特集 税理士・不動産鑑定士のダブルライセンスを活かす
井上 幹康(いのうえ みきやす)氏
井上幹康税理士不動産鑑定士事務所
税理士・不動産鑑定士・気象予報士
1985年3月23日生まれ、群馬県出身。2008年、早稲田大学理工学部応用化学科卒業。2010年、早稲田大学大学院先進理工学研究科応用化学専攻修了。同年4月、IT系企業入社。2012年11月、税理士法人トーマツ(現:デロイトトーマツ税理士法人)入社。2013年12月、税理士試験合格。2018年、税理士として独立開業。2019年10月、不動産鑑定士論文試験合格。2021年4月、不動産鑑定業開業、井上幹康税理士不動産鑑定士事務所としてスタート。
税理士・不動産鑑定士の井上幹康氏は大学院1年のとき、「難易度の高い理系資格にチャレンジしてみよう」と、わずか7ヵ月の学習期間で気象予報士試験に一発合格している。「勉強をがんばること」の楽しさを思い出した井上氏はその後、税理士、不動産鑑定士資格の取得へとつなげていったが、それは決して楽な道のりではなかった。数ある国家資格の中から難関資格を取り続けてきた井上氏が、税理士・不動産鑑定士のダブルライセンサーとして開業するまでの軌跡を追った。
大学院1年で気象予報士試験に合格
──税理士、不動産鑑定士(以下、鑑定士)、気象予報士と、井上さんは多様な国家資格をお持ちです。資格を取得するまでの経緯をお聞かせください。
井上 群馬県沼田市で生まれた私は、中学校まで耳の病気で継続的に通っていた耳鼻科の先生に憧れて、医師になりたいと思っていました。当時知っていた国家資格が、弁護士と医師と学校の先生ぐらいしかなかったこともありますね。地元の群馬大学医学部をめざして高校3年間はずっと勉強漬けの日々で、高校3年の模擬試験ではA判定までいったのですが、大学入試センター試験でつまづいて不合格。すべり止めは1校も受けていなかったので、浪人することになりました。
浪人生というのは、学生でも社会人でもなく、収入も社会的地位も何もないポジションです。当初は医学部にリベンジしようと思ったのですが、一刻も早くそんな状況から抜け出したいという思いが強まって、苦しまぎれに、得意だった数学で勝負できる理学部や理工学部に逃げてしまいました。こうして1年間の浪人生活の末、東北大学理学部数学科・化学科と早稲田大学理工学部応用化学科に合格して、あこがれていた東京にある早稲田大学に進学を決めたのですが、このとき逃げた気持ちがトラウマになって、大学に入ったあともよくセンター試験の夢を見たりしていましたね。
──「逃げた」という気持ちをぬぐえないまま大学生活を送ったのですね。
井上 そうですね。大学4年で大学院進学か就職活動かを決める際は、大学院に行く理由がなかったので就職活動をすることにしました。ですが合同就職説明会に行って各企業のブースを回ってみたものの、とりあえず就職しなければという気持ちだけでしたので、自分がどんな仕事をやりたいのかまったく見えず、結局、企業にエントリーシートを送るまで至らずに就職活動のシーズンは終わってしまいました。
残された道は卒業してフリーターになるか、大学院に進学するかしかなくなってしまったので、親に頼み込んで大学院に進学することにしました。そんなときふと周りを見たら、理工学部のキャンパスにも税理士や公認会計士(以下、会計士)のパンフレットが置いてあって、会計士試験に合格して監査法人に就職する人も何人かいました。その姿を見て、「自分はこのままでいいのだろうか」と不安を感じたのを覚えています。
──大学院ではどのような研究をされたのですか。
井上 医工学の専任教授の元で人工肺の研究に勤しみ、パソコンでシミュレーションやプログラミングをするようになりました。もともと数学が好きでしたしITに触れるのがおもしろくて、将来はSEかプログラマーになりたいと思うようになったのが大学院1年のときです。ただ、何か学生時代にがんばったことがないと、このままでは学部の就職活動の二の舞いになるとわかっていたので、採用面接でアピールできるように理工学部系の上位資格で何か目立つ資格を取ろうと考えました。
そこで候補に挙がったのが弁理士と気象予報士で、弁理士のことは当時どのような仕事かよくわからなかったため、一般的に知名度の高い気象予報士資格の取得をめざすことにしました。大学院1年の研究室の勉強の合間に気象予報士の勉強を始め、7ヵ月間で一発合格したのです。この受験経験をきっかけに高校3年間どっぷり浸かっていた大学受験の感覚を思い出し、「こうすれば覚えられる」という自分の中の勉強に対する方程式がよみがえってきて、久しぶりの受験勉強が楽しくなったことが、その後の税理士や鑑定士につながっていったのです。
──気象予報士資格の取得後はどうされましたか。
井上 資格は取ったものの、そのまま気象関係の仕事に就くにはあまりにも狭き門で、仕事にはつながりませんでした。ただ、業界問わず採用面接の場では興味を持ってもらえ、自己アピールのいいきっかけになりましたね。最終的には興味を持っていたSEとして、2社から内定をもらうことができました。
その後、社会人になったあとも役立ちそうな実用性のある資格を取っておきたいと考えて、大学院2年の5月から日商簿記検定3級の勉強を始めました。6月に3級に合格し、続けて11月に2級と1級を受け、知識ゼロからおよそ6ヵ月で日商簿記検定1級に合格しました。
そして「せっかく1級まで取ったのだからその先の資格につなげたい」と、会計系の上位資格である会計士や税理士の資格取得を考えるようになりました。1級合格で受験資格を得られたこと、そしてもともと医師志望で開業したいという思いがあったことから税理士の道に進もうと決めて、1級の合格発表があった1月から、税理士の簿記論と財務諸表論の勉強をスタートしました。
──2社からもらった内定はどうされましたか。
井上 SEとして内定をもらっていたので、辞退して税理士受験に専念するか悩みました。でも結局、税理士受験に専念できるだけの資金もなければSEの内定を辞退するほどの度胸もなく、内定をもらっていたIT系上場企業に入社しました。
しかし入社後ももやもやした気持ちは晴れなくて、人事担当者と話をした際「自分はSE枠で採用してもらったけれど、税理士をめざして勉強中なのでできれば経理・財務の仕事をしたい」と正直に伝えました。そのときの人事担当の方々がとても熱い方で「ここで井上さんをSEにしてしまうと、人生を狂わせてしまうだろう」と社長を説得してくれ、6月から経理財務部に配属していただきました。そのまま税理士の勉強とまったく関係ないSEとして配属されていたら、おそらくどこかで心が折れてしまったでしょう。今でも思うのは、ここでの上場企業の経理マンとしての経験がなかったら、今の自分はなかったということです。「税理士・井上幹康」の原点なので、会社には感謝しかありません。
──SEとして採用した人材を経理財務部に配属するという思い切った判断をしてくれたのですね。
井上 おかげで経理財務部で働き始めたその年8月に受験した簿記論と財務諸表論のうち、財務諸表論に合格できました。9月からは法人税法の勉強を開始し、翌年法人税法と簿記論の2科目に合格しています。こうして3科目揃った段階が2011年、東日本大震災の年でした。税理士試験自体、行われるかどうかわからない状態になってしまい、計画停電で校舎の自習室も使えない中で、私は通信講座で配信される講義だけを頼りに何とか試験勉強を続けました。
この頃には将来は税理士として独立したいという気持ちがより高まってきて、入社3年目に会計業界への転職を決めました。現在の妻に出会ったのもこのタイミングで、将来についていろいろ考える転機となった時期でした。
会計業界への転職と開業
──会計業界への転職活動はどのように行いましたか。
井上 残りの2科目として消費税法と事業税を勉強し、8月の本試験が終わったあと、TACの合同就職説明会で何社かブースを回りました。当時は3科目合格でも大手監査法人に入るのが難しい買い手市場でしたから前年12月にトーマツ東京事務所を受けたときは不合格だったのですが、残り2科目を受け終わったので再びトーマツのブースに行きました。すると、「群馬の高崎事務所をオープンするから行かないか」と言われたのです。群馬出身の私にとって慣れ親しんだ地元ですし、自分のやりたい税理士業ができるのであれば群馬に帰省してもいいかなと転職を決意しました。2科目合格待ちの状態で9月に入所しましたが、フタを開けてみたらまさかの2科目不合格。答案練習(答練)の成績も良く模擬試験では成績上位者として名前が載るほど好成績だったので、これには焦りました。敗因は転職活動に気持ちが行ってしまい、試験に集中できなかったことだと反省しましたね。
──トーマツ高崎事務所ではどのような仕事をしましたか。
井上 まずゼロベースで上司とふたりで事務所の立ち上げからスタートしました。仕事内容は、東証一部上場企業から中小企業まで幅広い規模や業種の税務顧問や税務調査対応、IPO支援、M&Aにおける税務デューデリジェンス業務、税務改正セミナー講師、資産税実務など、実に様々なラインナップでした。この高崎事務所スタートアップ時の実務経験が独立開業の際にとても役立ちましたし、トーマツでの会計税務の経験が現在の税理士実務のベースとなっています。
高崎事務所にはトータル6年間在籍しましたが、その間、群馬、埼玉、栃木のかなり広範なエリアを担当し、長野や新潟の事務所との連携もあって、活動範囲は本当に広かったですね。
──税理士試験の状況はどうなりましたか。
井上 高崎事務所はふたりでのスタートでしたし、経理の経験しかない私にとって税務の仕事は大変ハードで、上司にはたくさん迷惑をかけました。前年2科目不合格だったショックもあり、一時は退職して受験に専念することも頭をよぎりましたが、半年間は仕事と勉強だけに集中し、合格をめざすことにしました。当時まだつき合っていた妻に「必ず結婚するから半年間は会わないで、仕事と勉強に集中させてほしい」と無茶なお願いもして、群馬に行ってから本試験までの半年間、妻とはほぼ会わずに過ごしました。こうして答練を受けつつTACの通信講座で2科目を勉強し、2013年12月になんとか5科目合格にこぎ着けました。実務経験は前職の上場企業の経理期間も含めて2年間の要件を満たしていたので、2014年4月に税理士登録を済ませ、晴れて妻とも結婚し、長男が生まれてプライベートも充実していきました。
この6年間のトーマツ高崎事務所での勤務を経て、2018年7月、当初からの目標であった税理士事務所開業に踏み切ったのです。
税理士開業と同時に鑑定士受験
──開業にいたる経緯を教えてください。
井上 もともと35歳を目標に独立開業したいと思っていて、実際に開業したのは33歳ですので、平均開業年齢が40歳前後の税理士業界では早いほうだと思います。目標より早く開業したのは、あと2年待ったところで貯金が多少増えるだけですし、早く経験を積みたかったからです。加えて、もう2年トーマツにいたら昇級して安定的生活が得られ、開業のモチベーションがどんどん下がるような気がしました。大きな組織のブランドに守られ金銭的安定はあったけれど、人生は1回きりです。そこは自分の思いを通したかった。妻にもつき合った当初から将来開業すると話していたので、反対はされませんでした。ただ場所については妻の希望も踏まえ、妻の地元であるさいたま市でオープンすることにしました。
──鑑定士資格の取得はどのようなことがきっかけだったのですか。
井上 開業への不安や上司の言葉を受けて、自分の専門性を確立するためでした。
上司には開業するので退職したい旨を早い段階で話したのですが、「井上さんの専門分野は何ですかと聞かれたらどう答える?」「開業はいいが、何を軸にやっていくの?」と問われました。トーマツという大きな看板に守られてきた私は、自分が組織を抜け出たときに、何が自分の売りなのか、武器なのか、まったく考えていなかったのです。トーマツにいて大きな会社とやり取りし、様々な実務経験をさせていただいていたので、自分は独立しても大丈夫だと思い込んでいて、上司を納得させるだけの答えを返すことができませんでした。
一応当時、事業承継や株価評価等の資産税実務を多くやらせていただいていたこともあり、株価評価や不動産評価等の資産税実務に特化したいと考えていると話したのですが、「相続税や資産税に特化したいといってもその道の専門家はたくさんいるし、そうした専門家もなかなか大変だよ」「記帳代行に特化するとか人を雇って組織を大きくするとか、何か考えたほうがいいんじゃないか」と、いろいろ叱咤激励をいいただきました。当時開業後の自分の事務所のビジョンを何も考えていなかったので、この上司の言葉はグサっときましたね。同時に自分の未熟さや実力不足も恥じました。
そんな中、当時は税理士・鑑定士の方の書籍を読んだりセミナーに参加したりしていたので、自分も鑑定士資格を取得したら、不動産評価や株価評価といった専門業務を武器に「資産税に強いです」と自信をもって言えるのではないかと思い立ちました。そこで、トーマツを辞める約8ヵ月前の10月頃から、帰宅する前にカフェに寄って1日2、3時間程度、鑑定士の勉強を始めたのです。
──税理士として開業したときは鑑定士受験の真っ最中だったのですね。
井上 そうですね。6月に鑑定士短答式試験の合格発表を受けてトーマツを退職し、7月に税理士として開業しました。開業後は並行して鑑定士論文式試験の勉強をするためにTACに申し込みましたが、税理士事務所を開業したばかりでバタバタしていたためなかなか校舎には通えず、結局Webフォロー制度を活用して、答練や模擬試験だけ八重洲校で受けました。
このように税理士開業初年度は鑑定士試験に合格するための受験専念期間だったので、営業活動をしている時間はないし、お客様は来ないし、事務所と自宅の家賃もかかるしで、貯金をどんどん切り崩していく中での受験になりました。幸い自分のこれまでの人脈から税務顧問先として法人2社、個人1〜2名とご契約いただけましたので、まったくのゼロスタートではなかったものの、受験専念の怖さを体験しました。
よく、社会人受験生は専念受験生よりも勉強時間が取れないから大変だなどと言われますが、仕事もやめて専念している受験生の中には、何も収入がない中で腹を括って勉強している人がたくさんいると思います。私がほぼ受験専念の環境で1年間耐えられたのは、「鑑定士になることが一番の営業活動になる」と信じていたからです。1年後、無事鑑定士試験に合格できて、本当によかったと思っています。
──鑑定士試験に合格してからはどのような営業活動をしましたか。
井上 鑑定士合格を同業の税理士や会計士の方々にご報告したことがきっかけで、ありがたいことにそうした方々から資産税関係のお仕事やご依頼をいただけるようになりました。鑑定士試験の受験勉強中も少しずつ既存のお客様を中心に顧客が増えてきていたのですが、鑑定士資格を取得したあとは同業の税理士や会計士の方々からのご依頼・ご相談が増えていくようになり、自分の存在が少しずつ認められてきた気がしました。意図して営業したわけではなく、知らず知らずのうちに仕事をいただけるようになったのです。
──鑑定士登録をするためには論文式試験合格後に実務修習を受けなければなりませんが、実務修習はどうされましたか。
井上 実は、もともと私は鑑定士登録をするつもりはあまりありませんでした。合格しても鑑定会社に就職しない私のような社会人合格者の実務修習を受け入れてくれる鑑定会社はほとんどなかったし、実務修習費用が140万円ぐらいかかるからです。鑑定会社に勤務していればその費用は会社が負担してくれますが、そうでなければすべて個人負担になりますから、登録はしなくてもいいかなと思っていたのです。でも、お金をかけても絶対に登録したほうがいいと周囲の税理士の大先輩の方々から強く勧められましたので、実務修習先を探したところ、ちょうどTAC不動産鑑定士講座の高橋講師の事務所で実務修習指導の空きがあったので、1年間お世話になりました。実務修習を終えて修了考査を受験し、2021年3月に修了考査の発表で無事合格。そして4月に登録を完了し、ようやく「税理士不動産鑑定士事務所」として看板を出すことができたのです。
──ダブルライセンスでいろいろな仕事が入ってくるようになったのは、井上さんが自分の得意分野を作ろうと取り組んだことが実を結んだからですね。
井上 おかげさまで、不動産鑑定業をオープンしてからわずか1ヵ月で、すでに数件鑑定評価の依頼を受けています。これまでは不動産に強い税理士として税理士業務をしてきましたが、今後は鑑定士としてのキャリアもしっかり積んで、税理士と鑑定士の2本柱で運営していきたいと考えています。
──鑑定士としての今後のビジョンを教えてください。
井上 鑑定士には地価公示に関する土地の公的鑑定評価業務という大きな柱がありますが、これは鑑定士としての実績(実務経験3年間、各年3件以上の鑑定評価)がなければ登録できないので、まだ先になります。今は鑑定が必要な相続案件、株価評価における法人保有の不動産評価、及び、同族関係者間売買といった税務のフィールドで鑑定ニーズがあるところを探し、鑑定評価業務をしていこうと思っています。
まだ将来的なビジョンは明確にできていませんが、現在契約している税理士業務の顧問先は継続しつつ、鑑定業務を受けられる余力を残し、今も依頼が来ているセミナー講師や執筆依頼なども広げていきたいですね。今のところ営業という営業はしていませんが、鑑定士試験の合格をトリガーに、本の執筆依頼や税理士・会計士の方々からの相談が増えているのは確かです。
──税理士と鑑定士、将来的にはどちらに軸足を置いていこうと考えていますか。
井上 税理士業務のキャリアが長いので今は税理士がベースですね。ただ、今後はいただける仕事によって変わっていくと思います。税理士と鑑定士のダブルライセンスで活躍している先生には、税務がわかった上できちんと鑑定をするというスタンスで、鑑定士に軸足を置いている方が多い印象ですね。税制は毎年改正されて細かいところまでアップデートしなければなりませんが、鑑定評価基準は毎年それほど変わりません。ですから鑑定士を軸足に仕事が取れていけば、経験がどんどん積み重なって仕事がしやすくなるので、自然と鑑定業務メインになっていく方が多いのではないかと思います。
私の場合まだ着地点が見えていませんし、現状ではお客様からの最初のご依頼は税理士業務が多いので、税理士として関与していく中で鑑定評価のニーズがあればご提案し、鑑定士としてのキャリアを積み重ねていく方向です。セミナー講師をするにも鑑定実務を自分でやっていなければ話の説得力がないので、地に足をつけて鑑定実務をやりつつ、セミナーや執筆の依頼を受けていきたいです。
──税務業務である程度件数が増えてきた場合に、人を雇うことは考えていますか。
井上 今のところまだ人を増やす予定はありませんね。現状、お話をいただく依頼も全部が全部をお受けできるような状態ではありませんが、自分で責任を負える範囲で少しずつ広げていきます。きちんと正規報酬を提示し、ご依頼者様とのミスマッチがないか確認してから関与するかどうかを決めていく方針は継続していくつもりなので、誰でもいいから新規のお客様をバンバン取っていくというやり方はしません。おつき合いのある方とは深く長くおつき合いを続けながら、同業の税理士や会計士の方々からのご相談や、既存クライアントからの追加依頼があれば積極的に受けていきたいと考えています。
──現在の税務顧問先は何件ありますか。
井上 法人は、関連子会社、子会社含めた親会社の申告業務を5社、それから顧問税理士のいる法人のセカンドオピニオンを2〜3社受けています。個人の顧問先は、個人事業主の方やオーナー社長の所得税申告業務を10件ほど受けています。あとは先ほどお話しした同業の税理士や会計士の方々からの資産税関連の相談・フォロー業務や、不定期ですが関与先の不動産絡みの相談があります。
──4月に始めたばかりの鑑定業務についてはいかがでしょうか。
井上 知人の会計士からの紹介ですでに1件受けています。ただ鑑定業務はスポットなので、決まったお客様からの依頼でも都度都度の契約になります。また今後の状況にもよりますが、鑑定評価の実務経験を積んで要件を満たしたら、経験値や知見を広げるために公的評価業務にも挑戦したいと思っています。
成功の秘訣は「毎日必ず続けること」
──複数の資格をお持ちの井上さんにとって、資格を取得する魅力とはなんでしょう。
井上 やはり合格という結果が残るので、その資格で仕事をするかどうかは別として、努力を可視化できるのが資格の魅力だと思います。何か知識を身につけたいと思ったとき、資格試験の勉強をすれば進捗度が見えやすく、自分が今どのくらいのレベルにいるのか段階を踏んでいくのがわかりますし、目に見える形で結果になっていく点が魅力ですね。
──気象予報士の資格は今でも役に立っていますか。
井上 名刺に「気象予報士」と入れていると、税理士や鑑定士の前にまず気象予報士の話になるので、話のきっかけをつかむのに大きく役立っていますね。
そして何より、気象予報士は私の中で消えかけていた「勉強してがんばる」という部分にもう一度火を付けてくれた資格です。気象予報士試験に合格したからこそ、税理士試験や鑑定士試験に挑戦できて、これらに合格したことで自分の中にキャリアが積み重なってきました。難関資格試験は合格したところで燃え尽きてしまう人も多いですが、見方を変えればそこまでがんばってきたならもうひと踏ん張りすれば、その先にある新しい可能性を掴むこともできるのです。私は毎年受験生向けに相談サービスも行っているのですが、開業で悩んでいたり、「鑑定士ってどうですか?」と聞かれたりしたときは、「迷っているんだったら、やってみて」とアドバイスしています。
──今後挑戦してみたい資格などはありますか。
井上 余裕があればもう1回医学部に挑戦してみたいですね。さすがに鑑定士試験に合格した段階で妻から「受験はもういいでしょう」と言われたので、やらないと思いますが(笑)。受験を始めると土日と平日夜はずっと勉強なので、家族との時間が取れないですよね。子どもが大学受験するときになったら、一緒に何か受験してもいいのかなと考えたりします。
──資格取得をめざしている方にメッセージをお願いします。
井上 税理士試験でも鑑定士試験でも、私は年間計画や2〜3ヵ月計画のような綿密なスケジュールは作らず、寝る前にその日勉強したことを振り返りながら「明日はあの辺の問題をやろう」と、翌日に取り組む範囲などを決めていました。
絶対に守っていたのは「毎日必ず勉強する、勉強しない日を作らない、期限を決める」ということだけでした。淡々と受験指導校のカリキュラムに沿って講義を受けたら、あとは自分がどれだけ勉強できるかで決まるので、少なくとも私は苦手な分野も逃げずに毎日取り組みました。そして仕事もそうですが、期限を決めるのは大事です。「何歳までに受からなかったらその資格は諦める」と期限を決めておかないと、ズルズル行きかねません。私の勉強時間は土日でも1日10時間未満と長くはありませんでしたが、その代わり体調が悪くても風邪をひいても、勉強しない日はありませんでした。1日でも勉強しない日があると、次の日もしない可能性があって、負の連鎖につながるリスクがあるからです。これは医学部受験で得た教訓ですね。それに1〜2日休むとリカバリーに4〜5日かかるので、特に社会人は休まず継続することが大事だと思います。
この流れに乗れば自然と合格に近づけるので、難関と言われる資格でも必ず合格が見えてくると思います。皆さんも諦めずに毎日がんばってください。
[『TACNEWS』 2021年8月号|特集]