日本のプロフェッショナル 日本の中小企業診断士|2016年7月号
小野 史人氏
株式会社ライブリッツ・アンド・カンパニー 代表取締役社長 中小企業診断士
小野 史人(おの ふみと)
1974年、神奈川県生まれ。横浜市立大学商学部卒業。独立系システムインテグレーター、会計系コンサルティングファームなどを経て、2009年7月、中小企業診断士として登録、独立開業。2011年4月、株式会社ライブリッツコンサルティング(現、株式会社ライブリッツ・アンド・カンパニー)を設立、現在に至る。
東洋大学大学院経営学研究科非常勤講師、HACCPコーディネータ、農業経営アドバイザー。
企業全体を巻き込むコンサルティングで、
中小企業の経営改善と事業再生に取り組む。
今年始め、2016年1月12日付の日本経済新聞によると、ビジネスパーソンを対象に「新たに取得したい資格」をアンケートしたところ、中小企業診断士(以下、診断士)がトップになった。ここ数年人気が高いと言われる診断士資格は、その名の通り中小企業経営を支援する人のために作られた資格だ。ただ実際には民間企業に勤務する人が多く、取得目的も対外的評価や自己啓発のためという回答が多い。一方で、足下を見れば経営改善が必要とされる中小・零細企業は数多くある。考えてみると、診断士に最も期待されているのは「中小企業支援」であり、それが「中小企業診断士」の使命のひとつであるとも言える。今回は診断士に一番期待される最大の使命「中小企業支援」に徹して王道を走る、株式会社ライブリッツ・アンド・カンパニーの代表・小野史人氏にスポットを当ててみた。
経験不足は知識で補う
「何も知らない小さい頃は、大学教授になりたかった」と話す中小企業診断士の小野史人氏は、誰にでもわかりやすい言葉で難解な経営戦略を説く「言葉の魔術師」だ。「経営戦略実現のシェルパ」として、中小企業経営者とその従業員が、夢や目標に何度でもチャレンジできる環境と可能性を提供できるコンサルティングを心がけている。
1974年、神奈川県に生まれた小野氏はサラリーマン家庭に育ち、数字が得意だったので横浜市立大学商学部に入学した。
「大学の友人にはTACに通っている人もいましたが、朝から答練(答案練習)、夜まで勉強と本当に忙しそうでした。せっかく大学へ入ったのだから大学で学べることをきちんと学びたいと考え、私は大学の勉強を優先しました」
高校時代には親から公認会計士になるよう勧められたこともあったが、大学入学当時は将来について何も考えていなかった。
そんな小野氏を夢中にさせたのは、大学2年のときに出会ったコンピュータだった。最初に買ったのはEPSONのDOS/V機、さらにAppleのMacintoshも購入し、コンピュータの可能性に心躍らせた。就職先もIT業界で東証一部上場の独立系システムインテグレーターへ。「ITは『魔法の道具』」と信じて疑わなかった。
入社後はプログラマーからスタートし、システム設計、要件定義と、クライアントと打ち合わせする仕事が徐々に増えていった。その後、営業部門に異動となり、製造業を中心に新規開拓に奔走する。
「まったく営業成績が上がらず、同期との競争でも常にブービー争い。人生何をやってもうまくいくと思ってきた私の鼻は、いきなりポキンと折られました」
そんなある日、転機が訪れた。大阪への転勤である。大阪での仕事は総合電機メーカーのアカウント営業だ。
「私の担当先は超大手A社。与えられた目標はA社のIT投資予算のうち、A社のシステム子会社を除いて1位、A社システム子会社を含めても2位になること。引き継いだスタート地点は5位。これまでたいした成果も上げていないのに、途方もなく大きな目標でした」
社会人として4年の経験で提案できることなどあるのだろうか…。思いあぐねた小野氏は、朝から夕方まで先方に入り浸った。まるで常駐しているかのように過ごす中で、規模が大きいが故にシステムが複雑すぎると感じた。自分で状況を把握すべく、現状を整理して、顧客の経営、事業、組織、業務、そして担当者の状況をまとめた資料を作成。この資料を担当者に見せたところ、「業務を整理するのを手伝ってほしい」と声をかけてもらえた。こうして新たな販売チャネル構築とそのシステム化構想を支援しているうちに、小野氏は数億円のシステム構築プロジェクトを受注することになった。こうして課せられた「1位」の使命を達成できたのは、4年後のことだった。
「私が成果を出すことができたのは、顧客視点があったから。これが私のコンサルタントの原点です」
そして再び東京に異動。今度は営業職ではなく専門職(コンサルタント)となり、システムコンサルタント、プロジェクトマネージャーとして顧客の新システム稼働に責任を負う立場になった。
「その頃から少し欲が出てきて、経営や戦略に対してもっと提案できる仕事がしたいと、自分に物足りなさを感じるようになったんです。確かに扱っている仕事の規模は大きいけれど、自分のやりたいことと少しずつずれてきているのを感じるようになったんです。
コンサルタントとしてのキャリアをスタートした私は、単にシステムだけを知っていればいいだけではなくなりました。大きく見れば経営、事業、システム導入の投資対効果の説明もしなければならない。そして何よりクライアントがなぜそれをやろうとしているのか、そうしたことを若造が理解しようとすると経験が追いつきません。経験不足は知識で補うしかない。その時、経営や事業、組織、業務が変革していく過程を俯瞰して理解するのにベストと思えたのが診断士資格だったのです。プラス将来、会社を辞めてコンサルタントとして独立する時の後ろ盾が欲しいという欲もありました」
こうして小野氏は、32歳から本格的に診断士受験をスタート。1次試験は一発合格したが2次試験は通らず、半年間会社を休職し、中小企業大学校に通学して診断士登録を果たした。
会計系コンサルティングファーム、中堅システムインテグレーターでキャリアアップしながら、診断士の受験期間を経て35歳で中小企業診断士に登録。
「35歳なら失敗してもまだ再就職できる!と当時は思い込んで(笑)、独立開業に踏み切りました」
診断士の使命は中小企業支援
独立した当時、大企業から中堅企業に対するコンサルティング経験を持つ小野氏の売りは「IT」だった。しかしITはもはや電気・ガス・水道のように当たり前にある経営インフラの一つ。何も特別なものではない。以前は「魔法の道具」だと思っていたITだけでは、もはや何一つ解決できない。だとしたら何を依って立つものにしようか。
「診断士の仕事はたくさんあります。受験指導校の講師、研修セミナー講師、執筆という仕事もある。でも私は当時からコンサルティング業を中心にやっていきたいと思っていました。診断士の使命は中小企業支援ですから」
そこで独立する時、コンサルティング業ができそうな診断士事務所に席を借り、下請けで仕事しながら自分で営業開拓していくスタイルをとった。そして勤務時代の自らの仕事を「事業・業務の仕組みづくりをITで支援する仕事」と定義し直したところ、中小企業には「管理の仕組みが脆弱な企業が多い」ことに気づいたという。そこで大企業から中堅企業に提供してきた数多くの管理システムを、中小企業が使えるように簡易化して導入し定着化できれば、まだまだ業績を回復できる企業が多いと信じ、診断士に一番期待されている最大の使命、中小企業支援を地道に続けていった。
「仕事の割合はかなり意識していて、あまり下請け的な仕事は増やさないように気をつけていました。下請け仕事は営業活動がない分非常に楽なのですが、成長しないし自分の名前でする仕事ではないからです。最終的には1年半務めた頃に会社を作り、2年で事務所を離れて、真の意味で独立開業しました」
下請けのほうが売上的には楽でも、自分のやりたいことができるわけではないので、小野氏は当初から2年をめどに一人立ちするつもりでいた。そしてもう一つ、いずれはコンサルタント事務所からコンサルティングファームにしていきたいと考えていた。
「いわゆる診断士一人の事務所ではなく、何名かでチームを組んで案件にあたるようなコンサルティングファームを作りたい」
その思いが結実し、独立して2年目の2011年4月、コンサルティング会社、株式会社ライブリッツコンサルティング(2015年4月に株式会社ライブリッツ・アンド・カンパニーに社名変更、以下ライブリッツ)設立に至ったのである。
金融機関と企業、両方の期待に応える
「ライブリッツ」とは「ライブ=現場感、スピリッツ=心・魂・想い」という小野氏が大切にしたい2つのキーワードの造語。ライブリッツ設立について、小野氏は次のように話している。
「独立してから比較的恵まれてやってこられたのですが、一人でやることの限界も感じていました。何しろいくら一生懸命にやっても、お客様の要望に応えきれない。もっとこんなことができたらいいのに、こんな人材が会社にいたらもっとバリューを出せるのにと思うことがたくさんありました。スポットの対応だけでは、会社としてのノウハウが蓄積できないんです。そうした自分にないものを提供できるように、人の面でも仕組みの面でも整備していかないとライブリッツとしての成長がありません。
何しろ会社の成長を支援する会社なんですから、自分の会社の成長が難しいのではお話にならない。そこで外注ではなく一緒にやってくれる仲間、パートナーと働いていこうと考えました」
多忙なコンサルティング業は2014年からさらに忙しさを増していった。それは、とある事業再生案件でデューデリジェンスを高く評価してくれた金融機関があり、そこから仕事の依頼を受けるようになったからだ。あまりの多忙さに、金融機関から「大丈夫ですか?寝てますか?」と心配されたエピソードまである。
金融機関から紹介される案件は、経営改善が求められる企業が中心となる。その中で金融機関が求めるものは「経営改善計画書」だ。金融機関は企業に何とか回復して欲しいため、回復への段階を上っていくための一つの方向性を示すものとして「経営改善計画書」を必要としているのだ。
「でも企業が欲しいのはそうしたドキュメントではなくて、実際何をどうしていくのかという、具体的な経営改善の『方法』。金融機関と企業、双方のニーズを満たさなければならないんです」
金融機関に紹介される先は従業員100人未満の老舗・成熟企業が中心。その経営革新と事業再生がライブリッツの使命になる。業績が下がりつつある老舗企業をどう回復させていくのか。
「経営を改善するのは、言葉で言うほど簡単ではありません。単に方向性を示して、これでやりましょうとアドバイスだけして終われば難しくないですが、企業からみればわかっていることばかり。それを実行できないから、困っているわけです。だから、どう進めていけばいいのか、その方向に持っていくためにまず何をするのか、つまり第一歩を踏み出すための行動計画を作っていく。企業が取り組むべき手順をきちんと示してあげて、これならできますよね、という状態まで持っていかないとだめなんです」
経営改善にはもうひとつ大事なファクターがあると小野氏は指摘する。それは現場の従業員の問題だ。
「人が関わっているので従業員の方にも面談をして、悩んでいることをお聞きしたり、フィールドでアンケート調査もしたりします。だからドロ臭いし、全然カッコよくない(笑)」
経営計画を立てるだけでなく、具体的に手足を動かす。行動しないと成果は出ないというのが小野氏の持論だ。こういった案件をライブリッツは同時進行で常に数十件受けている。
「苦しい企業を良くしてあげられれば喜んでもらえます。そんなケースがとても多くてやりがい感じています」
全体を巻き込むコンサルティング
「ライブリッツのコンサルティング」。その最大の特徴は最初にコンサルティングを始めるにあたっての説明をすることにある。
「最初に説明をしないと『そんなことは聞いていない』と、後で言われて不満の温床になるので、まずは説明します」と小野氏。
ライブリッツは必ず2名以上のコンサルタントでコンサルティングにあたるが、初回は必ず小野氏が対応し、コンサルティング契約前に支援体制を明示する。その企画書に「コンサルティング開始前にご理解いただきたいこと」と銘打った3つの文章がある。
1.会社全体を巻き込んでコンサルティングを進めます。
2.「考え方(=やることを変える)」と「やり方(=やる方法を変える)」、2つを変えていきます。
3.成果の期限(いつまでに○○を達成する、△△を実行するetc.)にこだわります。
通常のコンサルタントと違い「全体を巻き込んでやる」ことを明言している点が大きな特徴といえる。経営者や役員としか話さないコンサルタントが多い中、小野氏は必ず社長から従業員、必要があればパートタイマーまで会社の人間すべてと話す。コンサルティング開始前にやり方をきちんと説明し、双方のコンサルティングに対する目線を合わせた上で、ゴーサインとなるのだ。
具体的なコンサルティングの手順としては、まず支援先が窮境を脱し、改善・革新していくための将来に向けた見通し(未来)が重要となる。契約が決まったら、ライブリッツは見通しを立てるため業績管理・シミュレーションシステムを提供し、社長が日々入力できるようにレクチャーをする。入力されたデータは即座に集計されて業績の「見える化」がなされ、社長にも見通しがわかるようになる。業績見通し状況はインターネット経由で共有し、次の会合にコンサルタントが業績管理・シミュレーション結果を映しながら社長や幹部と喧々諤々の議論を戦わせる。
このコンサルティングでは「見える化」「セグメント別収支」「シミュレーション(シナリオプランニング)」の3つにこだわって進めていく。
「まず、なぜこういう業況になってしまったのか、要因の分析をします。数字を追えばテールは追えますが、そういう窮境に至るまでに間違えたこと。経営の中で意思決定を間違ってしまっている、あるいは設備投資の意思決定を間違ってしまっているといった、いくつかある分岐点、そこをひも解くのです。私たちはこれをヒストリーと呼んでいます。それを私たちだけが理解するのではなく、会社の方にも理解していただく。そしてそこに正しい意思決定をできるような体制や仕組みを入れていかなければならない。たいがい間違った意思決定をする経営者は、世の中のせいや環境のせいにします。それも確かに一因なのですが、間違った意思決定について、きちんと理解し、悟っていただく必要があります。
だから私は指導ではなく、意見交換という言い方をしています。最終的には我々ではなく企業が行動するので、次回までにやっていただきたいことを提示して、実際に行動に移すかどうかは企業側に決めていただくのです。
私たちはどんな企業も経営改善できる魔法使いではありません。魔法使いじゃないけれど、なぜそうなったか、調査して事実を検証して、それをきちんとお見せすることが大事だと思っています。企業にわかっていただくためには、数字と図で示すことが重要ですね。」
もうひとつのライブリッツの特徴、それは女性目線のコンサルティングができることだ。支援している業種には婦人靴、婦人服などファッション系の企業も多い。そうしたクライアントには、診断士である女性役員がコンサルティングから女性従業員のインタビューまでをこなす。女性ならではの話しやすい雰囲気になるそうだ。
「役員、パートナーコンサルタントともに、女性が在籍しています。なるべく幅広い業種に対応できるようにするためです。例えば婦人服の経営支援コンサルティングはいま女性の役員とパートナーコンサルタントだけで行っています。そのほうがうまくいくんですね。なんでも私が出ていけばいいわけではありません」
こうした展開をしていく中で、他のコンサルタントとは違う事業再生・革新実現に向けた完成度の高い戦略ストーリーができあがる。成果の上がらなかった過去のプロセスを見直して、やり方を改めようと意思を固めた経営者に、夢や目標に再チャレンジできる可能性を、従業員教育を含めた経営コンサルティングで提供していく。その結果、企業が回復するだけでなく、金融機関の納得度も違ってくるという。金融機関からの依頼は幅広い業種に広がり、案件としてないのは病院ぐらいだそうだ。
他士業も含めた7人のサムライを目指す
ライブリッツは現在、小野氏を含めた役員4名と、ほぼ同数の独立した診断士であるパートナーコンサルタント、事務スタッフで構成されている。
「最終的にはマネージングパートナー(便宜上は役員)7名体制にしていきたいと考えています。組織規模として3・5・7というステップアップを考えており、今は3と5の間です。役員4名をまずは5人体制に持っていき、最終的には『7人のサムライ』にしたいなと。ただし診断士だけにこだわっているわけではありません。いろいろな士業のニーズがあるので、私たちが一番求めているのは公認会計士、それから法律的には弁護士と司法書士が、マネージングパートナーあるいはパートナーコンサルタントとして仲間となってくれればと期待しています。
ただ、マネージングパートナーが7名以上になってしまうと自分自身で統制できなくなってしまうので、私の社長としての度量では7名までと考えています。7人のマネージングパートナーと同数程度のパートナーコンサルタント、プラス事務スタッフで15、16名。それぐらいがちょうどいいのではないでしょうか」
小野氏は今でも一コンサルタントとしてプレイヤーの仕事、案件を統括するプロジェクトマネージャーとしての仕事、そして経営者としての仕事と、すでに3足もの草鞋を履いている。比率的に見ると4:4:2だという
「本当は自分のプレイヤーとしての割合を3ぐらいにして3:4:3でいかないとバランス的にはうまくないんです。経営者だけにシフトしてしまうと、プレイヤーとしての自分の腕が落ちてしまうし、現場で感じること、気づくことがたくさんあるから0にはできない。そういう意味ではやはり3:4:3がベストなので、それに近づけていきたいですね」
一人でやるには限界があって、必然的にコンサルティングファームという組織にしてきた小野氏だが、経営を担う役員だけでなく、独立している診断士をパートナーコンサルタントとして起用する、その起用基準をかなり厳しく設定している。
「やはり大切なクライアントへのコンサルティング業務の一部を担当していただく方なので、厳選することになります。面接に来ていただいてもお断りすることもあります」
講師業や専門家派遣、再生支援業務と診断士の業務は広がってきている。そのため独立診断士は忙しいと小野氏は考えている。わざわざコンサルティングという大変な仕事を選ばなくても仕事はいくらでもある中で厳選していくと、パートナーコンサルタントとしてお願いできる人材は実は限られてしまうという。
小野氏はパートナーコンサルタントの起用にあたり3つの「C」で評価しているという。それは、
1.Communication-報告・連絡・相談がしっかりしてくれそうか
2.Contribution-期待水準に達する貢献がなされそうか
3.Confidence-信任・信頼に足る人物か
「こうしたことがちゃんとできている人は思いのほか少ないんです。服装や身だしなみも含め、当たり前と思えることがきちんとできる、そんな方と仕事をしていきたいと考えています」
また起用是非はなるべく一人で決めないようにしているという。一人ではどうしても一つの見方しかできないため、他の役員の見方、評価を考え併せて決めるのだそうだ。
さて、ライブリッツの活動エリアは東京、神奈川、埼玉で全体の7割を占めるが、全国対応で動いている。小野氏は今後のニーズは地方にあると考え、昨年から「おでかけ」するようになった。
「地方では人口が減っています。すると企業の雇用が減って、地域経済が疲弊してくる。苦しいところには良くしたいというニーズがある。ですから昨年から地方へおでかけするようにしています」
効率を考え新幹線一本で行ける静岡県や新潟県、長野県、山形県、宮城県がおでかけ先。そこには中小企業大学校時代の人脈が生きている。そこで金融機関から信用保証協会、商工会議所、地方の再生支援協会を紹介してもらい、今後の地域活性化支援につなげるコンサルティングの種を蒔いているのである。
努力は必ず報われる
この記事を読んでいる読者の中にも、診断士を目指して勉強している受験生がいることだろう。その方々が診断士試験に合格したとして、これからの診断士の世界で独立してやっていけるのだろうか。
「基本的にはできると思います。診断士の活躍できる分野は非常に幅広い。やりたいことに対して振り幅が広い資格なので、独立しようと思えば難しくないし、ちゃんとやれば生活はできるでしょう。でも、その『ちゃんと』がけっこう難しいんです。『ちゃんと』の中には準備や戦略があり、その前に方向性を決めなければいけない。どういう風に仕事を取っていくのか、営業・販売方法も考えておかないといけない。そこさえ『ちゃんと』できていれば充分やっていける資格だと思います。
運がいいだけでも1、2年目は何とかなるでしょう。しかし3年目からは、運だけでは続けていくのが難しくなります。言い換えればその3年目を越えれば、やっていけるとも言えます。3年続けられるということは、行政や支援機関などから仕事に対する評価があっての3年ということです。3年を目安にそこを越えれば何とかなるというのが私の意見です」
小野氏が診断士資格を取得して良かったと感じるのは、経営コンサルタントのように資格がなくてもなれる、名乗れてしまう世界で、一つのパスポートあるいは対外的評価として一線を画せることだという。
「金融機関が我々を紹介する時も『診断士資格を持っているコンサルタント、診断士を中心としたコンサルティングファーム』という表現をします」
コンサルティングのニーズについても小野氏は「増えていく」と考えている。特に中小企業が当たり前に海外に出ていく時代、企業が海外に出ていく際のコンサルティングのニーズはさらに高まると考えているようだ。
「海外進出の際には、会計や法律など複数の士業がチームを組んで対応していくのが普通になると思います。その時、診断士が取りまとめ、コーディネート役として活躍できると思います」
実はライブリッツに韓国のコンサルティングファームからオファーがあり、今年1月には業務提携を結んだ。韓国企業に対する合同支援チームを組むことになり、6月には経営者向けセミナーを開催する。
「オファーが来たときには私もびっくりしました。向こうがライブリッツを見つけてくれて連絡が来たのですが、最初は本当かなと疑心暗鬼でした。でもすでに3回来日していますし、こちらからも訪韓しました」
打診してきたのは15人規模のコンサルティングファームで、日本で中小企業支援を中心にコンサルティングをしている会社を探していたという。日本企業絡みではなく、あくまで韓国企業を対象とした経営改善支援コンサルティングである。そこに日本で培ったノウハウを導入したいという意向だ。
「クライアントが国際化していくだけでなく、私たちも国際化していかなければならないと常々考えてはいました。ありがたいことに今回の提携は他の診断士があまりやっていない分野なので、今は利益を度外視して経験を積もうと思っています」
最後に資格取得を目指す『TACNEWS』読者にアドバイスをいただいた。
「資格取得を目指す方に言いたいのは、某アイドルではありませんが『努力は必ず報われる』ということ。その報われる時期がすぐの人もいれば、遠い先の人もいる。いま資格取得に向けて投下している時間や勉強したことは絶対に無駄にはなりません。ただ、その『活かし方』を意識しておかないと、無駄になってしまうこともあります。だから、資格や知識をどう活かすのか、将来の自分を思い描いて取り組んでいけば、努力は必ず報われます」
ITは「魔法の道具」と心躍らせてIT業界に飛び込んだ小野氏は、紆余曲折を経て、中小企業を支援する診断士としてコンサルティングファームを率いる立場となった。その時々に自分が見ることができる目線で、将来を、資格の活かし方を思い描いて進んでいけば、積み上げたものは決して無駄になることはない。