日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2019年4月号

Profile

笠浪 真氏

税理士法人テラス
代表 税理士 行政書士

笠浪 真(かさなみ まこと)
1978年生まれ、京都府出身。2000年、滋賀大学経済学部卒業。2015年、慶應義塾大学大学院医療マネジメント専攻修了。2008年、税理士登録。2011年、行政書士登録。
会計事務所、法務事務所、事業再生コンサルティング専門の税理士法人、大手税理士法人の勤務を経て、2011年4月、神奈川県茅ヶ崎市の自宅にて笠浪税理士事務所を開業。2013年、事務所を東京都港区虎ノ門に移転。2014年、税理士法人テラスに組織変更。2016年、グループ内に「社会保険労務士法人テラス」を設立。同年、税理士法人テラス大阪事務所を開設。2017年、東京事務所を東京都中央区銀座に移転。

ドクターと医療についての会話ができることが、差別化につながり、
私たちの特徴となっています。

 医業特化、医療機関が専門と謳う税理士法人は決して少なくはなく、大病院がメインというところまである。一方で街の開業医、ドクターを対象とした医療コンサルティングはといえば、税務的な対応ができるところは多々あれど、医療法まで把握した上でコンサルティングを行っているところはいまだ少数ではないだろうか。「医療業界へ恩返しがしたい」との思いから、医療コンサルティングに注力するようになった税理士法人テラスの代表であり税理士の笠浪真氏は、税務だけでなく労務、法務まで含めてのコンサルティングをその特徴としている。今回は笠浪氏に自身の歩み、医療コンサルティングへの取り組みから今後の方向性までを語っていただいた。

実家の問題解決のために

 笠浪真氏は京都のサラリーマン家庭に生まれた。滋賀大学経済学部に進学し、大学ではウインドサーフィン部に所属、1日のうち陸地にいるより琵琶湖の上を漂っている時間のほうが長い日もあった。世界選手権日本代表の腕前で、将来プロになろうとも考えていた。一見、順風満帆な歩みに見えるが、実は震災が笠浪氏の人生に影を落としていた。
 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の時、京都にある笠浪氏の実家は、家屋の被災こそ免れたが、父親の勤務する会社が震災の影響で倒産してしまった。失業した父親は会社のメンバーと共に新会社を立ち上げて役員となったが、その会社も笠浪氏が大学3年生の時に倒産。父親が連帯保証人となっていたため、自宅は差し押さえられてしまった。
「会社に入っても、景気が悪くなったり、震災が起きたりすればサラリーマンはこうなる。それなら何か手に職をつけたいな」
 大学3年生の笠浪氏はそう考えた。
「大学卒業時は就職氷河期でした。就職活動の時期に父の会社が倒産して自宅を差し押さえられ、本当に大手企業に就職するのがいいことなのかと考えた時、まず家の問題を解決したいと強く思いました。父自身は営業職で、経理も会計も法律もまったく知らないまま役員になって、連帯保証人のサインをしてしまいました。その仕組みがどうなっているのかを知りたくて、会社の税理士や弁護士に会いに行ったりもしました。
 それまではウインドサーフィンのプロになりたいと思っていたのですが、それよりもなぜ家が差し押さえられたのか、どうすれば回避できたのかを知りたくて『知識が得られる資格の勉強がしたい』とTACに通い始めたんです」
 TACの日商簿記3・2級のコースで学びながら、笠浪氏は「倒産による差し押さえは法律的な話だから、簿記だけではなくさらに会計と法律の知識も身につけたい」と考えた。公認会計士試験なら、科目の中に会計学や会社法、民法が含まれるので、その両方を学べる。一番いい選択肢のように思えた。
「公認会計士試験なら会計と法律の両方を勉強できて、プラス資格がついてくる。そんな軽い気持ちで公認会計士講座に申し込みました。ただ、そう簡単にはいかなかったんです。当時、TAC京都校には優秀な学生が大勢いてとてもレベルが高く、私よりも年下の大学2、3年生が意気揚々と勉強していました。TACにこもり、1日に10時間以上勉強をしていたものの、彼らと一緒に試験を受けると結果に差が露骨に表れるので自信をなくしてしまい、これは違うなと思うようになりました。もともと1年だけ専念する約束でしたので、精神的にも金銭的にも2年目という選択肢はあり得なかったんです」
 どうしようかと考えながら大学の先輩に話を聞くと、「税理士試験なら働きながら1科目ずつ取れる」という。実務を身につけながら、30歳までに毎年1科目ずつ取っていこう。そう決めた時、笠浪氏は25歳になっていた。

30歳の税理士、東京へ

 笠浪氏が初めて勤めたのは京都市内の会計事務所だった。所長は「税務署の言いなりになってはいけない。対抗できる知識を持つために、税法はすべて覚えなさい。税理士とは税法で商売するものだ」という人だった。笠浪氏はとにかく早く税法を覚えたくて徹底的に勉強に励み、税務業務の基礎を学んだ。所長から叱責される経験もしたが、「今から思えばよい経験でした。所長と近い距離でいろいろな話ができたので」と振り返る。
 3年経つと税理士の基礎業務はほぼできるようになった。最終目標が「家の差押え問題の解決」にあったので、笠浪氏は会計事務所を退職して今度は法律を本格的に学ぶために司法書士試験の勉強を開始。並行して法務実務を身につけるべく法律事務所に勤務した。
 2年間の法律事務所勤務で感じたことは、「法律の世界は有資格者とそうでない者とでは担当する内容がまったく違う」ということだった。
「本職と補助者ではまったく違い、資格がなければお客さまに相対することもできません。有資格者ではない自分は、ここにいても自分のやりたい、実家の問題解決はできないことを痛感したんです」
 こうして司法書士試験の勉強をしながら2年間勤務した法律事務所を退職した。「どうすれば現場に入っていけるのかを考えた時、やはり国家資格がないと、そこから先の本当の仕事ができないことがわかりました。30歳までに税理士資格を取りたかったので、勤務のかたわら大学院に通い、税理士登録の要件を満たしました」
 こうして笠浪氏は30歳で晴れて税理士となった。当時はITバブルに沸く時期で「30歳の税理士有資格者」は複数の内定が取れた。
「それなら京都よりも東京で幅広い経験を積んでみたい、思い切って東京に出ようと考えたんです。東京で3〜5年経験し、Uターンして京都で開業しよう。その頃には実家の問題も解決するだろうと、本当に「トランクひとつ」で単身東京に向かいました。
 それまで3回しか行ったことのない東京。初めて品川駅に降り立った時は、大都会の光景に感動して胸が熱くなりました」
 30歳になる4月1日から東京で就職した笠浪氏だが、実はその3日前の3月29日に結婚式を挙げたばかりだった。新妻を自分の実家に残して、東京での生活資金は結婚式のご祝儀でなんとかやりくりして生活をつなぎ、上京して1ヵ月間は先輩の家に居候させてもらっていた。社会保険労務士である奥様は6月まで繁忙期。勤務先との契約が満了する6月を待って合流することになっていた。
「だから私は妻に頭が上がらないんです。今の自分があるのは妻のおかげ。東京までついてきてくれた妻には感謝の気持ちしかありません」

これが組織力か!

 税理士となり、家庭を持って新たな一歩を踏み出した笠浪氏が東京で入所したのは、事業再生コンサルティングをメインとする税理士法人だった。
「どうすれば会社を救えるのかを学ぼうと、事業再生コンサルティングが中心の法人を選びました」
 そこで学んだのはプロジェクト対応、チーム対応である。コンサルティング業務では、公認会計士・弁護士・税理士・司法書士・コンサルタントがチームを組んで対応することで、クライアントに対する付加価値が5倍にも10倍にもなる。
「税理士がひとりでできることは本当に限られている。大切なのはお客さまの課題をどう解決できるか。それには、税金の知識はもちろん、多様な専門家が知識を持ち寄ってトータルな知識で対応しなければ解決できないんだ」
 この経験が現在の笠浪氏のコンサルティングの原点となっている。この時、笠浪氏はパソコンスキルを磨くためにTAC渋谷校に通い、ワード・エクセル・パワーポイントの実務に役立つ講座を受講した。残念ながらその法人は、2008年のリーマン・ショックで一気に仕事がなくなり、妊娠中の妻を京都から呼び寄せたばかりだった笠浪氏は、今後の生活維持を考えて退職した。
「コンサルティングの第一線でよい経験をしたけれど、振り返れば税理士業務の経験があまりにも少なすぎる。しかも学んだのは5年も前。税法は毎年変わるし会社法もない時代の話だ。それなら最新の税法を改めて勉強しよう」と考え、原点に戻って税理士業務をするべく大手税理士法人に入所したのである。同時にTAC横浜校に通い、法人税と相続税の講座を受講した。
 実は笠浪氏は、京都の会計事務所を退職したあと、失業中に職業訓練の一貫として半年間ホームヘルパーとして介護の現場に入った経験があった。その経験を買われたのか、大手税理士法人では医療部の配属となった。
 税理士として関わる初めてのドクターマーケット。医療部の中で有資格者として裁量を与えられ、税務調査にも対応し、責任を負う立場にもなった笠浪氏は、「資格というのはこういう時に活かされるんだ」と初めて実感した。
 その大手税理士法人で学んだ大きなことがあった。それは個人の会計事務所にはなかった「教える文化」だ。かつての会計事務所では、人に仕事を教えると自分の仕事が取られる、ひと通り仕事を覚えた人は辞めてしまうと考え、「教えない文化」が当たり前だった。ところが、実は「教える文化」はとても効率がよく、下も育つし、下が育てば上も仕事が進む。京都で自分が3年かかって学んだことを、そこでは新人が半年で身につけていた。しかもチームで対応するので、ひと通り覚えるとどんどん人が育っていく。
「すごいな、これが組織力か!」
 笠浪氏は、この「教える文化」に大きく感動した。この時学んだ組織経営は、今日の税理士法人に活かされている。

会計・法律事務所としてスタート

 こうして大手税理士法人に約3年間勤め、そろそろ京都に帰ろうかと退職を申し出た矢先の2011年3月11日、東日本大震災が起きた。景気の先行きも見えないこの状況の中、本当に実家に帰って起業していいのか。震災で勤務先が倒産した父の姿が去来した。この時、事業再生コンサルティング会社時代の司法書士や弁護士仲間から、相続案件の依頼で声をかけられた。
「私に声がかかったのは、相続案件は税務と法律の両方の知識が必要だからです。私は当時、行政書士登録も済ませていましたし、京都時代には会計事務所だけでなく、法律事務所や不動産鑑定事務所で働いた経験がありました。この経験から、ひとつの案件について、弁護士、税理士、司法書士、不動産鑑定士それぞれの専門領域の棲み分けが分かり、仕事の振り分けができたんです。法律や税金のことで困ったときに誰に相談したらいいかがすべてわかる。言い換えれば、自分が窓口になれば、おおよそ裁判以外はすべて解決できるとわかったのです」
 これを強みに開業しよう。こうして2011年4月、笠浪氏は「税理士・行政書士」として神奈川県茅ヶ崎市の自宅の一室に笠浪税理士事務所を開業した。
 「私のスタンスは、税理士としての起業というより、会計・法律事務所としての起業という建て付けです。最初は行政書士としての仕事が切り口となって、そこから税務案件が入り税理士業務に広がっていきました」と、笠浪氏は開業当初を振り返る。
 起業したては仕事がない中、「起業」というものを経験すべく銀行から500万円の融資を受けてみたりもした。業務的には相続セミナーを開催したり、税理士会の仕事も受けていた。開業1年目にはそこそこ相続やM&A案件の依頼があり、順調な滑り出しとなった。さらに、まだ珍しかった司法書士や弁護士と組んだセミナーも好評を博していた。
 そして開業2年目に、事務所を東京都港区虎ノ門に移転。個人事務所からチーム対応をめざすことにした。
「どうすれば効率よくできるかを考えての決断でした。一人でやっているとチェック機能がないのでミスにつながりやすいという怖さもありました。相続という大きな案件を抱え、責任の重大さを感じながらも、チェック機能がないままではいい仕事はできません。前職では、三重にも四重にもチェック機能があったから自分はミスがなかったんだということに改めて気が付いて、ひとりは本当に無力だなと感じたのです」
 笠浪氏は大手税理士法人を退職していた仲間や、親しくしていた税理士と行政書士を誘い、虎ノ門に事務所を借りて6畳ほどのスペースに机4つを並べた。事務所はパートナー制で、各々が自分の仕事を持ちながら事務所の仕事をする形式だ。初めてチームが誕生した。

医療をサポートしたい

 現在は医療を専門とする笠浪氏だが、経営方針として「医療専門」に舵を切ったのには理由がある。きっかけは息子の交通事故だった。車にはねられた息子は病院に担ぎ込まれ集中治療室に入ったが、ほぼ意識はなかった。その時、虎ノ門の事務所から駆けつけた笠浪氏に、当直だった若い勤務医は非常に丁寧に対応してくれた。
「勤務時代に接していたのは40〜50代の開業しているドクターたちでした。夜勤や当直をして、患者のためを思って、こんな丁寧な対応をしてくれる若いドクターに会ったのは初めてだったんです。以前仕事でお会いしたドクターたちもこうした下積みをしてから開業していたはずですが、私はその最終形しか見ていなかった。ドクターは皆こういう経験を積んでいる、ドクターというのは人の命を預かるすばらしい仕事なんだと、今更ながらに感動を覚えました」
 このことがきっかけとなり、笠浪氏は「医療をサポートしたい!」という熱い思いに駆られた。
「税理士にとっての開業医とは、節税の話をするお客様で、上辺だけの付き合いでした。でも本当はそうじゃない。ドクターはいろいろなことで苦労されている。人事や資金繰りの問題、家族関係の問題、医院承継の問題、ドクターならではの悩み、その奥様の悩みもあるんです。それなのにこれまでの私は税理士として一部分しか見ていなかった。もっとトータルにサポートをしてあげたい。息子を助けてもらった恩返しをしたいと思いました」
 医療専門を謳う税理士はあまたいるが、毎年変わる医療法まで詳細に把握している税理士は少ない。加えて、ドクターの事業承継も含めた相続では、会社法や民法の知識が必要だ。
「医療専門だといって医療をターゲットにしている税理士はいても、本来的な意味で医療関係者を専門としている税理士は数えるぐらいしかいないように思う」と、笠浪氏は指摘する。法的知識を身につけ、マーケットを熟知し、アライアンスで弁護士やその他の士業をつなぐことのできる税理士、それはまさに自分のことと思えた。こうして笠浪氏は医療に注力するようになった。

大学院で医療マネジメントを学ぶ

虎ノ門に移転した年に、笠浪氏は「創業経営塾SKIPPER’s」(株式会社エスエムピー)を開設。経営者や起業家の卵、これに関わる士業向けの創業経営塾として研修会・講演会を開催した。また、「経済と医療の掛け橋になりたい」という思いから、医療経営コンサルティング専門の「一般社団法人 医療経営支援機構」を設立し、2014年5月には税理士法人を「税理士法人テラス」に組織変更。さらに2016年1月にはグループ内に「社会保険労務士法人テラス」を開設し、税務・労務・法務をワンストップで提供。病院・ドクター・医科歯科クリニックの経営や3年以内に開業したいドクターを、税理士・社会保険労務士・行政書士などの専門家集団でバックアップする体制を整えた。こうして開業から開業後まで、すべてをトータルサポートすることで、医療業界に貢献すべく黒字経営の医院を多数支えている。
 現在のクライアントの6割は純粋なドクターで、医療関連のクライアントまで含めれば8割を超える。残りが相続や事業承継で、ここにもドクターの資産管理会社等が含まれてくる。100%医療とは言わないまでも、ここまで医療を専門に手がけ、税務だけでなく医療法にまで踏み込んだコンサルティングを展開している税理士法人は決して多くはない。
 そんな中で、笠浪氏はひっかかるものを感じていた。医療専門といいながら、実は医療の現場について全然わかっていない自分がいたからだ。
「そこで2013年、慶應義塾大学大学院医療マネジメント修士課程に進学し、2年間、医療政策や医療経営を学びました。そこにはドクター、看護師、医療職、中には異色ですが私のような税理士もいて、みな医療の現場を学ぼうとしていました。大学院ではそれまで上辺でしかわかっていなかった医療業界にまつわる法律や会計、そして現場の声を学ぶことができました」
 大学院に通ったことで、医療に対する関わり方は大きく変わった。まず、ドクターと医療の会話ができるようになった。以前はそれこそ税金の話しかできなかったが、最近の診療報酬や国の医療政策、自由診療、混合診療の話にまで踏み込めるようになった。
「医療コンサルティングを謳う税理士法人や会社はありますが、クリニックレベルで医療コンサルティングを行うところはなかなかありません。だからこそ、診療スタイルや国の政策との違い、自由診療が根ざしているエリアなのかどうかなど、診療そのものにまで深く踏み込んだコンサルティングをできるのが、私たちの強みです。ドクターも話していてちょっと違うなと感じるらしく、今ではほとんど税金の話をしなくなりました(笑)」
 大学院で得たものは、医療コンサルティングの礎となって今では大きな強みとなっている。

資格は必ず役に立つ

 現在、税理士法人テラスグループには総勢30人(税理士3名、社会保険労務士3名、行政書士2名含む)のスタッフが揃い、クライアント数は首都圏を中心に法人・個人含め300社を数えるようになった。新規顧問先も年間約50件ずつ増え、2016年秋には大阪に関西支社をオープン。2017年には東京事務所を中央区銀座に移転した。
 41歳になった笠浪氏は、「今後もメンバーとお客様が喜んでくれるような事務所にしていきたい」と、抱負を語る。
「事務所はあまり大きくするつもりはないんです。ただ本当に必要としてくださるお客様に対して税務・労務・法務コンサルティングという多様な支援をしていきたいと考えると、やはり50人体制は必要になってきます。それぐらいになれば資本力、体制共に安定してくると思います。かといって100人体制にするつもりはありません。自分でスタッフの顔が把握できる範囲にしたい。そしてトップとして50〜60歳で一線から引くような組織を作りたい。でなければ次が育ってこないからダメなんです」と、将来についての思いを語る。
 2017年、差し押さえられていた実家の問題は、笠浪氏の働きが実を結び、親しくしている弁護士や司法書士、不動産鑑定士のサポートも得て、ようやく解決した。
「20年かけて解決して、両親から『ありがとう』と感謝された時、学生時代からのいろいろな思いが湧いてきて、思わず涙しました」
 そしてこれからも医療中心。そこはブレない。
「医療だけにこだわっているわけではないのですが、ブレると一般企業や相続案件が増えてしまうでしょうね。ただ、医療だけにすると他の情報が入ってきませんし、事業承継や相続もやらなければなりません。スタッフも医療だけをやりたいわけではないでしょう。特に受験生は医療がどんなにやりがいのある業界でも、そこだけでは知識が偏ってしまう。事業承継もやるし相続やM&Aもある。私はそういう情報も、そういう人材もほしいんです」
 実家の倒産を見てきたからこそ、「クリニックを絶対に倒産させない」という思いが強い。「起業したいというドクターを成功に導いてあげるのが使命」と、絶対に失敗しない開業支援を謳う。医療現場への恩返しが医療特化のきっかけではあったが、果たして笠浪氏は医療分野への特化にやりがいを感じていたのだろうか。
「いろいろやってきた結果、医療特化が一番いいなと思っています。というのはクライアントであるドクターの先には患者さんがいます。患者さんのために自分の知識や経験を活かせることに、一番やりがいを感じるんです。いろいろなことをやってみて、やっとわかった腹落ち感ですね」
 だからこそ受験生にはいろいろな領域を経験してほしいと、笠浪氏は強調する。
「受験生ならM&Aや事業承継など、いろいろやりたいことがあると思います。それも全部税理士の仕事ですから、何をやってもその経験はすべて役に立つんです。私たちはそんなやりがいを求めている人を採用したいと考えます。だからこそ皆さんに言いたいことは、先を見据えて何のために税理士になるのかを考えてほしいということです。
 税理士をめざしている方は税理士になるために勉強をしていますが、合格したあとに何をしたいかということを明確に持っておかないと、やりがいを見失うかもしれません。何年もかけて取る資格です。あとから振り返って『これでよかったのか』とならないために、何のために税理士になるのかしっかりと考えておいてください。
 とはいっても税理士の勉強をしている段階では、まだ仕事のやりがいなどわからないし、将来の自分は見えていないと思います。私だってTAC京都校に通っている時は、20年後の自分がこんなことをしているとは思ってもいませんでした。強い使命感をもって資格を取るということも間違いではありませんが、途中で気持ちが変わることもありますし、リストラや倒産があって何とか人生を建て直さなければという思いで税理士や公認会計士をめざすのも、それは間違いじゃありません。人生の中でその知識は必ず必要になるし、資格は必ず役に立ちます。だからこそ一生懸命勉強してください。合格後はいろいろな未来が待っています。
 税理士法人テラスでは、特定の仕事にこだわらない人は大歓迎です。単に税金の知識だけ身につけたいという人には向いてないでしょう。うちはチーム制なので、税務も労務も法務もやっていただきます。それらの総合的な知識とコンサルティングの知識が身につくので、やりがいは大きく、飽きることはありません。しかもドクターや患者さんからとても感謝される仕事なので、社会的意義は大きいと思います」
 税金や法律について勉強したいという思いから最終的に税理士となった笠浪氏は、自身を「単なる有資格者ではない」と断言する。「会計・税務・法律系アドバイザー」のスタンスが一番しっくりくるそうだ。
 そこには税理士という一資格の枠を超えて、さらに大きな枠組みで捉えた社会貢献の形がある。これこそ、これから資格を取って世界に羽ばたく若者のための、未来への試金石なのである。


[TACNEWS|日本の会計人|2019年4月号]

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