぜひ業界の垣根を越えた協働を考えていってほしいのです」
「これからはこの考え方が当たり前になっていくと思います」そう語る浦﨑氏。最後に好きだという谷川俊太郎氏の詩を引用して読者に熱いエールを送ってくれた。
「詩人の谷川俊太郎さんの作品に『朝のリレー』という詩があります。地球上では、いつもどこかで朝が始まっている。僕らは朝をリレーして、みんなが交替で地球を守っているのだという内容の詩です。2年前に母が亡くなって、その次の年に2人目が生まれて、そうやってリレーのように上の世代から下の世代にバトンが渡されていくのを、この歳になって感じています。
どんな資格も、長い歴史の中で続いていった、先人たちからのリレーのバトンのようなものだと思います。僕たち一人ひとりが、何番目かの走者としてバトンを受け取って、次の走者につないでいきます。バトンの色や走るレーンはそれぞれ違うかもしれませんが、みんなでよりよい社会を作ろうとリレーをしているのです。僕たちは、『弁護士とソーシャルワーカーの普遍的な協働という文化を創る』という理念で法人を作りました。ただ、この法人理念は、僕らの代で成し遂げるというよりは、次の世代につないでいくためのものです。僕自身もその走者の1人に過ぎません。
今まさに資格取得をめざしている受験生の皆さんには、ぜひ、先人のバトンを受け取って、このレーンの走者に加わっていただきたい。そう思います」
浦﨑氏の思いを受け取って次に走り出すのは、これを読んでいるあなた自身だ。
[『TACNEWS』日本の弁護士|2021年6月号]